貴族の屋敷

「さて、準備はいいか? ルナ女史」

「問題ないかの」


 ここ一週間ほどまともな睡眠をとれなかった主とかな嬢が眠りについた後、我はルナ女史と共に宿を出る。誰にも気づかれぬように影潜伏を使い影の中を移動。影潜伏は複数人同時に使用可能なので効果対象にルナ女史を加えて影に潜っている。感覚としては闇空間内と同じように視界の一部が外の景色となり、その他の視界が闇で覆われる、といったところだろうか。しかし一人で使うのと複数人で使うのでは差があるらしく、ルナ女史が隣に確認できた。同一空間内にいるためであろうが、この暗闇が少しばかり広くなったような気がする。


「ほう、これは何とも奇怪な現象かの。して、この状態でどのように移動するのかの?」

「移動は我の特許のようだな。影の続く道のりが視界に表示されるので、それになぞって空間ごと移動するだけだ。体を動かす必要はない。移動速度としては我が走るのと大差ないだろう」

「それはまた、面白いスキルかの。妾も欲しいくらいかの」

「恐らく貴女には適性がないのではないか? 月属性と影属性は相性が悪い故な」

「それは残念かの」


 そう言うルナ女史ではあるが、その表情から察するに然程興味はないようである。まあ、ルナ女史の場合こんなことをしなくてもより高速な移動が可能になるだろうからな。


 影潜伏をしている間は視界が制限されるうえに立体的な移動が難しいが、夜中の部屋の中ならば闇が濃いために素早く移動できる。

 夜道を月光を避けるように移動し、向かったのはこの街を治める貴族の屋敷。街の中心部に位置し、かなりの面積を誇る庭を持っている。あたりは五メートルほどの塀に囲われていることや、装飾や園芸の豪勢さからこの街の地主がいかに儲かっているかが想像できる。しかし羽振りが良く、祭りの企画や社会保障に力を入れており、民衆にも愛されているという。


 屋敷には警備の兵がそれなりにいるが、影潜伏を使っている間は姿はおろか気配を探ることも至難の業であるため、見つかることはまずない。月光の届かぬ壁を伝い、中に潜入する。警備の兵のことごとくを無視し、屋敷の壁際まで移動する。

 今宵はまず情報収集をしたいだけなので、無用な戦闘は避ける。国内に貴族の家が襲撃されたという問題が知れ渡ると、王城に潜入する際に厄介なことになりかねんのでな。


「ここで情報を集めればいいのかの? 然して、何処を探せばよいのかの?」

「書庫、隠し部屋、執務室を重点的に。決して見つかってはならぬぞ?」

「妾とてそこまで老いていないかの。たかが人の子程度に見つかるようなへまはしないかの」

「我もそこは信用してる。だが、念のために確認をしただけだ」

「左様かの? では、始めるとするかの」


 ルナ女史はその力故に何かあってもどうとでもなると考えていそうなので、釘をさしておく必要があった。魔術・精神Ⅹには扱いが難しいが精神を操作し記憶の消去、変更ができる魔法、スピリット・オペレーションがあると聞く。我では扱うことはできぬが、ルナ女史ならば扱えても不思議ではない。

 その上、最悪の場合ルナ女史を発見したものの存在自体をなかったことにする可能性もある。出来る、という確証はないが出来ない、と断言することもできないのがルナ女史の恐ろしいところだろう。

 しかし、こうやって釘をさして置けば無茶をすることもないだろう。


「では、ルナ女史には書庫を任せたい。問題あるか?」

「問題ないかの。任されたかの」


 ルナ女史と二手に分かれ、屋敷の中を探索する。ここから先はルナ女史を信用することしかできぬが、本人の優秀さを考えるに心配はいらないだろう。

 我は自分のことに集中することにして、闇空間門の特性を生かし、壁をすり抜ける。


 闇空間門は空中に門を出現させ、闇空間から出る際の門の位置をある程度移動できるというその特性上、特殊な魔法結界でも貼られていなければ壁を容易にすり抜けることが可能となる。音も魔力の発生も控えめであるため、人間ごときではまず気付かないだろう。

