闇黒碇王

 ネルが最後の言葉を語ったその直後、ネルの下を訪れる者がいた。暗闇に覆われたその門の名を虚空の門。魔術・冥府に存在する転移魔法で、物質的距離を無視して移動することが出来る。そして現在、その魔法を扱えるものはこの世に一人しか残っていない。


「ネル、様?」


 自身もまた全身傷だらけになりながらも、ネルの悲惨な姿を見て膝から崩れ落ちたのは二代目クイーンエルフ、リリア。司から受けた攻撃こそ間一髪で耐えたものの、高高度からの受け身なしでの落下も含め致命傷を受けていた。

 クイーンエルフと言えど命ある生き物。血を滴らせ、全身に傷を作り、魔法で傷を癒そうにも魔力が足りない状況で、何とかネルの下へと戻って来た。その時見た主の姿が亡骸だとしたら、果たして湧いてくる感情の名前とは何なのか。


 怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、寂しさ、苦しさ。ありとあらゆる悪感情が渦巻き、リリアの心の中を流転する。ぐちゃぐちゃに、ごちゃ混ぜになって膨らむ悪感情に名前を付けようと思う。


闇黒碇王あんこくていおう


 リリアの全身が黒く燃え上がる。


 金髪に輝いていた長髪は黒く染まりだし、宝石のようだった碧眼もくすみ道端の石ころのようになる。その空洞のような瞳を真っ直ぐ向けたリリアの全身は、その空間だけ何も存在していないような虚無を成す。黒よりも黒く、深淵よりも深い渦が出来上がる。


 それはまさに、神の様相だった。


 他の誰にもまねできなく、他を寄せ付けないという意味で間違いなくそれは神なのだろう。そして神はその身を捨てる。真に人ならざる問題へと昇華するために。


「っ、あっ!? ぐっ、はっ!?」


 リリアは苦しそうに身を捩る。胸を抑え、呻き声を上げる。

 その間にも、黒はゆっくりとリリアの体から離れていく。べったりと張り付く泥のように、リリアの皮膚を端から剥がして行くように。ゆっくりと、ねっとりと離れていくその存在を《闇黒碇王あんこくていおう》と言う。

 それは今、完全な神になろうとしていた。

 やがてその場の冥府をすべて取り込んだ《闇黒碇王あんこくていおう》は自我を持って暴れ出す。二人分の冥府の使途の悪感情を糧にして。



「この気配は?」


 ネルが消えて行くのを感じたちょくど、ソルの直感に触れたのは何か邪悪な存在。邪神のような雰囲気は、最初こそ小さかったものの次第に大きくなっていく。先程までのネルや司のような、強大な力になっていく。

 いや、それよりも上か? これはもしかすると、千年前のあいつくらい強いんじゃないだろうか。


「やばいわね……」


 周囲を見渡す。

 アリシアと初代はボロボロ、ルナとリリアは戦闘不能。残っているのは勇者組とリルとカレラくらいか。でも、勇者組は双子と治癒と炎、雷と土と風が使い物にならなそう。残っているのが司の妹と探索だけ。治癒も戦えないことはないだろうけど、魔力が心許ない。こんなところで無理をさせられない。

 頼りになるのは、リルとカレラくらいか。


 ネルと司が犠牲になってまでこの騒ぎが落ち着き替えているのだ。それをまた荒らされるなんてこと、絶対に許せない。


「リル、気付いているわね」

「無論だ。どうする? 手は貸すが。カレラ嬢も、行けるか?」

「はい。感じる気配は強大です。ですが、戦えます。戦います」

「頼もしいわね」


 どういうわけかリルと同等かそれ以上の力を得ている人間、カレラ。初めて見た時は普通の人間だと思っていたけれど、いつの間にかダンジョンマスターの持つような能力まで手に入れているではないか。多少乱暴しても、大丈夫そう。

 勇者組は……足で的になるほど弱い奴は、いないか。援護くらいは勝手にさせてやらないと、文句が飛んできそうだ。特にあの司の妹。何をしでかすか分からないところがある。注意して見ておかないと。

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