闇空間

《ダークネス・ホール:対象を闇空間に閉じ込める。防ぐ手段はない。発動準備中、すべての能力に制限がかかる》


 しんさんが教えてくれた、俺たちが使われた魔法の詳細。……これは、かなりやばいようだ。特に防ぐ手段がない、これはやばいだろう。チートにもほどがある。まあその代わり発動準備中にはすべての能力に制限がかかるという。恐らく、そのおかげでかなの魔法で一発で倒すことが出来たのだろう。あれだけの防御力があって一発で倒すのは普通に無理だろうからな。

 それにしても、困った。闇空間、というのは空間の狭間と言える場所で、抜け出すのはそう簡単ではないらしい。手札が少ない俺とかなでは、まず無理だろう。

 リリアに助けてもらうしかないわけだが、気づいてくれるだろうか。気づいてもらえなかった場合、どうなるのだろうか。先ほどから俺の周りを駆け回っているかなは戦力外として、どうすることができるだろうか。


(かな、いたずらに体力を消費するだけだぞ?)

(わかってる。でも、すごい。何だか見覚えがあるけど)


 闇空間と呼ばれるその空間は、いわゆる宇宙空間のようだった。足場なんてないはずなのに立っていられるし、呼吸ができている気はしないのだが苦しくはない。何かを見ているようで見ていないような気がする。

 全てが不思議な空間だ。魔法や攻撃が当たる気配はなく、ただ虚無に消えていくだけ。何もないこの空間では、やれることも少ない。それでもかなと一緒にいられているだけでもかなりましだろう。一人で何もない空間に取り残されていたら、いくら精神強化があるとはいえ狂ってもおかしくはない。

 それと、俺もかなと同じで何だか見え覚えがある気がするのだが、どこで見たのだったろうか。思い出せない。いや、多分実際に見たことなどないだろう。こんな不思議空間に来たことがあって忘れるなんて無理だ。デジャヴなんてよくあることだ、気にせずに行こう。


(主様、どうする?)

(ひとまず待ってみるしかないな。今できることは何もないと考えていいだろう。魔力を回復するために休憩して、不測の事態に備えるぞ)

(わかった)


 かなはそういうと、その場にすとんと座る。と思ったら四つん這いで動き出して、胡坐をかいて座っている俺の足元に寄ってくる。俺の足をペタペタと触りながら感触を確かめたのか、満足そうにうなずいて俺の足の中に丸まった。


(おい)

(懐かしい。何回か、こうやって寝たことがあった)

(あー、猫の時にあったな。そんなことより、かなり重いのだが)

(落ち着く。このまま、ちょっとだけ寝させて)

(……わかったよ。ちょっとだけだからな。俺の足がしびれてきたらたたき起こすぞ?)

(うん、それで……いい)


 脳に響く声が、やがて弱々しくなり、途切れたと同時に寝息が聞こえてくる。まったく、本当に寝るとは。

 

 こいつが子猫のころから、俺は面倒を見てきた。

 今も十分子猫だとは思うけどな。餌をやったり、遊んでやったり。今みたいに、俺の足の上でかなが寝てみたり。それなりに長い時間を一緒に過ごしてきたはずだ。学校が決して好きではなかった俺が、唯一学校に行こうと思える理由だった。俺が行かないと、腹を空かせてしまうかもしれない。そう思うと、自然と朝早く起きて、パンの切れ端を隠れて持ち出して、いそいそと登校したものだ。

 学校の給食の牛乳やパンも隙を見てはくすねてかなにあげていた。そんな日々が、結構長い間続いていたな。休日だって暇を見つけては学校に行き、一緒に遊んでいた。雨が降った時には、傘を持って家を出てあたりを探し、見つけてご飯をあげて、一緒に傘の下で丸くなっていた。そんな日々が、楽しかった。

 黒江が気分を悪くしてしまうくらいには、一緒にいる時間が長かった。

 俺の行動の不審さに気づかれて、何をしてるんだと問い詰められた時には、少しだけ焦ったな。普段怒ったりなんてしない黒江が、本気で怒っている様子だった。私に構ってよ、と言っているのだと考えれば可愛いものだが、最愛の家族に怒られていると考えると恐怖以外の何物でもない。必死になって説明して、中三の最後のほうではかなの居場所や好きなものを共有して、一緒に世話をしていた。

