黒虎人

 かなは俺を抱えたまま家のまえで急降下する。かなりの高さがあった気がしたが、音一つ立てずに着地していた。猫科だから体が柔軟、とかそういうレベルではなかったぞ? いや、まあ異世界だし仕方ないよな。つい先ほどまでの戦闘を考えてみれば、こんなこと今更だろう。

 正直疲れたし、腹も減った。さっさと家に上がって休もう。


(ここはどこだ?)


 一人……一人? 一匹だけ魔術・空間で後を追ってきたリルがそう聞いてくる。


(ここはリリアの家だ。って言ってもわからないか?)


 個体名を言ってもわからないだろうと思い付け加えようとした俺の念話をリルはさえぎった。


(いや、わかるぞ? ハイエルフの女王だろう? 今は何代目だ? 我は三代目となら面識があるぞ?)

(え? そうなのか? だったら説明の手間が省けるな。その通りだよ。ハイエルフの女王の四代目だ)


 女王というだけあってそれなりの知名度があるらしい。リルはリリアのことを知っていた。


(しかし、この家には誰もいないぞ?)

(え!? そんなバカな!? ……ほ、本当だ……!)


 リルに言われて気配察知を発動したが、家の中に人影はない。リリアは出かけているのか?それとも俺たちを探しにどこかに行ってしまった?


(しかして、司殿とリリア嬢の関係は?)

(え? えっと、俺が奴隷でリリアが主?)

(そうなのか? 主従関係なのだろうとは予想していたが、制約内容は奴隷か。ならば問題はないのでは? リリア嬢からは司殿の居場所がわかるのだろうし、絶対服従があるだろう?)

(あ、それもそうか。絶対服従は遠距離でも効果があるから、何かあったら俺に帰って来いって命令すればいいんだもんな。ということはどこかに出かけてるのか?)

(そう考えて相違ないだろう。しかしそうなると困ったな。我はお邪魔してもいいのだろうか? 我とてハイエルフの女王に無礼を働くのは控えたいのだが……)

(そういう気遣いできるんだな……)


 だったらせめて服従している身なんだから敬語ぐらい使えと思うが。


(エルフ族との全面戦争などごめんだ。今の我では眷属召喚を使ってもそこまでの数の眷属は用意できない。この体にも慣れておらぬし、その四代目と一対一でも勝てるか危ういのだ)

(まあ、リリアはリリアでかなり強いからな)

(強いと言えば、かな嬢もかなりの強者だった。黒虎人など初めてお目にかかった。その上かなり上位の精霊を従える優秀な精霊使いだったとは、思いもしていなかった)

(俺もだよ)


 戦闘中にあそこまで強くなるとは思っていなかった。精霊完全支配、進化、限界突破。ありえないくらいの速度で成長してるよな。


(司殿も途中突然動きが早くなり、こちらは手痛い傷を受けた。最後の判断力と胆力も称賛に値する。数百年以上の時を生きる我だが、そなたほど合理的判断に長けたものはいなかった。誇るがよい)

(おお……リルにそこまで言われるなら光栄だな)


 数百年以上生きているというし、天災級と呼ばれるような魔獣に褒められるなどかなりの名誉だろう。自慢する相手もいないがな。当然のようにリリアやかなに対する評価のほうが高いようだし。いや、当然だとは思うが。

 あと、もうちょっと敬う気を見せろよ。服従しているくせにどうしてそこまで上から目線でものを言えるんだ。


(それと、家に入ってもリリアは怒らないと思うぞ。心が広いからな)

(まあ、そういうのなら上がらせてもらおう)


 リルはそういうと静かに家の扉をくぐり、中に入っていく。物珍し気に家の中を見回し、興味深そうに頷いている。


(これが植物完全支配の力か。末恐ろしいな)

(ん? 見るだけでわかるのか?)

(噂は聞いたことがあるのでな。簡単に推測はできる)

(なるほど……まあ、確かにリリアの力で作られた家だよ。だからいじるなよ? それは俺も庇いきれないからな?)

(我を何だと思っているのだ。阿呆ではないのだ、安心しろ)


 お前は俺を何だと思っている? お前は俺の従者じゃないのか? 態度がでかすぎるのだが? そんなことを言っても仕方ないのはわかっているので口は挟まない。


(かな、先に風呂に入るか? それともご飯にするか?)

(お風呂に入るからご飯作って?)

(……わかったよ)


 かなも傲慢になったものだ。リルの影響じゃないだろうな? だとしたら全力で更生しなければ。まあ、俺もかなのために尽くすのは嫌いじゃないというかやってやりたいまであるからやるのだが。

 お風呂はかなが自分で沸かせるので任せて、俺はサラダを作ってパンを取り出し、野菜ジュースを酌み……これは、果たしてご飯を作るというのだろうか。何だか違う気がするが、まあいいか。


(リルは何か食べるか?)

(我は勝手に食べてくるから気にしないでいいぞ)

(ん? 魔獣を狩るってことか? だったらかなの分も用意してやってくれると嬉しいのだが)

(自分でやれ)

(……服従ってさ、奴隷ほどじゃないけど命令権があるんだよ。どうする?)

