K3

 俺は赤井法律事務所のドアのノックすると、中に入った。

「息子が死んだばかりだというのに夜遅くまで残業ですか? 大変ですな、弁護士さんというのも」

 俺がそういうと、中にただひとり残っていた赤井健一郎は、エリート面をこっちに向けた。

「あ、あなたは?」

 俺のことを覚えていたらしい。赤井は心からの驚愕の表情を見せた。それともすでに警察から警告が来ていたからか?

「なんだ、覚えているのか、俺が誰なのか?」

「む、息子を殺した……」

 いきなりそれかよ? っていうか、もうそういうことになっているのか?

「な、なぜ、殺した?」

 殺してねえよ。そういおうかと思ったが、気が変わった。嘘だろうがなんだろうが、殺したことにしてやろう。ただの嫌がらせだ。それくらいの権利は俺にある。

「ほう? 一応そういうことを聞きたいのか。ほんとはやっかい払いができたと思って、ほっとしてんじゃねえのか?」

「し、失敬な!」

 だが、赤井の顔には動揺が走っている。図星をつかれたのだ。

 俺は知っている。こいつの馬鹿息子がどれだけこの男を悩ませてきたか。

 息子の赤井秀郎は、たんなるワルとか悪党というレベルのガキじゃない。生まれついての悪。しかも知能は親に似て高い。いや、それ以上だろう。

 なにをやるにしろ、良心の呵責というやつが起きないのは、おそらく先天的な欠陥だ。そういう意味では秀郎の精神は壊れている。いや、壊れていた。今はいないからな。

「なんせ小学生のうちからアメリカに留学させ、厄介払いができたかと思えば、向こうでも大問題を起こした。かといって帰ってきたら帰ってきたで自分を悩ませるのは間違いない。けっきょく高校を卒業するまでアメリカにいさせたが、戻ってきた頃は、もういっぱしのモンスターだ。そういう意味では、死んでくれて万々歳だ。もう二度と戻ってこないからな」

「黙れ!」

「隠すなよ。あんな息子がいたんじゃ、犯罪者の味方にもなるわな。とくに頭のおかしいやつ、それに未成年はなにをやってもオッケーだ」

「黙れといってるんだ。謝罪したまえ」

 赤井の顔つきが変わった。怒りに我を忘れている感じだ。

「謝罪? なんの冗談だ。本気でいってんのか? まさか俺が謝罪に来たとでも思ってんじゃないだろうな」

「……じゃあ、あんたはなにしにここに来たんだ?」

「なにって、決まってるだろう?」

 俺はポケットから、さっき白銀に投げつけられた逆さ十字を取り出した。

「おまえを殺すためだ」

「じょ、冗談はやめてくれ、刑事さん」

 赤井の顔は引きつっている。

「悪いが冗談なんかじゃないんだ」

 そういいつつ、俺はすでにそれが本気なのか冗談なのか単なる脅しなのか、自分でもよくわからなくなっていた。

 黒い逆さ十字を、赤井の顔めがけて投げつけた。

「な、なにを?」

 赤井は狼狽する。

「なあに、名刺がわりだ。これがないと始まらないだろう? といっても知らないか、あんたは。今までの殺人現場に、それが残されていたことを」

「いったいあんた、なにをいってるんだ?」

 赤井はデスクの電話に飛びついた。ボタンを三回押す。一一〇番したらしい。

「通じねえよ。外の電話線は切っておいた」

 焦った顔でスマホを取り出す。それをぼけっと見てるほど、間抜けじゃない。

 俺は赤井めがけて蹴りをくりだした。踵が顎にぶち当たり、赤井はひっくり返る。俺はそのまま、赤井のスマホを踏みつぶした。

「ひいいい。なにをする? 仮にも刑事なんだろ。どうしてこんなことをする」

「ははははは。たしかに本物の刑事だ。もっとも今ごろはまちがいなくクビになってるだろうな」

 なにせやつらにいわせれば、俺は人殺しらしいからな。

「目的は、……目的はなんだ?」

「おめえ、じつは頭が悪いのか? たった今いったばかりじゃねえか」

 俺は倒れている赤井を見下ろしながら、吐きすてた。

「な、なぜだ? なぜ私を殺そうとする。なぜ息子を殺した?」

「ん? そこまで警察に聞いてないのか?」

「……聞いてない」

 こいつの頭の中では、息子を殺したと刑事と、かつて自分が弁護した事件とが結びついていないらしい。

 ははん、さてはこいつ囮にされたな。

 俺をおびき出す餌にされ、外にいた警官が俺をしとめる気だったんだ。

 ほんとうのことを話せば、過剰に怯え、餌が逃げちまうかもしれないからな。

 残念だったな、警察上層部よ。身内の犯行をもみ消したかったんだろうがな。

 それはそうと、こいつが、俺が誰だかわからねえっていう事実は許せねえ。

「聞かなきゃそれすらもわからねえのか? 俺の顔をよく見ろ。思い出せ」

 赤井は俺の顔をまじまじとながめる。

「わからない。ほんとうにわからないんだ」

 俺は本気で頭にきた。

 こいつにとって、あの事件はその程度のものでしかなかったのか? それとも被害者の遺族など覚えるに足りないとでもいうのか?

