出発

(司殿、まずいことになったかもしれぬ)


 家に帰った俺に向けて、リルが唐突にそう語りかけてきた。

 その顔は真剣そのもので、とてもふざけているようには見えなかった。

 リリアはご飯の用意を始めているようなので、俺はかなを連れたってリルとリビングに向かう。

そこで腰を下ろして話を促した。


(二か月ほど前に、リリア嬢が大規模魔法を使ったのは知っているな?)

(ああ。そのあとすぐに転移魔法で帰らされたが、それがどうかしたのか? まさか、その時倒し損ねた相手が攻めてきているとかか?)

(いや、その時にいたやつら、人間をリリア嬢は仕留めたらしい)

(そうなのか? だったら何も問題なくないか?)


 あの時いたのが人間だったことに対する疑問とか、そのあとのリリアの行動に疑問が残るものの、それ以上に困ることなどないような気がするが。


(この世界の状況について何も知らないようだったので仕方ないかもしれぬが、これは大問題だ。これを境に人間との戦闘が始まるやもしれぬ)

(な!?)


 言われてみれば、確かにそうだ。人間とは現在休戦というか、様子見をしあっているような状況だとリルに聞いていた。そんな時にリリアが人間を殺してしまったのだから、人間軍がそれを皮切りに攻めてくる可能性は十分にある。


(だ、だけど、この世界樹で死んだって誰もわからないんじゃないか? だってこれだけ深くて、魔物の多い森だ。リリアがやったと気づかれることはないんじゃないか?)

(それがそうもいかぬらしくてな。その殺した相手がオレアスの使者のようだったらしいのだ)

(それは……やばいかもな。リリアたちに会いに行くことを目的にして出発した使者が帰ってこなかったら、そりゃあリリアたちに始末されたって真っ先に考えるよな)

(そういうことになるな。それに、何もやっていないとしらを切りたくても噓を見抜くスキルや魔法は無数に存在する。盗聴、読心術、話術、そのほかにも様々な方法で真実を見抜かれる可能性がある。リリア嬢が殺してしまったことが事実である以上、言い訳は通用しないだろう)

(だからリリアはあんなに怯えていたのか……)


 自分のせいで戦争が始まったとなれば、だれであろうと怯えるだろう。

 そして先日、二か月間迷っていた報告するか否かの決断を、報告するという結論で終え、報告しに行っていたのだという。そのため、俺たちが返ってきてすぐには家にいなかったらしい。


(それにしても、戦争、か。そうなるとリリアも参戦することになるのか?)

(最前線基地に在留する兵士たちの総指揮を与っているようだからな。当然、開戦された際には汚名返上という意味合いも込めて最前線に出ることになるだろう。我はリリア嬢が死ぬとも思えぬから、何の心配もしていないがな)

(それはそうだと思うけど……)


 確かにリリアは強いし、戦争に参加したからといって簡単には死なないだろう。だけど、万が一ということがある。もうそれなりに同じ時間を過ごしているのだし、その万が一を一度想像してしまったらいい気分にはなれない。

 だから止めたいのはやまやまなのだが、そんな権利がないのは分かっている。

 リリアが亜人や獣人で作られた軍の中で上位の立場だということは分かったし、責任ある立場なのだからそれを全うすべきだというのもわかる。

 しかし、リリアにだけそんな危険なことをさせるのを良しとしないくらいには、俺はお人好しだった。


(まあ、言いたいことはわかる。司殿なら、どうしたいのか)

(お、おう……それで? できることはあるのか?)

(なに、簡単な話だ。偵察、してこいという話だ)


 なるほど、偵察か。つまり俺が人間の国に行って情報を集めてくればいいんだろう。だが、してこいという話? どういうことだ?


(リリア嬢が人間の奴隷を買ったという話は、亜人の国の王も知っていたようでな。その人間を利用しろ、と仰せつかってきたようだ。だから、我はまずいことになったかもしれぬと思ったのだが、やる気のようだな)

(当然だ。リリアのためにできることがあるのなら、それが俺にしかできない事ならばなおさら、やるしかないだろう?)

(わかった。リリア嬢にはそう伝える。準備しろ、すぐに出発する)


 準備と言われても、特に用意するものはないだろう。


 俺の服はかなと同じアイテムだった。もしかするとこの世界に送られてきたものにはサービスされたのかもしれない。

 この服は体の大きさに合わせたサイズに変更できる上に、ある程度ならデザインを自分で変えられる。さらに魔力を籠めるだけで汚れを落とせるという優れものらしい。

 今の見た目は俺があっちの世界で愛用していたフード付きの黒パーカーと黒ジーンズだが、この世界に対応した服にもできるそうだ。人間の国に行ったらそれっぽい服装に変えるとしよう。


 そう言えば、かなは連れて行くのだろうか。


 そんなことを考えていると、ふいに後ろからリリアに抱き着かれた。

 そのたわわな胸元が後頭部に押し付けられ一瞬で頬が沸騰したような錯覚を覚えるが、堪能している場合ではなさそうだ。

 リリアは優しく俺の頭をなでて、悲しそうな表情で言った。


「―――――、――――お願いね


 俺はその言葉に歓喜した。絶対服従なんて使われなくても、もちろんやる。任された。

 俺は小さく笑って、俺を抱きしめるリリアの手を優しく撫でる。好きな人に頼られるというのは、こんなにも嬉しいものなんだな。そう思えた。

 黒江に何かやらされてもめんどくさいとしか思っていなかったが、もしかしたらどこか喜んでいたのかもしれないな。あいつ、今頃何やってるんだろう。


(司殿、詳細を説明するので歩きながら話そう)

(わかった)


 リルの声で現実に引き戻され、リリアから解放された。

 そして、俺達は出発することになった。


(というか、二人はついてきて大丈夫なのか? 人間の国に近づいた時点で追い払わせそうだが)

(我は闇世界に籠るか陰にもぐっていれば問題はない。かな嬢は耳と尻尾さえ隠してしまえば怪しまれることはない。その服はそういうことができる代物だろう?)