 気配察知で人間の位置を探りながら、見つからぬようにして気配察知で探り当てた秘密部屋に向かう。


 その部屋は地下に設置されているようで、一階の一室である応接間の暖炉の脇に積み上げられている薪の下に扉があるようだ。

 しかしそんなものは無視して隠し部屋の真上に立ち闇空間門を発動して潜入する。中は簡素なつくりで、床や壁は石レンガで覆われている。照明はついておらぬが、闇を生き場とする影狼の暗視能力をもってすればどうということはない。


 影狼とは面白い種族で、元の我の種族、フェンリルような狼系統最上位種のくせに、フェンリルや月狼といった種族と比べて驚くほど身体能力やステータスが低い。戦闘に役立つ権利やスキルをもって生まれることも少なく、フェンリル、月狼、影狼という狼系統最上位種三大巨頭の中では見下されることが多かった。その上フェンリルよりも発生する確率が低いため、ほぼ絶滅危惧種のような立ち位置にいる。

 しかし、死んだ時の保険としてたまたま生まれた影狼の体を選んで憑依したことで理解したことがある。


 この影狼の体は確かに弱い。司殿はレベルが見れるというので確認してもらったところ今の我のレベルは二十前後だったということなのだが、そのステータスは以前の体で一度だけ人間の持っていた魔道具で調べた際にレベル10だった時のステータスよりも低かった。ルナ女史との戦闘でも身体能力の低さを痛感した。元の体はすでに何百年もの時を生きており、老体と言っても差し支えなかったとはいえ、この体よりは軽かったし戦いやすかった。それこそ全盛期の我ならばルナ女史とも張り合えるほどだろう。


 しかしこの体は、ルナ女史の動きを目で追うだけで精いっぱいだ。目で終えることが辛うじてできたおかげで司水者を駆使して戦闘と言える域の争いができたものの、もしも司水者を使いこなせていなかったのなら刹那の間に抑えられていたはずだ。もしくは、あれだけの強さを発揮していても手を抜いていた、という可能性もあるのだが。


 閑話休題、この体は弱いのだが、スキルや種族固有の能力が優秀であることがわかった。闇空間門を操れる、影を操り相手を縛る、などなど。身体的特徴として闇に紛れる漆黒の毛皮や、高い暗視性能があげられる。

 暗闇のもとで活動するのに適した個体であるのは理解していたが、実際に使ってみると認識を改めざる負えなくなった。月に愛され、照らされるべき存在である月狼の対局。夜の闇に潜み、影の支配者として君臨する影狼。影狼の若い個体はすぐさま討伐されることが多かったのでこれまでその厄介さをお目にかかったことがなかったが、使ってみるとわかるものだ。影狼というのは、何とも面倒くさい種族である、と。


 まあ、何が言いたいのかというとこのような暗躍には適している、ということだ。


「さて、部屋の探索を始めるとするか」


 元の体ならばここまで到達するのに魔術・空間の空間門を魔力を大量消費しつつ来ることになっていただろう。魔法である空間門はスキルである闇空間門と違い、魔力消費量が多い。それに、移動は断然影潜伏のほうが魔力効率がいい。もしくは、正面突破だろうな。どちらにしても適していない故、今はこの体になっていることに感謝している。


 魔術・空間Ⅵで使える魔法、マジックハンドを利用して部屋の中を探索する。書物を重点的に漁り、その場で確認してく。重要そうな内容のものは魔術・精神Ⅶで使えるデビロピングを使って精神世界に保存する。容量が決して大きくないので、最重要項目に値するものだけを保存する。

数日間かけて調べればいいので、焦る必要はない。


この秘密の部屋に隠されているのは商業都市オリィにおける大規模貿易の履歴のようだ。ここ数十年の間に行われた貿易品の数々、その際にやり取りされた額などが記載された書が多くあった。

他にもこの街での財政や祭りでの出費、犯罪者の身元、この屋敷で雇っている者への報酬の履歴等のこの街における金の使い方や重要な情報が納められているようだ。


「ふむ、これは金銭感覚をつかむのに丁度良いかもしれぬ」


 重要そうだったのでデビロピングを使って精神世界に保存する。精神世界に保存することで瞑想のようなことが可能になり、その瞑想中に保存した物質の観察が可能になるというものだ。特に書物などの保存は効果的であり、書物を書き写せるのと同義となる。ここにある本程度なら数百冊の保存は可能だろう。