 そして俺が卒業を迎えた日。その日からかなの世話を黒江に一任していた。だから、久しぶりだ。だから、懐かしい。……ここに、黒江が混ざってきてくれたのならば、どれほど嬉しいか。この二か月とちょっとで、何度だって考えたんだ。あいつは、今どうしているのだろうか、と。でも、その答えはいつだって出なかった。


 この不思議空間にいると、なんとなく、どうしようもなく、センチメンタルになっていく気がした。精神強化、発動してないのかな。悲しさと、切なさと、苦しさと。乗り越えなければいけないものが、たくさんあることに、改めて気づいた。新しい世界に来て、不安でいっぱいになって、恐怖して、頑張って。何とか安定した生活を送っていても、頭から離れないであろう、元の世界でのこと。忘れてはいけない、大切な思い出。

 この不思議空間にいると、なんとなく、どうしようもなく、そんな大切な思い出を思い浮かべてしまう。元の世界との、繋がりを感じてしまう。今はその思い出に、繋がりに、浸っていたい。そう思った。


 それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。ずーっと虚空を眺めているだけだったが、時間はあっという間に流れて行ったと思う。その証拠に、俺の体は全身凝り固まっていた。足の感覚も、とうの昔に無くなっており、かなの体温だけが俺の手から伝わってくる以外は、体中の神経が麻痺していた。

 優しく、かなの頭をなでてやる。昔は背中を撫でてやっていたが、今は服を着ているので俺からしたら楽しくない。だが頭の毛だけはまだもふもふで、とても気持ちがいい。起こさぬように、優しく撫でていく。こうしていると、心が落ち着く気がした。荒んだ心が、ぽっかり空いた心の穴が、少しだけ治っていく気がした。


 ふと、リリアはどうしているだろうか。そう思った。探してくれているのだろうか。それともまだ家にいるのだろうか。結構な時間がたっているだろうと予想を立てることはできるが、この闇空間内部では時間の流れが違うとか、そういう可能性だってある。過信はできない。……あんまり、期待せずに待とう。そう思ってしまったのだ。


(何者かと思ったが、人間か?)


 不意に脳に声が響く。この感覚はかなとの会話に近いな。だが、かなは寝ているし、こんな男っぽい声ではない。その声は、なおも頭の中に響く。


(闇空間に閉じ込められているようだが、相手はダークネスファントムだな? あいつの気配が消えたので慌てて探してみれば、このような連中にやられていたとは)


 俺たちがダークネスファントムを倒したことを知っているようだ。気配が消えた、ということはダークネスファントムを常に警戒していた、ということだろうか。索敵系統の魔法かスキル、あとは念話系の魔法かスキルを持つ相手。そして、恐らくレベル50を超える相手。ブラックファントムをあいつとか呼ぶ時点で、実力には大差がないのだろう。そして何より、闇空間に干渉できる力がある。

どう考えたって、相手はただものじゃない。


(特別に、我のダンジョンに招待しよう。健闘を期待する)


 最後にそんな声が頭に響いた、次の瞬間。俺の視界は一気に明るくなった。先程までは闇空間だったが、今は石壁で作られた部屋の真ん中に、俺はいた。声は、ダンジョンと言っていた。ゲームなんかでよくあるやつだな。ボスにたどり着くまでの難関的なやつだと思われる。俺とかなは、そんな場所に送られたらしい。


(かな、起きてくれ……)

(ん……ここは?)

(ここはダンジョン。戦場みたいなものだよ)

(……わかった。起きる)


 かなもそのやばい雰囲気を感じたのだろう。眠気なんて一気に吹っ飛んだ様子で起き上がる。俺も凝り固まった体を伸ばしながら起き上がる。装備は、一応ある。魔力生命力共に全快。しかし敵の情報は、強いだろうということ以外にはない。圧倒的にアウェイな環境だな。


(何をすればいい?)

(……ボスを倒すぞ。それしかない)

(わかった)


 こんなところで死にたくない。どうしてか、そんな思いが渦巻いていた。

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