白竜

 白竜の太く長い尾が宙を舞った。あの鱗で覆われた分厚い体を、カレラは両断してのけたのだ。

 白竜は苦痛で身をよじり、地面に突っ込む。雪に覆われていたということもあって、何百メートルも滑っていった。


「追いかけるぞ」

「分かっているかの」

「はい、行きます!」


 最初に動き出したのはリルで、一瞬の迷いもなく雪に埋もれる白竜の顔部分に向かう。そして、剣を抜いた。


 ホワイトクリスタル・ロングソード


 リルの魔力で作り出した剣だ。


「《ハードストライク》」


 剣を両手で握り、リルは全力でスイングした。

 雪に埋もれて動けない状態だった白竜は、その打撃をもろに食らう。右頬を思いきりえぐられながら、その巨体が浮き上がる。


「《魔拳)」


 高速飛翔で空中に飛び出したかなの拳に、魔力がこもる。そして空中でバランスをとれていない白竜の腹部に、その拳をめり込ませる。


 メキュ


 そんな生物から聞こえてはいけないような音を立てながら、白竜はさらに遠くに吹き飛ぶ


「《ムーンライト・ワイドネット》」


 そしていつのまにか白竜が吹き飛んでいく方に先回りしていたルナが魔法を発動する。

 光りの網にかかった白竜は、その鱗に大きく網目状の傷がつく。吹き飛ぶ勢いが死んだ代わりに、激痛に苦しむ白竜は空中で身をよじって空に飛び立つ。ほとんどの羽根がボロボロだが、まだ飛べるらしい。それに、奴は瞬間再生という竜種特有のスキルを持っている。自然治癒の上位互換、天に仕える竜のみが与えられる癒しの力。

 白竜のステータスを確認した際にそんな説明をしんさんからされていたが、実際はどんなものなのかと気になっていた。

 その治癒能力は、本当に圧倒的だった。


「なるほど。この短時間で外傷はすべて完治、か」

「切り落とした尾も再生しているかの。魔力の消費も多い故、継続的な回復は無理と思ってもよいかの?」

「奴の魔力回復は魔力自動回復Ⅱ程度。肉体の再生と比べて魔力の回復の効率は悪いので問題ないだろう。それに、瞬間再生は傷の治癒しかしない。生命力を0にしてしまえばどのみち奴は死ぬ」

「そういうことなら、妾も思う存分いたぶってやるかの」


 外見は万全な状態に戻った白竜は、空中で態勢を整えた。そして全速力でこの場を去ろうとする、が。


「《エレメンタルフォース・インフィニティラビリンス》」


 高速飛翔で空へ駆けあがったかなが、空中で魔法を発動する。

 掲げられたかなの右手から全方位に向かって光が伸びて、弧を描いて地面へと落ちる。その光をなぞるようにして、透けるような白色の壁が現れた。


 エレメンタルフォース・インフィニティラビリンス。


 結界に似ているが、規模が違う。エレメンタルフォース・アークプリズムのスケールアップという認識で間違いない、としんさんは言っていたが、さすがに桁が違いすぎる。

 かなを中心に約半径一キロほどのドームが現れたのだから、仕方のないことだろう。


 リルやルナも、ほう、だとか、これはなかなか、だとか感嘆の声を上げていた。

 カレラに至っては目を見開いて口をパクパクと開いたり閉じたりしている。これで、かながただの獣人ではないこともばれてしまったな。

 というか、こんなことができてしまうのならばいよいよかなも天災とか呼ばれてしまうのではないだろうか。それはそれで格好いい気がするがな。


 さて、かなが張ったその大規模結界に、もちろん白竜の進行は防がれた。

 よって、白竜はこの場から逃げられない。結界を破ろうとすれば破れるのだろうが、それには時間がかかるだろう。その間に袋叩きにしてやればいい。


(ちょっと疲れた。休む)

(おう、お疲れさん)


 空中から勢いよく落っこちてきたかなは、その場で雪一粒舞わせずに着地して、俺に念話でそう語りかけてきた。相変わらずどんな運動神経してるんだとは思うが、それがかなだ、仕方がない。

 その場にちょこんと座ったかなは、とても可愛らしかったが、今は見とれている暇はない。

 魔力が枯渇寸前のかなに変わって、俺が戦わなければならないのだから! と言っても、実際に戦うのは俺ではないがな。


「では、かな嬢の努力を無駄にしないためにも、我も本気を出すとしよう。しばし乱暴するが、許せよ司殿」

(ああ、構わないぞ!)