 大規模な貿易の記録だけを保存し、そのほかにも重要そうな情報を保存。残りは目を通す程度にする。

 数時間ほど地下室を漁り、かなりの情報を得た。精神世界に保存した書は帰って読み込むとして、次は執務室を目指すとするか。


 闇空間門で地下室を出て、二階へ向かう。執務室に闇空間門で入った時、屋敷に近づく気配を感じた。

かなり急いでいるようで、ドアを静かに開けはしたが、焦っているためか走ってしまっているためにかなりの音が響いてくる。その人間に気づいた兵士たちは一瞬警戒するが、止めることはしなかった。もしかすると、この屋敷の重要人物の一人なのかもしれぬ。

 そして、その人間はこの屋敷で最も広い部屋、恐らくこの街の地主の貴族の部屋へと向かった。


「夜中に報告か? かなり無礼な奴もいたものだ。いや、それだけ慌てているということか? まさか、我らの存在に気づいた?」


 だとしたらかなり強力な敵となるであろう。早々に立ち去ったほうが良いだろうか。そう考えていると、屋敷に入ってきた人間は貴族の部屋に勢いよく飛び込んだ。どれだけ貴族に親密であろうと本当ならば無礼と言われて切り捨てられるだろう。

 だが、それも恐れず部屋に飛び込んだ。つまり、それだけ重大な報告なのだろう。

 

 多少の危険を承知で盗み聞きしてみるとしてみるか。


「《ディメンション・ハック》」


 魔術・空間Ⅳで使える魔法、ディメンション・ハック。効果範囲内の音を聞き取ることができるため、この状況に適している。

 気配察知であたりの警戒をしながら、ディメンション・ハックで聞こえてくる声に耳を傾ける。


『大変です。悪魔の大群が街の周辺に出没しました』

『なに? 数と正確な位置は?』

『数は今もなお増え続けているかと。私が報告を受けた時点ではすでに二千を超えていたとのこと。位置はこの街の南三十キロほど。確実にこちらに向けて進行しているとのこと』

『どこからの報告だ?』

『リセリアルとの中継地点から魔導通信機で報告がありました。中継所はすでに壊滅状態で、悪魔の進行速度を考えれば一週間以内には到達するだろう、と』


 悪魔の大量発生、か。地獄門が発生した、というところだろうか。ここ周辺には二百年以上足を踏み入れていないが、それ以前に悪魔の大量発生は報告されていない。度々発生するデビルパレードといったところだろうか。

 我も三度ほど経験しているが、到底人間ごときが防ぎきれる規模ではなかった。デビルパレードの発生の報告ならば、あの人間の無礼さも頷ける。デビルパレードの対策は、国家会議よりも優先されると聞いたことがある。数千を超える悪魔の軍勢というのは、それだけ凶悪なのだ。


 まあ、地獄属性の悪魔たちならば、ルナ女史一人いれば数万を相手取っても苦戦もしないだろうがな。

 しかし、ユニーク個体が発生していないとも限らない。この街に向かってきているとのことだが、さて、どうしたものか。


『そう、か。早急に緊急避難を呼びかけろ。王都に連絡、騎士団の収集。私自ら戦場に立ち、殿を務めよう。この街は崩壊するだろうが、致し方ない。領民だけでも逃がすのだ』

『……畏まりました。迅速に対応いたします』


 そうして、その二人の会話は終わった。結局使者か何かだったのであろう人間はそのまま貴族の部屋を出ると、すぐに屋敷を出て行った。先ほどの会話からして連絡用の建物でもあるのだろう。そこを目指しているのだと予想される。


 これ以上ここにいると見つかる可能性が高そうなので、我らも立ち去るとしよう。


(ルナ女史、撤退するぞ)

(心得ているかの。成果の報告は帰ってからにするかの)

(わかった。合流地点は宿でいいだろう。万が一もあり得ないが、生還を祈っている)

(ありがたいお言葉かの)


 笑い交じりの思念を飛ばすという器用なことをやってのけるルナとの会話をそこで打ち切り、闇空間門で屋敷の外に出る。影潜伏を使い、塀を超え、夜道を進む。


 すでに周囲からはルナ女史の気配は感じられない。出現場所を見誤ったら危険だという理由で行きでの使用は却下した転移魔法を使ったか、もしくは純粋に走って行ったか。

まあ、どちらにしても危険はないだろう。


 しかし、思わぬ収穫があったものだ。さて、これからどうしたものか。

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