限界突破

 そして、フェンリルの姿が消えた。


「どこに……!? ―――――――フェイドアウト


 とっさに回避技を使う。一瞬視界がぶれて、技の発動を知らせてくれる。油断する暇もなく、正面から爪が降ってくる。


―――――カウンター


 何とか剣で受ける。相手の攻撃力が高かったからか完全には防ぎきれなかったが。というか、刃こぼれしたんですけど、生銀の剣。

 えー、最強だと思ってたんだけどな。なんて落ち込んでる暇もなく、一度態勢を崩したフェンリルが、再度踏み込んで俺にその手を振るってくる。今度は剣ごと破壊されそうだからカウンターは使えないし、魔力の問題でフェイドアウトは使えない。どうしたものだろうか。

 いや、考えている暇もないな。


 諦めよう――


(主様!)


 ――そう思ったとき、声が響いた。


 そして、その華奢な体が俺の前に投げ出された。鮮血が噴き出した。絶望が反転し、絶望へと変わった。絶望がひっくり返ったとて、希望があるとは限らない。そんな話を聞いたことはあった。だが、ここまでひどいひっくり返り方は、ないんじゃないか?

 かなの軽い体が、ポトっと軽い音を立てて地面に落ちる。それこそ、現実味がないくらいに、軽い音で。視界が白く染まった気がして、視界が赤く染まっていることに気づいて、目の前が真っ暗になった。


 俺が死ぬ、という絶望は、かなが死ぬ、という絶望にひっくり返った。俺が死ぬ、という絶望は受け入れられても、かなが死ぬ、という絶望は受け入れられなかった。俺の腕は震えていた。それは、恐怖により震えではなかった。怒りによる、震えだった。


 刃こぼれした剣を握り、ダッと踏み込む。一気に距離を詰め、剣を振るう。


――斬鉄


 ダメージを与えることではなく、固いものを両断する用途で使用される技。漢字表記の技は俺が使える剣術では真空斬と斬鉄の二つだけだ。そして、この斬撃は、フェンリルの皮膚すらも、両断する!


 怒りに染まった俺の表情を見て、冷静さを欠いたと思ったのだろう。余裕の表情を浮かべるフェンリルに向けて、剣を振り下ろす。確かに、この刃こぼれした剣では、俺の攻撃力ではお前にダメージを与えられないかもしれない。だが、その皮膚を切り裂いてしまえば、まだ可能性はあるんだ!


 星銀の剣の剣先がフェンリルの皮膚をかすめる。その分厚い皮は、だがしかしいともたやすく切り裂かれる。


「――――」


 驚きの声なのだろうか、フェンリルの口が大きく開かれる。しかし、そんなことを気にしている暇はない。俺は、追撃を放つ。


―――――――――デュアルスラッシュ


 傷口に二連撃を放つ。フェンリルのステータスを見ると、生命力が1200ほど減っていた。やった、やったぞ。俺の攻撃が、通用した。圧倒的上位者にたいして、俺の全力を出して、一矢報いたんだ。役立たずだった俺だけど、やってやったぞ。

 ブレイカーですら500しか与えられなかった相手に、1200ものダメージを与えた。

ここまでたくさんの狼を倒したし、思い残すことはない。かなが先に死んでしまったことは衝撃だったし、仇が取れないのは申し訳ないけど、きっと許してくれる。最後に、名前の一つでも呼んでほしかったな……


 ……ん? そう言えば、どうしてかなの念話が飛んできたんだ? レベル差があって、今は使えないはず。どうしてだろう。幻聴だったのだろうか。


 俺の不意打ちのような攻撃に驚いていたフェンリルはまともにダメージを受けた瞬間に牙をむき、懐に入り込んだ俺にその手を振り下ろす。結局わからないまま終わるのか。まあ、決して悪い人生ではなかった。最後に残すのは、黒江へ。幸せになれよ、だろうか。少し臭いが、最後にふさわしいセリフなのではないだろうか。


 フェンリルの腕が目の前に迫る。俺は、最後まで目を閉じない、そんな意気込みでじっと見つめていた。だから、見えたのだ。その瞬間が。


「え……」


 俺に向けて振り下ろされていたフェンリルの腕が、切り落とされていた。そんなわけはない。味方なんていない。俺に隠し玉があったわけでもない。何が起きたのか、わからなかった。いや、理解できなかった、のほうが正しいだろう。

 わかっていることはある。それは――


(大丈夫!?)


 ――俺を救ったのが、かなであるということ。ただ、いつものかなではなかった。身長が小学生くらいしかなかったかなが、今は百六十センチほどはある。それに伴って服装も変わっており、ワンピースタイプだった服が、ショートパンツとトップスになっている。どういうことだ?