(はぁ……わかった。それくらいの命令でいいのなら聞いてやる。ちょっと待ってろ)


 それでもな口調が上から目線なリルを見送り、俺は風呂にかなの様子を見に行った。


「かな~?」


 風呂の壁越しに声をかけるが、返事はない。


(かな?)


 念話を使ってみるも反応がない。これ、さては寝てるな?


(入るぞ~)


 溺れてもらっても困るので、俺は中に入ることにした。そのことを後悔するということを、俺はまだわかっていなかった。


「かな?」


 浴槽も木でできた自然味あふれるこの風呂場は、かなりの広さがあり、浴槽も露天風呂含め三つもある。そのうえ天然素材のシャンプーやボディーソープがあり、日本の温泉にも見劣りしない。

 まあ張られている水は魔法で出したものなのだが……。しかもそういう理由があるので俺が風呂に入る時には二人のうちのどちらかに頼まなければならないという、何とも悲しい現象が発生している。

 しかしそんなことは今はいい。問題なのは――


「か、かな? なの、か?……」


 ――浴槽につかる、その美少女のことだ。


 案の定浴槽につかりながら眠っている猫耳少女がいたのだが、俺が知っているかなではなかった。身長は百六十近くになっており、体も全体的にスラっとしている。手足も長くなり、顔つきも幼さが残るものの大人らしくなった。限界突破時のかなに似ているが、あの時のかなの方がもう少し背も高くガタイも良かった。

 簡単に言えば、成長していた、ということだろう。


 俺はバッと顔を背け、しんさんに怒鳴りかける。どうなってんだ!?


《黒虎人に進化したことにより身体が急速に成長したものと思われます》


 いや、だったらなんでこのタイミングなんだよ! 進化してからしばらくたってるぞ!?


《睡眠により成長を促進したためでしょう》


 寝る子は育つってか!? 限度があるだろ! と言っても現に成長しているのだし、これ以上しんさんに当たっても生産性はない。俺はいったん納得することにして、ここからどうするか考える。


 正直、すごく可愛かった。肌もつやつやで、綺麗な寝顔が愛らしくて、その柔らかそうな猫耳がそれらを引き立てていた。背的には高校生とさほど差がないというのもあって、なんとなく、そう、なんとなく、ムラムラするのである。

 いや、愛玩生物相手に発情とかありえないし? これはたくさん運動した後だから疲れてるからだし?それにかなをそういう対象として見てしまったら最後、今後の関係がどうなるかわからない。そんなことはあってはならないのだ。


 そう自分に言い聞かせて、とりあえず起こすのはやめてこの場を去ることにした。

ここにいたら自分が自分で無くなってしまう気がしたのだ。そしてキッチンに戻ると、すでにリルが返ってきていた。さすが天才級の魔物、仕事が速い。


(ん? 司殿、大丈夫か? 顔が赤いが?)

(え? あ、いや……かなの様子を見に行ったんだが、ちょっと風呂場が熱くてな)

(左様か。それで? かな嬢はどうしたのだ?)

(気持ちよさそうに寝ていたから、そのままにしたよ)

(まあ、あれだけの戦闘を繰り広げれば疲弊は仕方なし、よな。……そうだ。ほれ、戦利品だ)

(あ、ああ、ありがとうな)


 どうやらごまかせたらしい。何百年も生きていてもそういう感は鍛えられるのかもしれないな。で、リルが出してきたのは大きな肉塊。闇世界門は物の収納もできるらしく、空中に黒い穴が出現したかと思ったらそこから肉が出てきたのだ。もちろんまな板の上に置いてもらった。それを俺が包丁で切り、かなかリリアに焼いてもらうっていうのがいつもの流れだ。

 だが今はどちらもいないのでどうしたものかと思っていると――


(司、大変大変!)

(え? どうかしたか? か、なあぁっ!?)


 念話でかなの声が聞こえたと思ったら、浴室から繋がる廊下の方から足音がして、水を滴らせて一糸纏わぬ姿のかなが現れた。


(かな!? ど、どどどどどうしたんだ!?)

(あのねあのね、お風呂で寝ててね、起きたら体が大きくなってたの! 大変だよ、司!)

(ああ、大問題だ! とりあえず服を着ろ服を! 体も濡れてるしいったん落ち着け!?)


 というものの、恐らくこの場で俺が一番慌てている。リルなんて興味深そうにかなを見ているし、かなは驚いているのもそうだろうが嬉しそうでもある。おい、裸体を凝視するのはやめるんだリル。殺すぞ。

 リルは黒虎人に進化した際に起こる急成長に関心を抱いているのだろうし、かなは純粋に大きくなれたことを喜んでいるのだろう。子供の頃は俺も身体測定のたびにどれくらい大きくなれたかな? とはしゃいでいたのを覚えているのでと同じ感覚だろう。


 なんて、そんなことはどうでもいい。


 先ほどと違って全体像が、それも真正面から見えることで刺激が強すぎる。幼さが残る顔つきだとは言っても俺と同年代の体格で、それに加えて体とは違って成長していない胸元が、逆に背徳感を湧き上がらせる。

 って俺は何を考察しているんだ!


 そこで、リルの視線が俺に向いていることに気づいた。


(ほほう……さては司殿、さきほど顔が赤かったのは……)

(う、うっさいやい!)


 全く生意気な従者だなぁ!!

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