悪あがき
訓練場の真ん中で、雨に降られながらそいつを見る王女の瞳は、怒りに染まっていた。だが、冷静さを欠いたりはしない。その冷静すぎる思考の中で、確実に殺す最適解を導き出す。
「行きます!」
王女が一歩踏み込むと、王女の標的であるそいつは一歩後ずさる。王女から溢れ出た気迫に当てられたのだろう。彼女は高貴の姫。どんな時であれ精神的に上位に立つ存在。圧倒的な覇気の前に、そいつは怖気ずいたのだ。
「《瞬絶》」
王女の光が軽く光ったのち、姿が消える。一瞬の後にそいつの目の前に現れる。大きく剣を振りかぶり、振り切る。そいつは咄嗟に魔法を発動した。
「《ヘルウォール》」
魔術・地獄、ヘルウォール。男の手のひらから黒い円形の壁が現れる。しかし王女の体は再び消え、再度現れた時にはそいつの後ろで剣を振るっていた。
「ぐあああああッ!?」
そいつが悲痛な声を上げる。背中をえぐる強烈な一振り。男の背中から大量の血が噴き出すと同時に、王女は距離をとった。
「《属性剣術・神聖》」
王女は剣を腰の鞘に戻し、魔力を込める。鞘を覆うように白い光が輝く。
「《セイクリッド・レイ》」
王女が鞘から剣を抜き放つと同時、剣を伝うようにして刃状の白い光がそいつに向かって放たれる。
一直線に向かって行った光の刃は、男に反応させる隙も与えずに左腕を切り裂いた。
そいつは再び悲鳴を上げ、その場に膝をつく。それでも闘志を失ったわけではないらしく、魔法を発動させる。
「《デモンスピリット》ッ!」
そいつの足元に現れた魔法陣から黒い光が放たれる。光がそいつを包み込むと同時、そいつの体の傷は塞がり、魔力が大量に増えた。
魔術・地獄、デモンスピリット。悪魔の魂を身に宿し、自信を強化する魔法。
「ほう、レベルⅦ魔法とは。邪神の加護とやらもなかなか侮れないものだな」
「ええ、そうですね。ですが、負けるつもりはありません」
いつの間にか王女の隣に座っていたリルだが、王女は特に気にすることもなく剣を正面に構える。
「ふふっ、はっはっは! 怖気づきましたか? 悪魔の力を手にした私に敵うものなどいません!」
そいつは得意げになって笑いだす。リルはもはや呆れすらも通り越して憐みの視線をそいつに向けていた。なぜならリルはこの後男が迎える結末が分かっているからだ。
「あなたたちもそこの男のように、すぐにでも冥界送りにしてやりましょう! さあ、今度はこちらから――」
「っ」
「――がッ!?」
鋭い息遣いと同時、声にならな悲鳴が小さく響く。背中を強打され、地面に顔面からめり込んだそいつの背後には、猫耳を隠すつもりもないかなの姿があった。
ゴミでも見るかのような目で地面に倒れ伏すそいつを見下す。その顔に表情はなく、死神すら彷彿とされる冷たい瞳を浮かべていた。
そいつが体を起こそうとすると、その頭を上から踏みつける。それがかなりのダメージだったのか、息も絶え絶えだ。
(ねえリル、殺していい? いいよね? とりあえず殺そ?)
