植物の温もりに包まれて

「司、君?」


 涙を流していたリリアが目を見開き、まだ頬に伝う涙を小さく輝かせながら見上げて来た。

 リリアを背中から抱きしめた俺は、リリアの頭に手をやって優しく撫でた。


「ごめん、リリア。俺、リリアの奴隷なのに……リリアのために頑張ろうって決めてたのに、全然リリアのことわかってなかった」

「ち、違うよ? 司君は頑張ってくれてたもん。すっごく嬉しかった、だから――」


 それは違うと言って、慌てて身を起こすリリア。戸惑うように伸ばされたリリアの手を握った俺の手は、その滑らかで柔らかい肌を撫でていた。


「俺だってリリアには感謝してる。リリアがいなかったら死んでいたかもしれない。少なくとも、今こんなに幸せだなんて思えていなかった。こんな言葉を、もっと早く言っておけば良かったんだ」


 まだまだ時間はあると思ってた。こんな時間が続くんだって思ってた。けど、リリアの表情を見てわかった。理由も原因も分からないけど、そんな時間は今、終わろうとしているんだって。


「リリア、好きだ。絶対に居なくなってほしくない。死んでほしくない。俺の我が儘だ」

「でも、無理なんだよ。私の役目は終わったの。だから、母様のように……っ!」

「母様?」


 リリアが不意に口にした言葉は、リリアの涙腺を刺激したらしい。崩壊したダムから零れ堕ちるように、涙がボロボロと机に流れた。


「母様は、先代ハイエルフは、役目を終えて殺された。私ではない、本当のリリアに」

「本当の、リリア?」

「リリアの名を継承する、クイーンエルフ。二代目クイーンエルフ。偉大なる初代クイーンエルフが失踪した後、その任を終えたかの方は私たちを影武者にして隠居なさった。けどそれは真の意味での継承でも、隠居でもなかった。私たちを利用して力を集め、ネル様へ献上するための物だった」

「ネルへ、献上? どういう意味だ?」


 嗚咽混じりのリリアの声は、どんどんと暗く、落ち着きのない物へとなって行った。悲しみや苦しみと言うよりは、恐怖に震えているように見えた。


「私たちがハイエルフとして蓄えた力は、ネル様が邪神として目覚めるために使われる。既に私の母は、そのための生贄として身を捧げたの。私も当時はそのことに疑問を抱いていなかったんだけど、最近になって、司君と出会う少し前になって違和感に気付いたの」

「それが可笑しいことだって?」

「ううん、少し違う」


 小さく首を横に振ったリリアは抱き抱えていた俺の手を両手で握った。


「ネル様や、本物のリリアがまともじゃないことに。普通じゃないって違和感は、すぐに確信に変わって行った。邪神の復活。それは亜人や獣人の総意と思っていた。けれどそれは勘違いだった。きっと私は、そう思わされていた」

「洗脳、ってわけじゃないんだろうな。生まれつきそうだと言われていたら、そうだと思ってしまうもの、か」

「そうね。私は確かに騙され続けていた。それを恨むつもりも、怒るつもりもない。だけど、それが普通じゃないってこと。私は、もしかしたら死を受け入れる必要はないのかもしれないと」


 後悔するようにリリアは呟いた。


「思えばその時説得しておくべきだった。今もう、こうしてネル様は邪神として覚醒した。リリアもその恩恵を受けていることでしょう。……いえ、リリアと呼ぶのは止めておこうか。二代目? クイーンエルフ? 司君はどう呼んだらいいと思う?」

「急に言われても困るが……リルは三代目、四代目って呼んでたし二代目でいいんじゃないか?」

「うん、分かった。それじゃあ二代目って呼ぶね。彼女も、邪神の従者として力を得ているはずだよ。ただでさえクイーンエルフは強力だけど、それよりももっと強くなってると思う」

「それは、厄介だな」


 サラサラと流れるリリアの髪をゆっくりと撫でる。早まっていた鼓動を落ち着けて行ったリリアは深呼吸をして俺の言葉に頷いた。


「……私もね、たぶん生贄にされる予定だったんだ。だけど、そうすることが無くてもネル様は邪神として覚醒した。だから私はもう用済みなの。ネル様と二代目が姿を消した後、私は一目散に逃げだしてここに来た。追ってくるかもしれないし、どうでもいいって見逃してくれるかもしれない。どちらにしても、もうあの二人の下へは帰れないんだ」

「そっか……大丈夫、俺がいるから。邪神教を倒して、ネルも説得する。そしたらさ、また一緒に暮らせるって」

「そうなったらいいね」


 落ち着いた声で、少し嬉しそうにリリアは言った。俺の手を優しく撫でて、段々と持ち上げて頬擦りするリリアの温もりが全身に広がって行く。今何が起こっているのかは分かっている。やらなきゃいけないことだってある。

 でも、今だけはリリアを甘やかしていたいと、そう思ってしまった。


「司君。私はもう国には帰れない。もしそうなったら、一緒に遠くに行ってくれる? かなちゃんとか、リルさんとか、妹さんとか、仲のいい人みんなで」

「いいな、それ。俺ももっと世界の色んな所を見てみたい。かなも喜ぶと思うぞ」

「うん……うん、楽しみ」


 少しだけ上擦った声で返事しながら頷いたリリアは、背中を丸めて嗚咽を漏らした。

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