 お前なら失敗はしないって知ってるからな。


「では行くぞ。そうだ、カレラ嬢。かな嬢と一緒に見ていると良い。そなたが目指すべき、最上位の戦いというものをこの場で見せてやる」

「は、はい。まだまだ未熟な自分のためにも、勉強させていただきます!」

「リル殿がそういうのなら、妾も見学しているかの。眷属の本気を見せてもらうかの」


 部位欠損すら瞬時に回復する大きな竜を前にして、笑顔で戦いを見守る、なんて言ってしまえる度胸があるカレラは、本当にすごいと思えた。カレラはあくまで人類だ。人知を超えた古参種や天災とはわけが違う。

 それだというのに図々しくもかなの隣に腰を下ろしてしまうあたり、変わり者ということだろう。もしくは、リルたちの強さに脳が追いついていないのか。どちらにしても、あそこにいれば安全だろう。いざとなればかなのウォーリアーやルナが守ってくれるはずだ。心配はいらない。


 と、言うわけで


(リル、全力を出すぞ。魔力の消費なんて気にしない。多少の怪我も気にしない。どうせ魔法で治るんだ、腕の一本や二本なら無くしても許すぞ!)

(ふははは! さすがだぞ司殿。その信念、確かに受け取った。全力を出す、それはつまり――)


 リルが楽しそうに笑ったのち、あたりが凍てつく。雪もろとも、氷柱の中に封じ込められた。高く天に上る氷柱は、やがて一キロメートルほどの高さとなる。一瞬で、白竜が飛ぶ空にまで侵食してしまった。

 一辺が五十メートルを超える厚み氷柱は、ただでさえ高い山に、さらに圧倒的な迫力を持たせた。


(――世界を凍えさせる氷狼たる我が、ありとあらゆるものを凍てつかせる、ということだが、それでもいいのだな?)

(もちろんだ! 存分にやってしまえ! どうせこんなところは誰にも見られない!)

(ふははは! 久しぶりに天災と恐れられた我の本気を世に知らしめてやろう!)


 フェンリル。氷狼ひょうろうとも呼ばれる、狼系の魔獣の最上位種の一体。基本的に人間の街程度なら単体で滅ぼせる力を持つその魔獣は、時を重ねるたびに強くなる。手に負えないからと放置すればするほど、より強化されて後戻りができなくなる。

 そのため発見と同時に討伐される、そのはずなのだ。いや、そのはずだった。そうでなければならなかった。この世界のすべての生物にとってのミスはたった一つ。フェンリルという生物を、数百年という長き時の間、放置していたことであった。



「《我が力は氷》《万物に制止を齎す氷》《世界を覆いつくし》《深淵すらも凍えさせる氷なり》」


 リルの口から紡がれた言葉は、だった。


「《刻む針は動きを止め》《流れる時間は凍り付く》《時空すらも超越する氷結は》《絶望すらも与えない》」


 先日聞いたばかりのその詠唱、内容は全く違うが、かなが行っていた詠唱魔法。その魔法一つですべての戦況をひっくり返す、戦略級大規模魔法。精巧に練り上げられた魔法陣から放たれる魔法は、味方にとっての『希望』、相手にとっての『死』。絶望すら与えられることなく、何が起こったのかもわからず、死んでいく。


 グルアアアアア!


 リルにたまる魔力が危険だと判断したのか、白竜は一気に天を下り、リルに体当たりを仕掛ける。

 天にそびえる氷柱のすぐ近くを真下に向けて滑降していた白竜は、氷柱から横に飛び出した氷の槍にその進行を阻まれた。いや、阻まれたように見えたが、勢いを殺さずにぐんぐんと下ってくる。