(それもそうだな。で? 具体的にはどの国の、どういう情報を集めてくればいいんだ?)


 唐突に決まった人間の国の偵察。それでも俺は慌てず、すべてをかみ砕いて話を理解していく。

 善は急げ、というわけではないがリリアのために急ぐというのなら苦ではない。

 それに、ゆっくりとやるのは性に合わない。やるべきことは早くやってしまいタイプの人間である俺は、意外と効率を重視する。

 どうせ移動時間がかかるのならその間に説明を受ければいい、そんな考えである。


(オレアスに向かう。そして軍事機密級の情報を集めて来い、とのことだ)

(軍事機密って……それなりに時間がかかりそうだな)

(それなりどころではない。数年の猶予を与えられているらしいので、気長にやるとしよう)

(数年!? そ、その間帰れないってことか?)

(はぁ……軍事行動を起こすのに、数日で済むと思うか? もちろん、仕事をこなせばすぐに帰還して報告をこなう。だが、そうはいかないのはわかるだろ?)

(っぐ……なら、仕方ないな……。頑張るよ)


 リリアのために頑張るのにリリアと会えないとは、悲しいものだ。だけど、俺の数年の努力でリリアが救われるのなら、どんなに報われるのだろうか。

 救われるも何も、リリアが死ぬとは思っていないがな。


 しかし、オレアスか。人間の国で最も人口が多く、軍事国家と恐れられる国。その王族は剣王の血を引いていて、皆優秀な剣士だとリルから聞いた。

 戦うとは限らないが、いざそういう時が来たら一対一で戦ってみたいものだ。俺の剣士としての立ち位置をしっかり知っておきたい。まあ、今は剣を持っていないのだがな。

 そんなものは人間の国で買えばいいだろう。……買う?


(リル、金はあるのか?)

(そんなものがあるわけないだろう? 現地調達だ)

(……何を売ればいいんだろうな)

(希少な魔物の素材でも持って行けば、ある程度は金になるはずだ。ドラゴンの肝などはポーションに使えたりするし、毛皮なんかも服にできる。それなら司殿らも問題なく集められるだろう?)

(そうだな。道中ちょうどよさそうな奴がいたら狩っていくか)

(もちろん、我にも出番をくれよ? そうでなければ体がなまってしまう)

(ああ、それくらいならいいぞ)


 リルの要求は、わかりやすく規模の小さいものが多い。態度と逆で高望みはしないタイプなのかもしれない。堅実で知的なイメージはあるから、そこまで意外ではないがな。


 リリアの家から出発し、森を進むこと数時間。すでに数十キロほどの道のりを進んだが、森が終わる気配はない。

 ここまでに大きな熊とか、人食い植物とか、凶暴な猿とかを倒して素材を集めてきた。全てレベルは30を超えており、それらの素材はそれなりのレア度があるのではないだろうか。

 それ未満のレベルのものはリルの気配に当てられて勝手に逃げていくし、特に問題なく進めている。

 まあ、リルが味方になっているのも考えれば、この森の中で苦戦することなんてほとんどないと思うけどな。リルよりも強い魔獣なんて滅多に出ないだろう。


 それが、フラグになっていた気はしなくもない。


(司殿、止まれ)


 冷たく低い声でリルがそう語りかけてきた。何事かと思い後ろを歩くリルを振り返ると、その視線は右手側に向いていた。

 俺もつられて視線をそちらに移すと、そこには赤い瞳をこちらに向ける一匹の銀色の衣を持つ狼がいた。

 銀狼か? とも思ったが、気配もその毛皮の輝きも明らかにこちらの方が強い。別格だった。


(我が眷属よ、ちぃとこちらに寄るかの。話をしよう)


 脳内にかけられたその言葉。恐らく、目の前の狼だ。その声は凛としており、威厳を放っている。

 脳に重く響き渡るその声一番に反応したのは、リルだった。


 滅多に表情も態度も変えないリルが、態勢を低く下げて毛を逆立出せる。そして低い声でうなる。


(……司殿、厄介な奴に絡まれた)

(知り合いか?)

(我らが祖先。最強にして最古参、最高の権威を持つ、月狼だ)

(月、狼?)


 知識としては、ある。銀狼が進化した種族で、フェンリルと並ぶ狼系の魔獣の頂点。月属性最強の魔獣で、月から受けるその恩恵は絶大。それは、生物の最高峰。そして、最古参の月狼となると――


(妾が直々に手ほどきしてやるかの、小童)


 そう、狼系の魔獣の原初。全ての狼を従える祖。世界最強の、狼。


 こちらを向いていた銀色の狼は、光に包まれた。その光は形を変え、やがて人型をとる。そして現れた和服のようなものに身を包まれた銀髪赤目の少女は、微笑を浮かべていた。

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