「思い出せ」

 俺は脇腹を横から蹴った。

「うぎゃっ。やめて、やめてくれぇ」

「思い出したか?」

「ひいいい」

「くそ」

 また蹴った。このまま思い出すまで蹴り続けようかとも思ったが、それじゃあ死んじまう。こいつが自分の罪を自覚せずして死ぬのは我慢できなかった。

 だから教えてやることにする。

「頭のおかしいやつが刑事の家に乱入し、娘を殺し、女房を重体にした事件があったろう?」

「え?」

 この期に及んでもわからないらしい。それだけでもこいつに生きていく価値はない。

「小さい女の子の首を切り飛ばした殺人鬼だよ。そのこの首が、父親の真ん前でころころと転がったんだ。思い出したか!」

「そ、そういえば……たしか、コガ……コガ……」

 赤井はようやく思い出したらしい。

「じゃあ、あ、あんたは父親の……古賀匠こがたくみ……」

「そうだ。とんだ間抜けの刑事だ。女房は今も病室で寝たきりで、意識を取りもどさねえ。おまえはそいつを無罪にしたんだよ」

「だ、だが、あれは仕方がなかった。狂ったふりじゃなくて、ほんとうにおかしかったんだよ。責任能力が問えなかった」

「そんなことは俺の知ったこっちゃねえ!」

 こいつとは話しているだけで殺意が湧く。

「おまえらは加害者の人権ばかり主張する。被害者は? 被害者とその遺族の人権はどうなる。そんなものはどうでもいいのか?」

「やめろ。復讐はまちがってる。復讐はなにも生み出さない。復讐は……」

 怒りの限界に達した俺は、赤井の手を踏みつぶす。

「ぎゃあああ」

「貴様のようなやつが、俺たちのような人間を生み出すんだ!」

「お、俺たち?」

「頭のおかしい復讐鬼だよ」

「頭のおかしい復讐鬼?」

「そうだ。おまえの理屈じゃ、復讐は犯罪だ。復讐で人を殺せば、人殺しだ。たとえ、犯人が法で裁かれない狂った殺人者だとしても、……法がかわりに復讐を果たしてくれなくても、がまんしなくちゃならない。そうだな?」

「も、もちろんだ」

「だがよ。その復讐鬼が頭のおかしいやつだったらどうする?」

「え?」

「だからよ。家族を殺され、しかもそれを罪に問えないことに絶望して、頭が変になったやつが復讐したらどうなんだって聞いてんだよ。そのとき、おまえは誰の味方をする? 世間は? マスコミは?」

「狂ったふりをしたって無罪にはならん……」

「それが残念ながらふりじゃないんだ。俺には今でも見えるんだ。娘の首が転がる幻覚がな。何年も目を開けない寝たきりの女房に近づくと、目を開けて襲ってくるとしか思えないんだ。普通じゃないだろ? な? 俺は狂ってるんだ」

 パンチを上から振り下ろした。赤井の矛盾に苦悩した顔めがけて。

「もうひとりいるんだ。狂った復讐者がな。ぜんぶおまえのようなやつらが、俺たちを生み出したんだ」

 そうだ。もうひとりいる。白銀の馬鹿がなんといおうと、あれはマリアだ。あいつの仕業だ。やっぱり俺のわけがねえ。危うく白銀の野郎にだまされそうになったが、一瞬俺がやったような気がしかけたのは、完全に思い違いだ。

 ふたたび打ち下ろしのパンチ。赤井の体が痙攣した。

「責任取れ。責任取れ。俺たちのような化け物を生み出した責任を。その罪を背負って地獄に行け」

 俺は殴り続ける。

「やめてくれ。頼む」

 赤井が必死で哀願する。

 殴る。殴る。殴る。

 俺の手は真っ赤に染まり、赤井は悲鳴ひとつあげなくなった。

 それでも俺は殴るのをやめなかった。魂が安らぎを得るまで。

 ようやく満足した俺は、事務所を出る。

 しばらく歩くと、階段のところに刑事がふたり寝っ転がっていた。護衛についていたやつらだ。

 ふ、災難だったな、おまえら。殺さなかったのがせめてもの俺に残った正気の部分だ。もっともしこたまぶん殴ったが。

 こいつらが目をさます前に、俺は建物を出た。

 これで俺もいっぱしの人殺しだ。

 にもかかわらず、今なんの後悔もない。

 むしろ夜風が心地いい。

 そうだ。風だ。俺は殻を脱ぎすて、風になったんだ。

 俺は笑った。自由ってこんなにいいものだったのか。

 この調子で殺しまくってやる。頭がおかしいことを理由に、人を殺しても死刑になることはおろか、刑務所に行くことすらないやつらをな。

 それとも、白銀が言ったように、俺はすでに何人も殺していて、それを忘れているだけなのか? もはやどっちでもよかった。

 過去はどうでもいい。これからのことだ。

 俺はこれから、殺しまくる。

 まずは病院にいるあいつ。……愛を殺したあいつ。

 その次は、……マリアだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る