守る者、守られる者
立ち上る聖気の輝きが消えた時、その場に邪神の気配は無くなっていた。全てを消し去る、そんな特性を持つ聖気をあれだけ浴びたのだ。ただで済むはずが無い。
でも、なんだろう。
黒江は邪神に剣を振るいながらも軽すぎる手ごたえに、僅かばかりの違和感を覚えていた。
「当たって、ない?」
背筋が凍るような感覚だ。これは、もしかしなくてもッ!
「あんた、後ろ!」
「分かってる! 《セイクリッドーー」
咄嗟に振り返って振りかぶった剣の降ろす先に、そいつはいなかった。代わりに感じ取ったのは、背後からの強烈な殺意だった。
「嘘っ、私、死――」
「《金陽》ッ!」
私のすぐ横を薙ぎ払うように金色の狐が身を投げた。ボウっ、という燃え上がるような音と同時に殺意が消え去る。
今、何が起こった。狐が飛び込んで来た。燃え上がり、全身を黄金に輝かせる狐だった。まるで、ソルと言う陽弧のような……。
そこまで考えて振り返る。
「ソルさん!」
「そう、慌てるんじゃないわよ。これくらいなんてことはないわ」
「それ……」
そこには邪神の姿は無く、黄金の狐が横たわっていた。怪我をしているようだ。背中に傷跡がある。
「テトはッ!」
「いらないわよ。それに、人間の治癒魔法は私に使っても無駄。神聖魔術なんて浴びせて見なさい、骨の髄から溶けるわよ」
「あ、そ、そっか……」
「まあ、安心しなさい。この程度じゃ死にはしないから」
両手に抱けるほどに小柄だった狐は、段々と姿を変えて人型を取る。
あっ、やっぱりソルさんだった。人型になったら怪我は……服の下だろうか。傷跡も血も見ることは出来ず、ソルさんは何ともなさそうにそこに立っていた。
「まったく、無茶するものね」
「ど、どっちのことですか! ソルさんの方が!」
「あーいや、そもそも私のことを言っているのよ。勘違いさせたならごめんなさい」
ソルさんは目を伏せて呟き、切り替えるように歩き出す。周囲に意識を研ぎ澄ましているのがよく分かる。
今のは、少し驚いた。ソルさんってもっと怖いイメージがあった。魔獣の王である上に、誰にも負けないような力を持っている。あんな大人しく、それでいて控えめな態度を取られるとは思っていなかった。それとも、気に病んでいるのだろうか。
「ほら、気を緩めないで。あいつは死んだわけじゃないわ。私に体当たりされて怯んだみたいだけど、どうせまたすぐ姿を現す。リル、カレラ、あんたたちも警戒していなさい」
「無論だ。カレラ嬢、離れるな」
「はい。後ろは任せてください」
本当に何ともないのだろうか。強がっている、ようには見えない。けれどあの傷、狐の体躯にしてみればかなり大きいように見えた。それともこれが原初の七魔獣なんて肩書を持つ魔獣の回復力なのだろうか。
お兄ちゃんを殺した最強の魔獣。仕方なかったと、言葉では言える。
あの時私にはソルさんが何をしたのかが全く見えなかった。まるでお兄ちゃんがひとりでに落ちて行くように見えた。受け止めようと落下地点に走ったけれど、お兄ちゃんの体は落下するよりも早く消えてなくなった。降り注いだ僅かな粒子を浴びた髪が、まだべたついている。
本当は叫びたい、本当は殺したい。なんでお兄ちゃんを殺したの、なんで助けなかったの、仲が良かったんじゃないの。二人はいつも、隣で楽しそうに笑ってたじゃん。
でも、今の私は勇者だ。この世界に悪いことをする邪神を先に倒さないといけない。それに、倒されたのはお兄ちゃんじゃなくて邪神だった。この世界を滅ぼす、邪神だったんだ。だからなんだろう。この世界で正義を忠実に実行するという使命を受けた勇者だから、私の悲しいって気持ちにも怒りにもストッパーがかかる。あれは正義の行いだったから、気に病む必要はないんだよと誰かに囁かれている。
泣きたくても泣けない時、人はどこにその感情をぶつけるんだろう。私の中のわだかまりは、大きくなり続けていた。
「っ、バカ! なにぼーっとしてんの!」
背後に現れた殺気を浴びるのとほぼ同時にソルさんの悲痛な声を聴いた。その一瞬のうちに彼女が浮かべた表情を見てみれば、泣きそうなほどに顔を歪めていた。どうして彼女が、こんなに悲しそうな顔を浮かべるんだろう。勝ち気で強気な人だと思った。思っていたから、気付かなかったらしい。
彼女なりの正義を知った今の私に、迷いは無くなっていた。
「《セイクリッド・エクスプロード》ッ!」
私を中心に浮かび上がった光のリングは、まるで土星を覆う衛星たちのような聖気は私の背後から正面へと転移してきた邪神の体を切り裂いた。今度は、確かな感触で。
邪神の切り裂かれた体の隙間から、ソルさんの驚いた表情が見えた。
なんだ、結構可愛い人じゃないか。元々顔は整った造形で、ころころと表情を変えている。お兄ちゃんが好きそうな、私に似た素直な女の子。
お兄ちゃんの代わりに私を守ろうとしてくれてありがとう。でも、私もいつまでも守られてばっかりの妹じゃないよ。最近じゃあ、と言っても半年以上前のことだけど、私がお兄ちゃんの面倒を見ていたくらいなんだから。
確かに切り裂いたはずの邪神は気配を霧散させるのではなく、一瞬にして完全になくした。今までにも何度か経験していた転移だろう。ほんのわずかな間でも消えてなくなった邪神。邪神が消えたことで見えた驚いた様子の少女に感謝を述べるのには、絶好のタイミングだ。
「ソルさん、さっきは助けてくれてありがとう。でも、もう大丈夫だよ」
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