(まあ待て。今回は王女に譲ってやってはくれないか? 彼女もそれなりに怒りが溜まっているようだ)
(……分かった。じゃあ、かなは司を助ける準備をするから。……かなが倒れても、司と一緒にいさせて)
(心得た)
リルに断りを入れて、かなは司のもとへ歩み寄る。かなが魔法を使うと司の体は一瞬できれいな状態に戻る。さらに魔法を何重にもかけ、生命力を回復させ、汚れを落とす。かなはその場に屈みこみ、司の体に抱き着いた。
段々と、かなの表情に張り付けられていた殺意は薄れ、悲しみに溢れた歪な泣き顔を浮かべる。
「つかさっ…司ッ!」
かなが、かなが一緒にいればッ! ――
堪えられなくなったのだろう。雨にも負けないくらいの涙を流しながら、かなは司の名を日本語で叫んだ。体が元通りになろうとも、元々あった精神帯の損傷と王女の攻撃が合わさって核の耐久力が限りなく低くなっている。辛うじて魂は留まっているが、それだっていつまで持つかわからない状態だ。
しばらく泣いた後、かなは司の魂を保護するための魔法を準備する。
「《精霊完全支配》」
かなの体が淡く光ると同時、地面から、空から、雨から、木々から光が集まる。精霊たちの光だ。
かなを包み込んだ光たちは、やがてかなの両手のひらに集結する。その手のひらで司の手を包み込むようにして、かなは魔法を唱えた。
「《エレメンタルフォース・スピリットエナジー》」
かなの手のひらに纏っていた光が司の体を包み込む。司の魂を覆うようにして、光が司の体内に侵入する。その光は魂を覆う魔力と混ざり合い、核となる。司の精神帯とリルから預かっていた精神帯のほとんどは傷つき、無くなってしまっていたため作業は簡単に終わった。
かなはリルに報告する。
(精魔核、できた)
(そうか。それは良かった。あとは、精神帯復元のための生贄を用意するだけだ。だが、まあそれならすぐに収集できそうだ)
かなの方に歩み寄りながらそう伝えたリルは、王女の方に振り向く。
そこにはそいつの首元に剣を突き付ける王女の姿があった。
「な、なぜだ! なぜ、邪神様の加護を受けしこの私が、あなたなどに!」
「答えは簡単です。ただ、あなたが弱かっただけのこと。では、そろそろ終わりにしましょうか。これ以上いたぶるのは、私の趣味ではありません」
そいつの体は既にボロボロだ。全身に切り傷を負い、今度は両腕うでの肘から上だけを切り落とされている。これ以上逃げられないように、と右ひざから下もなくなっていた。
そいつの切り傷からは大量の血があふれ出し、王女の服も返り血で汚れている。地面には雨と混ざった血が淡い赤色で広がっている。
王女の怒りもだいぶ収まったのだろう。王女は一呼吸置いたのち、剣を振りかぶり――
「くっ!? 《アルマゲドン》ッ!」
振りかぶる瞬間、そいつがその言葉を叫び、何やら握っていた小瓶のようなものを握るつぶす。
そいつの首が宙を舞うと同時、空中に大量の魔法陣が出現する。黒い光するその魔法陣からは、禍々しい魔力があふれ出していた。
魔術・地獄、アルマゲドン。地獄門を開き、大量の悪魔を召喚する魔法だ。本来人間が扱えるような魔法ではないが、その手に握っていた小瓶が何か秘密を持っているのか。
「ほう……レベルⅩか。少し、甘く見積もっていたやも知れん。おい王女。もう少し続きそうだぞ」
「分かっています。……できれば国民に被害が及ばないようにしたいのですが、どうにかできませんか?」
「それならば、かな嬢に頼んでみるとしよう」
空を見上げながら王女と言葉を交わしていたリルは、かなに念話を飛ばす。
(かな嬢。精霊空間、使えるようになったか?)
(うん……でも、使ったら魔力無くなっちゃいそう)
(まあ、我らに任せてくれてもいいが……怒りが相当溜まっているようだし、暴れたりないか?)
(ん……)
かなを見てみれば泣き疲れた顔で、眠そうに目を擦っていた。先ほど魔法を連発したことで、魔力が枯渇寸前なのだ。特にエレメンタルフォース・スピリットエナジーは魔力の消費量が多い。魂の保護、というだけでも大量の魔力が必要になるのだ。
それでもやる気満々のようで、練り上げられた怒りの魔力が今すぐにでも爆発しそうだった。
まだ精神的に幼いかなは感情に左右されやすい。怒りや悲しみなどの悪感情の影響を受けて、魔力が暴走する可能性もある。かなはこの世界に来て間もないというのに大量の魔力を保有している。精霊完全支配によってさらに増加しているうえに、今は司を殺されたことに対する怒りの感情が心を渦巻いている。こらえきれるかどうかは賭けだ。
残り魔力が少なくとも、全体量が多いかなの魔力が爆発すれば王城程度は一瞬で木っ端みじんになるだろう。それなりの人間がいる王城でそんなことをしては面倒だと判断して、リルは自身がストレス発散を諦めることにしたようだ。
(それならば魔力は我が貸し与えよう。そうすれば魔力自動回復もあることだし、それなりに暴れられるはずだ)
(わかった。じゃ、早速やる。……ルナはいいの?)
