冥府に向かう
宙から落ちていく司さんを見て、私は思う。
ああ、やはり邪悪な力に落ちて叶う願いなどなかったのだろうと。
邪神の力に落ちた瞬間、私は我を忘れるのを自覚した。少しずつ自分の意志とは関係なく動き始める体に恐怖を覚えたが、それはあまりに遅すぎた。
気付いたら、私は自分の民たちを襲うとしていた。力を誇示するように、残虐に。でも、ソルはそれを止めてくれた。私が国民たちに向けて魔法を放とうとした瞬間、ソルが放ったふいうちは私に十分すぎるダメージを与えた。
その結果、私は冥界に引き籠ることになる。その後のことは、よく分からない。ずっと冥界の中にいたから。一つわかるのはリリアが四代目を仕留めに行ってから帰ってこなかったということだけ。
リリアは私に最も近しい存在ということがあってか、私の邪神化の影響を受けて自らも邪神の力を得ていた。特に、私の特性であるところの冥府を操る類の魔法を使えるようになっていたことには、正直驚いた。冥府はまさに選ばれた者の力、それが他人に与えられたことで私は神の力を実感していた。
創造神の造り出したルールすら、邪神の力であれば破壊できるのかと思った。
ただ、そんな感動も束の間。私の意志に反して私の体は再び動き出す。自身の力を誇示するためと言わんばかりに、邪神教と争っていたソル達の下に向かう。私は初めてその時邪神教が攻めてきていたことを知った。司さんから報告こそ受けていた物の、それを実際に見るのは初めてだった。
戦場の中には私の他にも邪神の力に染まったものの気配が溢れ返っており、至る所に悪魔や邪神、邪人の気配が色濃く残っていた。
邪神の意識の外から眺めるだけの私は、ここで起こった出来事の悲惨さと、訪れていたソル達の勝利を見た。一先ずは安堵の息を吐く。僅かに伺える亜人の国も、決して無事とは言えないながらも崩壊したと言えるほどの被害を受けたわけではないらしい。きっと、ソルが守ってくれたのだ。
私はもうあの国の王として君臨することは出来ないかもしれないけれど、ソルもいる、ルナや、四代目。どういうわけか初代リリアの姿も確認できた。後を託して死んだとしても、不安は一つも残っていない。
後は、流れに身を任せて。
その結果として私は今、深く抉られた地面の底から空を見上げていた。全身ボロボロで動く力はほとんど残っていない。その上、危機が迫ったせいか邪神の束縛から解放されてしまった。ほとんど自由を聞かない体を返却されて、あまりに惨めな自身の姿に思わず自虐の笑みを浮かべてしまう。
「最強を志した代償は、あまりに大きかったですね……」
あはは、なんて声に出して笑ってみるが気分が上がることはない。
だって本当に下らないではないか。千年前に見惚れた最強を想い続け、そうなることを願い続けた結果がこれだ。
この千年、思えば私はそれを掲げるだけの夢にしていたのだろう。ソルが眠りに就き、始祖竜も封印されていた。ルナだって千年前の出来事をきっかけに隠居して、大々的に活動している原初の七魔獣は私だけになっていた。それだというのに私は国の仕事を言い訳に、この千年間ずっと強くなる努力を欠いて来た。
そしてソルが復活し、ルナも活動を再開した。今更になって、千年振りに気付いた。二人を見て、ああ、私を強くなりたいなって。
私は憧れ続けていただけだったのだ。結局は、目標が目の前にいなければ目指せない程私の夢は不純で、脆いものだった。それがなんだ、今更夢がかなって、ほんの数瞬でそれが潰えて。
ソルは躊躇なく私を撃ち抜いたし、司さんは私を越える力を得た。その司さんですら、あの見知らぬ勇者に負けたようだ。どこか司さんに似た雰囲気を漂わせる……そういえば、司さんは妹さんを持っているんだったか。なら、彼女がそうなのだろう。
「……痛む心なんて、昔に捨てたつもりだったんですけどね」
ズキズキと痛み、罪悪感に圧迫されて行くのを感じる。だって当然だろう、恐らくは私を止めるために邪神となった司さんは、自身の妹の手によって殺されてしまったのだから。そんなことですら罪悪感を抱かなくなっていたのなら、私は正真正銘の悪党だった。
これでも、亜人の皆さんを千年間思って守り続けて来た一国の王だ。気付いていなかっただけで良心はたっぷりと残っていたみたいだ。
これを捨てれていたら、もっと強くなれていたのかな……。
ネルは深く削られた穴の底から、全身に血を滴らせて倒れ伏しながら空を見上げる。
きめ細やかな白い肌は痣だらけ。綺麗に誂えられたドレスはボロボロになり、頭に乗せた三角形の耳は一部が欠けていた。髪は乱れ、千切れ、散々している。尻尾は、力なく垂れている。口元から流れる血を最後に拭ったネルの右手は、すでに動かない左手の分も大きく空に伸びていく。
綺麗に弧を描いた口から漏れたのは、死を迎えることになった後悔と、かなさんを傷つけてしまった後悔と。最後に感謝も謝罪も言えなかったことの、後悔だった。
「さようなら世界……願わくば――」
宙を落ちる司を眺めるソルの耳に、僅かに声が聞こえた。それはよく聞き知った声で、覇気もなく、またか細かったけれど、確かな意志を持って発せられていた。
「――我が生涯に価値はあったのだと、語られんことを」
その声が聞こえた時、ソルはキッと歯を食いしばる。全身に籠る力を拳に込めて、一瞬の炎の変えた後息を吐く。そして吐き捨てる。
「あの程度で死んでんじゃないわよ、馬鹿」
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