逃げ続けて

「おい、それってどういうことだよ」

 

 ルナは確かに言った、邪神が復活した、と。


「言葉通りの意味かの」

「いや、だって俺はここにいるし、何もないぞ?」

「……感じていないのかの? いや、感じる方がおかしい? どちらでもいいかの。邪神となったのは、ネルかの」

「ネル?」


 唐突過ぎて色々と分からないが、ルナには何かが分かっているらしい。


「……妾の推測が間違っていたようかの。どうりで、始祖竜があんなに強く成長できたわけかの……とにかく、一旦ここを離れるかの。妾達は、絶対にネルに捕まってはいけないかの」

「え? ま、まあ、そう言うなら。どこ行く?」

「オレアス、はダメかの。今被害がない都市を巻き込めるわけがない……リセリアル、そこへ向かうかの」

「了解」


 兎にも角にも、今のルナは落ち着いてないし、落ち着かせるためには一旦ここを離れるのがいいんだろう。俺は、テレポートを発動した。


 たどり着いたのは、以前黒江たちと共に行ったソウル系の魔物が出没するダンジョンの前。人に見つかるのも良くないのだろうと思い、ここを選んだ。


「っと、大丈夫か? ルナ」

「……うむ、問題ないかの」


 どこか苛立っているのを感じたが、ルナはそれを自分で抑え込んだようだ。苦しそうに唇を噛みながら、続ける。


「ゆっくりと、妾の考えを話すかの。聞いて欲しいかの」


 聞いたことがある。人の話ってのはただ聞いてあげるだけでも意味がある、と。それだけで気持ちが軽くなったりするらしい。これはメンタルケアの話だが、きっと、今のルナにも有効だろう。


「分かった、聞かせてくれ」


 ルナが話し始めたのは、邪神についての考え。ルナ自身確信はなく、経験則からものを言うしかないようだった。けれど、俺自身が近く見てきたソルやネルの話を持ち出されてからは、どうにもその話が現実味を持ち始めた。


「邪神とは、人々が邪神と呼ぶ存在、それ自体とは。きっと、妾達原初の七魔獣にすぐう天災に匹敵する化け物を指す言葉。考えてみれば納得かの。始祖竜のあの強さが神そのものだと言われても、何の疑問を湧かないのだから」


 自嘲気味に、ルナは笑う。


「ソルの中には、極寒の王が。邪神の中には、原初の遺伝子が。青竜の中にも、白竜の中にも、黒竜の中にもきっと、何かがすぐっていた。邪神になりうる、何かが。そして、ネル。それに、妾」


 苦しそうに、胸元をぎゅっと掴む。


「ネルの中に眠っていた何かが目を覚まし、神にも連なる力を手に入れた。世界の調和を保つはずの存在が、世界を滅ぼすほどの力を得る。その機会を、生まれながらに持っている。この意味が、分かるかの?」


 涙だった。

 最近見慣れた、悲しみの笑みだった。


 何かをあざ笑うような笑みで、冷笑で、微笑で。

 くしゃっ、と歪んだ顔で、ルナは言う。


「妾達は、邪神となって、滅ぼされるために生まれた。生み出されたのかの。世界が均衡を崩そうとしたとき、崩壊への一途を辿り始めた時、顕現する世界共有の敵となる様に。世界が集結し、団結するように。神が、それを楽しむように」


 司。


「そなたもまた、神の試練を受けたはずかの」


 それは、天界での一幕。それのことを指しているのだろう。


「神に選ばれたのかの。簡単には倒せない存在として、強大な敵として、立ちはだかる災厄として。司殿は、新たな邪神となって、世界を一つにするための駒として、生み出された。呼び込まれたのかの」


 考えてみればおかしいのだ。俺も黒江もかなも、異常なほどに強い能力を、神から貰っていた。それをただ運が良かっただけ、なんて思うのは無理がある。


 全部が全部神に作られた運命だった、なんて思わない。けれど、その大部分が神の思惑通りに進んでいるんだとしたら。


「ソルが目覚め、始祖竜が目覚め、ネルが邪神の力に覚醒した。まさに今、世界の均衡は崩れようとしている。邪神教が活発化し、世界は混乱の時代を迎えようとしている。争いの象徴が、必要なのかの」


 クソ野郎。そう、叫びたくなった。生まれながらにして使命を定められただけでなく、世界の敵となり倒されることを想定されていた? そんな存在として生まれた? 馬鹿馬鹿しい。


「馬鹿馬鹿しいぞ、ルナ」

「え?」


 それは、不意に声をかけられたかのような驚き。本当に予想していなかったのだろう、そう思えるような驚きの声だった。


「最近ずっと、ルナはそんな話ばっかだ。恰も世界が残酷なものとしてできていて、自分たちは生まれつき苦境に立たされている、そんな話ばかり」

「司? 何を言って――」


 その瞳に浮かんだのは恐怖。

 例えば、そう。


 大切な何かが、離れて行ってしまった絶望を体現したかのような恐怖が、その瞳には浮かんでいた。


「それに抗って見せろよ。生き残って見せろよ。ルナは生き残ったんだろ? ソルも、そんな運命捻じ曲げたんだろ? 始祖竜は倒した、天界じゃあ、創造神に仕えるアトラスって言う巨神も倒した。俺は、あり得ないくらい強くなった」


 いい加減、うんざりしていたところだった。


 ルナたち原初の七魔獣は、確かに厳しい定めを背負っているのだろう。それが生まれつき持った圧倒的な力の代償だとするのなら、それは見合っているとも言える。それが数千年以上続く寿命の対価として求められたことならば、妥当だと思えた。


 けど、そうじゃなだろ。


「誰も、お前が絶望することを望んでなんかいない。戦って、勝つことを望んでるんだ。生き残って、一緒に笑っていたいと思ってるんだ。死ぬ定め? 使命? そんなもん、覆せよ、ルナ」

「司……」


 その瞳から、絶望は消えていた。何かを奪われたかのような喪失感はもう、彼女にはない。

 むしろ、何かに覆われたかのような安心感に包まれていた。


「うむ。妾が、間違っていたかの。ルナが願った妾の未来は、こんなことで終わるようなものじゃないかの!」


 ルナは、そうのびのびと宣言した。

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