第7話
和州国それが今のこの国の名だと明理は語った。
多くの島で構成された海と緑豊かなこの国は、今でこそ科学技術の向上により島同士の連携がとれ国として成り立っているが、古くは隣の島にさえわたるのが困難だったという。
故に大陸より技術が伝わるまでこの国は弱小国家だった。
『大陸?この国以外にもまだ国があるのだな』
そう呟きながらナキはかつて自分たちがこの星に降りてきた時の事を思い出していた。
あの星をヒルとナキ二人の兄妹が出てどれほどの時が流れただろうか。
時間の感覚などすでにないその二人の旅路は何かを目指してのものではなく、ただ生きるためだけのものだった。
二人を乗せた船から見えるのはいつも闇、すべてを飲み込むそれはやがてはこの船も自分たちさえも飲みこむのではないのかと思えるほど深かった。
けれどなぜか引き付けられる、丸い窓ぶちから見えるその風景は艦内の光をのむ穴のようで、恐ろしく、けれどもしかしたらこの闇の中にいつもと違うものがあればという淡い期待に引き付けられ、暇さえあれば闇を見つめていた。
そんなナキにヒルはよく、『何もない。見るだけ無駄だ』と言った。
それは、次第に妹がおかしくなっていくのではないのかという不安もあったのかもしれない。
だから、最初にこの星を目にしたときの感動は今でも忘れられない。
まるで亡くした母星がよみがえったかのような驚き、生命の輝くその光に魅入られた。
たとえその光が二人にとっての毒だとしてもこの場所を無視することはもう光を見つけてしまった二人にはできなかった。
そして、ヒルとナキはこの星に降臨した。
確かに、あの時青い海に覆われるようにいくつかの陸地が点々とあったとナキは思い出した。
『この星はまだ多くの世界、私の知らない場所があるのだな。だというのにこの星で私が知る場所はこの暗い穴蔵の中のみ。これではあの船に乗り宇宙をさまよっていたころとさほど変わらない』
ナキはその現状がもどかしいというかのように洞穴にたまる水たまりを手ではたいた。
『みたいものだ、外の世界』
大きな願いなどないただ自由に外の世界を知りたい、そんな神の望みを明理は無視できず一つの提案をする。
「ナキ様・・・」
なんとか自らの神の役に立ちたく声をかけるも環境が合わないなんていう大きすぎる問題の答えなどすぐに思いつくこともできず、情けなく口を閉ざした。
何もできない状況が歯がゆく、苦い思いをかみしめていると、そんな彼女の感情を読み取ったナキは『心配するな』と不敵に笑った。
『私が出ずとも外の世界を感じ見るすべが私にはある。それが、感覚の受信だ』
「感覚の受信?それは一体どうゆうことですか?もしよろしければ、お話を伺いたいのですが」
『なに、大したことではない。今私がお前と脳内で会話しているのも先ほど私が透の記憶を読み取ったのも貴様たちの脳に私が介入した結果もたらされたことだ。私たちは貴様たちのいう電波のようなものを体より発しそれを読み取ることでコミュニケーションを取ってきた。故にそり深くお前たちの脳に介入すればその体を操りその肌で感じたものその目で見たもの私自身が自分の事のように感じ取れるというわけだ。むろんあくまで仮初の肉体だ現実で感じるものとはまた違うだろうが今はそれで我慢するしかないだろう』
ナキの説明を聞きながら明理はその話を自分なりに分かりやすく解釈する。
要は、モニター越しにロボットを操っているようなものだと思えばいいのだろう。
ナキは操縦者でモニター越しにそのロボットを操作する。
ロボットが見聞きしたことは全てナキが知ることができる、行動範囲が限られた彼女にとってはとても便利な存在。
問題があるとすれば脳に介入する以上それが生物でなければならないということ。
そして彼女がよりリアルにこの世界を楽しみたいというのならその生物はナキに近い肉体構造をしている存在すなわち人間でなければならないというところだろう。
己の肉体の支配権を奪われる、伝承にあったヒルに願いを叶えられた人間はその傘下に加わったという話はこのことを指しているのだろう。
自由を奪われるそれは個としての自我が強い人間には耐えがたい苦痛だろう。
己の体が己のものでなくなるそれはある意味、死に等しいあるいはそれ以上の恐怖だろう。
だが、明理からすればそれは恐怖ではなく歓喜することであった。
己の肉体に神を宿す、正確には違うのだが神と肉体を共有できるなど彼女からすれば夢のような話だった。
崇拝した神の依り代となれる、その喜びから明理は迷うことなく自身の体を使うよう申したがナキは首を振った。
『お前はダメだ。お前にはこの場で私に手を貸してもらう。星蔵のお前だからこそできることもあるだろうからな』
「・・・では、誰を?」
『もう手は打ってある。透というあの子供、あいつを私の駒にした』
明理は自分が、拒否された時点で察しはついたが正直その事実にショックを受ける。
「あの、透は先ほど体の調子を崩していました。もしや、それが関係しているのでしょうか?」
その質問にナキは少し首を傾げ考えるようなそぶりを見せたがすぐに『さぁな』と答えた。
『なにしろ、私が駒を作ったのは今回が初めての事だ。ヒルもかつて何人か、作ってはいたようだが私はさほどそいつらとはかかわらなかったからな詳しいことはわからん。ただ、脳に直接介入する以上確かに負担はあるかも知れないな』
それはあまりに無責任すぎないだろうか?