 次々と氷柱から飛び出す氷の槍をもろともせず、猪突猛進かの如く一直線にリルを目指す。

 本能に告げられているのだろう。あれはまずいと。だからこそ、傷を気にせず、ルナすらも気にせず、一心不乱にリルに突っ込んでいるのだ。


「《我が下に下りし氷よ》《我の意思に従って》《森羅万象の時空ときを奪え》」


 約一キロにわたるその距離を、物の数秒で滑空してきた白竜が、リルの掲げた手に触れようとしたとき――


「《コキュートス・フィールド》」


 最後の一節が、紡がれた。


 大きく空気が揺れる。雪は舞い上がり、空を覆い隠していた雲は散り散りになる。ルナのナイトメアで昇っていた満月が、暗かった戦場を照らした。


 天を貫く氷柱の中心が、急に青く輝きだした。そして一瞬で、轟音とともに弾け飛び、宙を舞い、地面に突き刺さり、あたりに散らばる。

 その氷柱の中心から現れたのは天にそびえる魔法陣。かなの使った詠唱魔法でも見た、何百という数の魔法陣が重なった、光の柱。青く輝くその光の柱は、その力を開放した。


 そして世界は、凍り付いた。


 白竜はリルに触れることなく、リルの手のひらのわずか数ミリメートル上で静止した。

 遠くで見守っていたかなたち、散り散りになった雲、宙を舞っていた雪や氷の塊さえも、すべてが静止していた。光も、風も、音さえも。

 万物が凍り付き、その時間を止められた空間の中で、唯一動けるものがいた。いや、正確には二人、もっと言えば一人と一匹、だろうか。


(結局、見せるつもりなんかないんじゃないか)

(当然だ。たとえ味方であろうと、奥の手を見せるなど愚の骨頂だ)

(俺には見せてもいいのかよ)

(っふ、司殿は仮にも我の主故な。問題などないだろう)

(ああ、そう言えばそうだったな。お前の態度が態度だからすっかり忘れてた)


 音が止まろうと、念話であれば問題なく会話ができる。光が止まろうと、気配察知のスキルがあれば状況を把握できる。使用者以外のすべての現象を凍り付かせるその魔法は、案外勝手が効くのだった。


 白竜から数歩離れたところに立って、大きく腕を広げたリル。そして、慎重に魔法を練り上げる。


(魔力の限界が近いため、一撃で終わらせる。これは我ひとりでできる故、司殿はもう休んでいいぞ)

(結局ほとんど出番なかっじゃないか……。氷柱を操って白竜の妨害をしたけど、あれほとんど意味なかったし)

(いや、あれがなければ白竜の攻撃が我に届いていただろうな。紙一重の戦いの命運を分けたのは、間違いなく司殿、貴方だ)

(貴方とか、本当に従者っぽいセリフじゃないか。いいぞ、ずっとそれで)

(遠慮しておく。ペースを乱されるのでな)

(俺は散々乱されてきたよ)

(だろうな)


 徐々に組み立てられる魔法陣は、リルの残りの魔力のすべてを使い切る勢いで魔力が込められていた。


(おいおい、帰りはどうするんだよ)

(影にもぐるだけの魔力は残しておく、安心しろ)

(それ、半人半間状態から解放されるってことだろ? カレラと会話できなくなるぞ?)

(この肉体は二重人格のようなものだと言ってあるのでな、然して問題にはなりえない)

(それもそうか。でも、この雪山を降りるのは嫌なんだが?)

(かな嬢にテレポートを伝授したので、それで帰ればいいさ)

(そうかい)


 そうこうするうちに、魔法陣は完成した。


「《アイシクル・メテオストリーム》」


 俺がリルと初めて会った日、俺が殺されかけた魔法だった。

 魔術・氷の中で最大の威力を誇る攻撃魔法。全てを押しつぶす塊で、全てを貫く球で。そんなものを数百と産み出す魔法なのだから、威力がえげつないのは当然なのだ。


(この凍り付いた時の中ならば、瞬間再生すらも機能しない。全ての体を削り切り、消し去ってしまおう)

(これ、一撃って言わなくないか?)

(余計な口をはさむのではない。……では、終わらせるとしよう)


 リルの頭上に広がった魔法陣。それらはリルが一つ合図すれば白竜を貫く準備を終えていた。リルはひとつ息をついて、ゆっくりとこういいながら掲げていた腕を下ろした。


「太古の昔、三体存在したと言われる竜種の一匹である白竜よ。全ての生物に敵対視され、最後には自害にまで追い込まれた哀れな生物よ。全ての生物と適合すると言われるキメラの魂を吸収し、再び再生した、頂点の一柱よ。原初の七魔獣に名を連ねる存在よ」


 リルの口調は、今まで聞いたことの無いくらい、優しいものだった。


「今、眠りにつくと言い」


 リルの合図にしたがって放たれた氷塊は、次々と白竜の体をえぐり、削っていった。数秒もすれば、そこに残っていたのは白竜の角の一部だけだった。

 それを拾い上げたリルは、天を見上げながら、祈るように言うのだった。


「数千年にもわたる長き眠り。死ぬにも死にきれなかったその生涯。我は覚えておいてやろう。安らかに、そして永遠に眠るがいい、白竜よ」


 凍り付く世界の中で、一匹の悲しい生物がやっと、解放されたのだった。

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