(ん? ルナ嬢ならすぐにやってくるはずだ。この異常は感知しているだろうしな。さっさと始めよう)
(ん)
かなはその場に立ち上がり、両腕を前方に向けた。かなはそこに魔法陣を展開し、それに合わせてリルも魔力を練り、かなの編み出した魔法陣に注いていく。
数秒の後、魔法陣が感染する。
「《精霊空間・ユグドラシル》」
魔法陣は空中へと昇り、空中で訓練場全体を覆うほどの大きさになる。そして訓練場全体に光を放つ。
「この光は?眩しっ!?」
あまりの明るさに目を閉じた王女が再び目を開くと、そこは草原だった。先ほどまで土砂降りだった雨はどこかに消え去り、燦燦と輝く太陽と淡い水色の空が広がっている。あたりを見渡してみると、少し離れたところに巨木が立っていた。
その他にも倒れ伏す司やリルやかな、カレラやルナの姿もあった。
いつの間に、と思ったがルナの実力を知っている王女はすぐに納得した。あの狼は、そういうものなのだと。理解を超える存在であるため、もはや何が起きても疑問には思わなくなってしまっているようだった。
「うむ、うまくいったようだな。これならいいだろう?」
「ええ。ありがとうございます。……それにしても、これは何ですか?」
「精霊空間・ユグドラシル。あそこに大樹が見えるだろう? 世界樹、もしくは精霊樹と呼ばれる巨木だ」
「世界樹? それって、あの森のことですか?」
「あれとは別物だな。あの森の世界樹は既に死んでいる。この空間の世界樹は大量の精霊を宿す命の巨木だ。あれ一本で世界中の生物が食に困らない程度の生命力を持っている」
「それは、すごいですね」
遠くの方、うっすらと見えるその巨木は、おおよそ数万メートルを超えるほどに大きい。雲を突き抜けたその上の方まで見えるほどに大きい。幹の方は見えないがそれでも太さも数千メートル規模だ。この精霊空間の源で、精霊の住処と言われているような木だ。
「さて、そろそろ始まる頃でしょうかね」
王女はそう言いながら空を見上げる。そこには無数の黒い魔法陣が浮かんでおり、禍々しい魔力を放っている。少しずつその魔力は高まり、今にも悪魔が飛び出してきそうだった。
「ああ。どうやらかなりの数の悪魔が呼びかけに応じたようだな。軽く千は超えるだろう」
「まあ、余裕ですよね?」
「当然だとも。と言っても、我は参加しないぞ? いたずらに魔力を消費したくないのだ」
「構いませんよ。ルナ様の力を借りられるのなら、悪魔何匹分の力になるのやら。むしろ、私は不要かもしれません」
「相違ない」
楽しそうに笑いながら言う王女に、リルも小さく笑みを浮かべて答える。どうやらリルは、王女のことがかなり気に入ったようだ。
「だが、貴女も暴れたりないであろう?」
「もちろんです」
「では、存分に暴れると良い。ここならばいくらでも暴れてもらって構わないぞ」
「そうさせていただきます」
嬉々とした、楽しそうな表情で王女はそう言うと、剣を構えた。
そして、王女とリルの会話が終わるのを待っていたかのように、悪魔がわらわらと出てきた。リルの予想通り、軽く千は超えてきそうだった。
「剣士アリシア。行きます!」
王女はそう宣言すると、悪魔たちに向かって駆けだした。
「なんでしょう。私たち空気じゃないですか? さっきから一言もしゃべれてませんでしたし。司さんが倒れた時も、驚きすぎて悲鳴を上げることもできませんでしたよ」
「妾も見せ場などなかったかの。どうせこれから出番があるかの。でも、早くいかないと妾が殲滅するので気を付けるかの」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってください!」
一瞬にしていなくなったルナと、それを追いかけるカレラをちらと見て、かなは再び司に視線を戻していた。その瞳は、悲しみに染まっていた
リルはそんなかなに近づくと、念話で語りかけた。
(行かないのか?)
(……行く。さっさと魂集めて、司の養分にする。司を頼んだ)
(ああ、任せろ。……大丈夫か?)
(ん……かなは強い子。司はきっと大丈夫だから、ね? 大丈夫でしょ?)
(そうだな……。今は暴れてくるがよい。その荒れ狂う魔力を、全力で悪魔どもにぶつけるのだ)
(んっ!)
元気に返事をしたかなは、司をリルに任せてその場から消え去った。一瞬で悪魔たちのもとにたどり着くと、その荒れ狂う魔力を込めた拳が蹂躙を始めた。
「……かな嬢のためにも、無事に復活するのだぞ、司殿」
誰が司が復活すると確信し、悪魔へと向かう中、リルは一人そう呟く。
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