挿話 サリーの記憶

「ぎゃあああああ!」

 ルーシー・ミラーは絶叫した。全裸の体に、スタンガンと思われる電撃を受けたからだ。

 いっぺんに眠気が覚めた。とはいえ、意識は以前朦朧としている。もう何時間眠っていないのかすでにわからなくなっていた。

 もちろん逃げ出すことはできない。立ったまま左右に広げられた両手両足を鎖でつながれていたからだ。

「眠っちゃだめじゃな~い」

 目の前の女が笑う。サングラスをかけた黒髪の女。今ルーシーに電撃を浴びせたのはもちろんこの女だった。

 なぜ、あたしはこんな目に合う。

 こいつはいったい誰だ?

 最初はわかっていた。だけど、もうすでに思い出せない。

 延々と続く拷問と、ずっと眠っていないせいで、まもとな判断力がなくなっているためだ。

「あんたが自分の犯した罪を認めるまではね」

 あたしの罪? あたしはいったいなにをしたんだった?

 本気でわからなかった。なにを言ってもこの女は納得しない。そのうち、自分でもわけがわからなくなってしまった。

「あんたの名前は?」

「ル、ルーシー……」

 かろうじて自分の名前は思いだせた。

「で、あんたはなにをしたの?」

「アンダーソン家に侵入して……、アリスと父親を殺して……」

 言っておきながら、ルーシーはすでに半信半疑だった。

 自分は本当にそんなことをしたのか?

 この女は同じ映像を何回も見せた。アリスや母親がレイプされるシーン。父親が殴り倒されるシーン。これをやったのは、おまえと仲間で、最後には彼らを惨殺したと言う。

 そして同じ目に合わせてやると、何度も何度もディルドウで犯され、殴られた。

 終わりのない地獄に思われた。それが何度も何度も繰り返される。ろくに眠ることさえできずに。

 あたしは本当にこんなひどいことをまだ十代の少女にやったのか?

 あげくに殺した?

 それじゃあ、極悪人じゃないか? それはほんとうにあたしなの?

 この女はそう言い張る。だけどそれは真実なのか? もうわけがわからない。

「なにその顔は? なんか本当はちがうけど、あたしに無理矢理言わされてるみたいな……」

「ぎゃっ」

 ふたたび軽い電撃。体が酷直した。

「あんたはルーシー・ミラー。アンダーソン一家を破滅に追い込んだ世紀の大悪党。血も涙もない極悪人。変態のサディストにして人殺し。でしょ?」

「……」

 ふたたび電撃。ルーシーはのけぞった。

「でしょ?」

「ぎゃっ!」

 繰り返される電撃。

 ほんとうにあたしはそんな悪党なのか?

 だからこんな目に合うのも仕方ないのか?

 なんでこの女こんなに必死なの?

 なぜ同じことを延々と? 繰り返す。

 ルーシーの頭に疑問がこびりついた。もしかしたら、ぜんぶ嘘なんじゃないのか? こいつが作り上げた嘘話。

「なによ。ほんとはちがうと言いたいの? あたしが嘘をついているとでも?」

 女はルーシーの横っ面をひっぱたいた。

「なに、なんか文句あんの? だったら、電圧を最大限に上げて……」

「いや」

 なぜこんな目に合う?

 あたしはほんとにこんなことをやったのか?

 嘘だ。あたしはこんな残酷な女じゃない。

 あんなことができるのは、人間じゃない。

 あたしじゃない。

 あたしはやってない。

 こいつは嘘をついている。

 あたしをだまそうとしている。

 だからこんなに必死なんだ。

「あたしは……やってない」

 ルーシーは声を絞り出した。心からそう信じて。

「黙りなさい。やったことを認めないさいよ。自分が最低最悪の人殺し。なぶり殺しにされても文句の言えないレズのレイプ魔。最低のクズ、生きている価値のないゴミ。生まれてすみませんて謝りな」

 そのとき、何者かがふいにこの女に背後から近づいた。

 女もそれに気づいたようで、振り返る。

「ぎゃああ!」

 女が絶叫し、倒れる。その胸にはナイフが突き刺さっていた。

 あとからきた、謎の女がやったのだ。

「かわいそうに」

 謎の女はルーシーにささやいた。

 目の前で殺人がおこなわれたにもかかわらず、ルーシーは恐怖を感じなかった。

 このいやな女を排除してくれた。

 そう思うと感謝せざるを得ない。

 このままでは間違いなく頭がおかしくなっていただろう。

「これをお飲み。水と鎮痛剤だよ」

 謎の女の差し出した錠剤とペットボトルの水を、ルーシーはなんのためらいもなく飲んだ。

「痛みが安らぐだろう?」

 そう言われると、そんな気がしてきた。

「あ、あなたは……」

「サリー・アンダーソン」

 サリー・アンダーソン? どこかで聞いた名前だ。

「あたしは……どうして、こんな目に?」

「かわいそうに。あなたはこいつに洗脳されるところだったのよ」

 サリーは床に転がっている死体を見た。

「こいつは……」

「悪いやつよ。あなたはこいつに言われたでしょう? おまえは人殺しのルーシー・ミラーだと。一家惨殺をした極悪非道のサディストだと」

 サリーは首を横に大きく振った。

「そんなわけない。こいつは偽の記憶を植え付けようとしたの。あなたは誰も殺してない。レイプもしていなければ、襲ってもいない」

 ルーシーはそう聞くと、心がすごく軽くなった。

「その証拠に、ルーシーがどんな子供だったかわかる? 思い出せる? 思い出せないでしょう?」

 思い出そうとした。なにも出てこない。

 本当に少女時代のルーシーがなにをやったのか、ひとつも思い出せない。

「なぜならあなたはわたしの娘。マリア・アンダーソンなのだから」

 そうか。そうだったのか? だとしたら、この人があたしを助けに来てくれたこともわかる。

「さあ、思い出してごらん。小さい頃、あたしやアリスといっしょにニューヨークに旅行に行ったでしょう? そこでアイスクリームを食べて、レストランではビーフシチュー。おいしかったよね」