《報告:『解析鑑定』にて対象の詳細が判明。表示します》


名前:コレスポンデンスクローズ

効果:装着者の変化に対応して形状が変化する


 つまり、常にオーダーメイド品に代わっていく服、ってことか。すごいな。かなはそんな服をどこで手に入れたんだ? いや、今はそんなことはどうでもいいか。どうして、かながあんなに動けるのか、今はそれが重要だ。

 胸元に大きな傷を負ったはずなのに、俺をかばうどころかフェンリルの腕を切断してしまうなんて。何があったというのだろうか。


《報告:個体名かなの進化を確認。種族が『獣人・黒猫人』から『獣人・黒虎人』へと進化しました》


 ……は? かなが猫であることをやめたっていうことか? いや、虎もネコ科ではあるが。でも進化したって、どうして進化したんだ?


《黒猫人の進化条件であるレベル40の達成を完了しました》


 マジかよ……いつの間に……。でも、どうやって? そこまで狼は残っていなかったし、レベル40になるには足りないと思うのだが……。


《地上で倒したダークネスファントムは先ほどまで瀕死状態でした。それが完全消滅したことにより、個体名かなのレベルが上昇しました》


 え!? あれ死んでなかったのか? ……いや、死んでいたら普通ダークネス・ホールも解除される? そう考えれば、辻褄はあうな。


あと、だったらなおさらどうして俺と念話ができるんだよ。おかしいだろ。レベル差があるからできないはずだが?


《個体名かなが進化に伴い『魔術・精神』を獲得しました。よって、念話が可能になりました》


 なるほど……ちなみに、かなのステータスはどうなっているんだ?


種族:獣人・黒虎人

名前:かな

レベル:40

生命力:39/4239(+2934) 攻撃力:6928(+4376) 防御力:5348(+2877) 魔力:1098/3726(+2764)

状態:制約:隷属(保留中)、限界突破

スキル:魔爪Ⅹ、魔牙Ⅹ、魔拳Ⅵ、精神強化Ⅹ、高速飛翔Ⅱ、魔術・精霊Ⅹ、魔術・精神Ⅲ、魔術・闇Ⅱ、精霊完全支配、精霊召喚、皮膚剛化Ⅲ、銀月、神速、水月華、闘気、自然治癒Ⅰ、魔力自動回復Ⅰ、物理攻撃耐性Ⅰ、魔法耐性Ⅰ、精神攻撃耐性Ⅰ、即死無効

権利:精霊使役権、自己防衛の権利、自己回復の権利、魔術使用の権利

称号:殺戮者


 何だ、これ。精霊による上昇値を抜いたかなの基礎ステータスが、ありえないほど増えている。攻撃力と防御力に関しては2000越えって……。進化って、すごいんだな、と思う。きっと、黒虎人は種族としての格が高いのだろう。


 スキルも権利も増えて、かなりの強化だ。生命力が残りわずかだが、ここからでも勝てそうだと思える。


《限界突破:個体名かなの固有権能。自分の残り生命力が全体の一割を下回った時に発動する。全ての基礎ステータスに上昇補正――》


 これは、俺がすっかり忘れていた、かなという名前に宿った固有権能。それは最近戦闘狂として目覚めそうなかなにぴったりな固有権能だった。


 これは……すごいな。なるほど、どおりでこれだけ動けるわけだ。俺は改めてかなに目を向ける。


 指先から肘まで、足先から膝までを猫の毛のようなもので覆い、野性味が格段と上がったその姿。手の爪も長く伸び、足も肉球がついているのか大きくなっている。先程までとは全く違うが、本気を出した感があってすごくいい。これからはこの姿で過ごすことになるのだろうか。愛らしさが減るのは悲しいが、これはこれでありかもしれない。


 そう言えば、限界突破の説明途中だったな。続きを言ってくれ。


《――。一時的に体が大きくなる》


 ん? つまり?


《個体名かなの今の姿は、『限界突破』発動による一時的なものです》


 な、なるほど……。え? じゃあ進化したから見た目が変わった、とかじゃないのか? 限界突破が解除されたら元に戻るのか?


《その認識で合っています》


 ……その言葉を聞いて、なんとなく安心してしまった。まだ二か月だが、あの姿に見慣れてきたところだったのだ。


 かなの声が聞こえるのはかなが魔術・精神を使っているからであり、俺からの声は聞こえない。だが、ある程度の意思疎通はできるのだ。俺は、剣を握る手に籠める力をより一層強くする。その剣先を片方の前足を失い、引きずるようにして後退していくフェンリルに向けて、叫ぶ。


「かな、勝つぞ!」


 俺の呼びかけに答えたかのように、かなが動き出した。

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