そんな、淀みにも似た感情が明理の心に沸き上がりそうになる前にナキは心配なら連絡を入れろと明理を洞穴外へと解放した。
人の心の動きが読めるナキからすれば、相手の思考を変化させる変化させることなど容易い。
事実、明理はナキに対して沸き上がりそうだった反感など今は消え失せむしろ、透の事を心配する自分の思いをナキが察してくれたと感謝の念を抱くほどにその胸の内が変化していた。
そして、次の日透の無事も確認できたことでナキに対する負の感情はすでに明理の中からは消え去ってしまっていたのだった。
この星の者たちはナキからすれば容易い存在。
だからこそ解らなかったが残る兄であるヒルはいったい何を失敗し殺されてしまったのだろうかと。
そのことが少しだけ頭に引っかかるのだった。
その異常に透が気づいたのはひとまず資料を読み終え夕飯の準備をしている時だった。
いくら薄い大学ノートとはいえ、経本のように隙間なくびっしりと文字の書かれた本は一冊読むだけでも時間がかかり疲れた。
昼過ぎから読み始めたのに気づけば時間は五時前、かれこれ四時間もこの場所にいたという事実に透は驚き、まだ一冊しか読み終えていない現実にげんなりした。
流石に今日だけで全部読むのは無理だとあきらめ、時刻も時刻なので夕飯でも作ろうと立ち上がる。
体はまだ風邪をひいているようにだるかったが、胃袋は早く飯をくれと騒いでいた。
そういえば、昨日はあのまま寝入ってしまったので丸一日何も食べていないということだ。
欲求の赴くままに台所へ向かい炊飯器に残っていた冷ご飯を鍋にぶち込み水を入れる。
体調も考慮しておかゆでも作ろうかと思ったが時間がかかりそうなのでおじやに変更する。
とりあえず今は早く胃袋に何か食べ物を入れたかったのだ。
透が台所に立つのはこれが初めてではない。
両親が一日以上不在なことなどざらにあるのでいつしかこういった家事スキルも自然と身についていった。
というか、身に着けるしかなかった。
そのかいあってか今では簡単な料理なら一人でも作ることができるようになった。
問題は味噌を入れ味付けも完了し、供え物として漬物を切っているときにおきた。
元々子供が使うことを想定していない台所、包丁を使うには流し台にあるまな板を使う必要がある。
背の足らない透は古るくなり足の先端がかけた、少し不安定な椅子にいつも上り包丁を使っていた。
ぐらつく足場は危ないと思いつつも、めんどうくさがり、一番近くにあるこの椅子ばかり使っていた。
いつもの事、今まで大丈夫だったから何ともない。
そう思っていた。
要は彼は慢心しゆだんしていたのだ。
事が起きたのは、透が漬物を切り終え皿に盛り付けようとした時だった。
包丁をまな板の上に置き、まな板の奥側に置いたお皿に切り終えた漬物、たくあんを盛り付ける。
問題は盛り付けが終わり手を引っ込めた時に起きた。
そろそろおじやもできるだろうと、ひっこめた手はまな板の上の包丁に引っかかり、凶器となって透の足へと落下してきたのだ。
アッと思う頃には包丁はもう足に突き刺さる寸前だった。
やばい。
反射的に体が固まり、身動きが取れなくなる。
これではもう彼に逃れるすべはない。
しかし、包丁が透の足に突き刺さることはなかった。
恐怖と緊張で顔を包丁の落ちた場所を瞬きすることなく凝視する透。
彼の目線の先には椅子に見事に突き刺さる包丁があった。
そして、その場にあったはずの片足はいつの間にか椅子の外側に移動し、彼は片足でその場に立っていた。
反射的に避けたわけじゃない、それは透自身がよくわかっていた。
けれどそんなことは今の彼からすればどうでもいい事だった、何よりも問題なのが彼の下半身すべての感覚が消えてしまっていることだ。
目では確かに、足があるのに感覚としてはまるで他人の足を見ているのと変わらない。
あせり足を触ってみる。
すると、手には確かに足を触っている感覚があるのに足の方には手で触られた感覚が伝わってこない。
焦りはさらに加速し所かまわず下半身をさえあったりしまいには殴ったりしてみるがやはり感覚は戻らない。
恐怖で涙目になる透、すると彼の足が彼の意思とは無関係に元の椅子上へとゆっくりと移動した。
足が動く、当たり前のことだが今の透からすれば摩訶不思議な事態である。
感覚のない足が自分の意思とは関係なく勝手に動く。
もう下半身だけほかの誰かの足と入れ替わったんじゃないかと思いたいくらいだった。
移動を終えた透の足は、そこでやっと夢から覚めたかのように彼に主導権を返した。
魔法が解けたかのように急に戻ってきた足の感覚。
先ほど殴ったせいで太もものあたりがひどく痛んだがその痛みさえ今の彼をひどく安心させるのだった。
痛みがこの足は自分のものだと主張してくれたから。
「なに、今の?」
独り言なんて滅多と言わないが、今回ばかりは特別だった。
痛む太ももをさすりながら考えを巡らせる。
何が原因でいったいあんな訳の分からないことになったのかと。
幸い異常事態を抜け出したことで考えるだけの思考力と冷静さを取り戻した透の頭は長い時間を費やすことなく原因と思われる事柄を思うに至った。
摩訶不思議な現象、それならばやはり原因も摩訶不思議なことであろう。
透は安静にすることも忘れ家を飛び出した。
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