 ああ、そういえば、そんなこともあった。

「他にもいっしょにディズニーランドに行ったり、海に行ったり」

 そうね。そうだったよね。

 サリーは他にも、過去の思い出話をするが、ぜんぶ心当たりのあることだった。

「そうよ。あたしはマリアよ。ルーシーなんかじゃない。こいつにだまされるところだった」

 はっきりと自覚した。あたしはマリア・アンダーソン。

「そうよ。わたしのマリア。こんな目に合ってかわいそうに」

 サリーに抱きしめられ、思わず涙ぐむ。

 あたしはやってない。

 死んだ女にいわれたような残虐なことはやってない。

 それどころか被害者なんだ。

 被害者のマリア・アンダーソンなんだ。

 そう思うと、ルーシーは心から安堵した。

「お母さん」

「アリスに続いてマリアまで失うわけにはいかないわ」

 ああ、そうだ。もうアリスはいないんだ。

 あいつらに殺されて。

 そう思うと、怒りが……いや、殺意が湧いてくる。

「あたしはアリスを殺したやつらが、未成年だというだけで、たいした罪も問われないと思うと、悔しくて死んでも死にきれない」

 そうか、あいつらはのうのうと生きていけるのか?

 少なくとも死刑になることはない。

「あたしが殺す」

「やってくれるのかい、マリア?」

「もちろんよ」

「だったらあんたにいい人を紹介するわ。あんたに殺しの技を仕込んでくれる人をね」

「お願い」

 あたしはアリスと父を殺したやつらに対する復讐心で燃えていた。

 いつか必ず殺す。それまで、……震えて眠れ。


   *


 FBI捜査官、ボビー・マクレインは取調中サリー・アンダーソンの自供を聞いて驚愕した。

 サリーはルーシーを極限状態に追い込み正常な判断力を奪った。それを助けたふりをしつつ、薬物を飲ませ、暗示にかかりやすい状態にして、偽の記憶を植え付けたというのだ。それも今の記憶こそが植え付けられた偽の記憶だと偽って。

 もちろん、その小芝居の相手は本物のマリアであり、刺し殺したのはトリックを使った見せかけに過ぎない。

「だが今の話からすれば、ルーシーはやつらに復讐することをあんたに誓っている。そしてあんたが『お嬢様』を紹介した形だ。今のルーシーの記憶と矛盾するだろう。あんたはルーシーが殺しをやってることも、『お嬢様』から指令が出ていることも知らないことになってるんだし」

「そういう細かいことは後から修正したのよ。数々の矛盾点や足りない点は他にもいくらでも出てくるしね。何日もかけて補正していくしかない。最終的には、あやまってルーシーを殺してしまうが、『お嬢様』に助けられて、殺し屋として育成されたということに落ち着いたわ」

 サリーはうすらわらいを浮かべながら言う。

「ルーシーに自分をマリアだと思い込ませてからは早かったわ」

「それにしても恐ろしい洗脳技術だな。いくらそういうことを研究していたとしても、できるとは思えない」

「はじめてじゃないからね」

「なに?」

「わたし自身が若いころ、カウンセラーに誘導されて偽の記憶を植え付けられた被害者。両親を告発し、それがでたらめの記憶だったと知って自殺を図ったけど、死ねなかった。だから復讐することにしたのよ、そのカウンセラーに」

「いつのことだ、それは?」

「2010年ころの話だね。わたしは偽の記憶を植え付けたカウンセラー、ワンダ・ホワイトの娘、エマに接触して、洗脳したのよ。あんたの母親はあんたを子供のころ性的虐待をしたあげく、殺人者として育て上げる訓練をしていた。そしてその記憶を奪ったとね」

「そんな話を信じるとでもいうのか? エマが」

「信じたわよ。まあ、はじめてだから、いろいろ手間取りはしたけどね」

 なにげなくいうが、ボビーはこの中年女が心底恐ろしくなった。

 ボビーも1990年ころ、アメリカ全土で過去の虐待を思い出したと言って、両親を訴えた女性が発生したことは知っている。

 それがカウンセラーによって誘導された偽の記憶ではないかと言われていることも。

 サリーがその被害者だというのなら、カウンセリングによって偽の記憶を呼び起こすことは可能なのだろう。ましてやこの女は、それを狙ってやったのだ。復讐のために。

「そしてエマにワンダを訴えさせた。あいつは破滅したわ。ご丁寧にエマが無差別テロを起こして自殺するおまけ付きで」

 そうか、あの事件がそうだったのか。

「それでわたしの復讐は終わったけど、あのころはわたし以外にもでたらめなカウンセラーのせいで家庭を崩壊させた被害者がたくさんいる。彼らに変わって復讐を続けたわ。何件も同ようなことを、かつて『抑圧された記憶』とやらを引き出したカウンセラーたちに仕掛けたのよ」

 寒気がした。それは本当のことなのか? この女の妄想ではないのか?

「わたしは記憶操作のスペシャリストになった。そんなおり、今度はわたしの家が襲われて……」

 旦那と娘を殺された復讐を、やはり記憶操作でルーシーを操り、猪俣と羽田を殺させた。

 この女は復讐のため、他人の記憶をもてあそぶ……悪魔だ。

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