K2

 俺は通常の捜査から外れた。

 それに関しては、係長からも管理官からもとくにはなにもいわれなかった。とうぜんだ。俺はほんらいなら重症だ。

 とはいえ、体調が万全でないこともたしかだ。なにせあのとき、首にあらかじめ革製の防具を巻いていたとはいえ、ピアノ線で締め付けられたのだ。白銀が駆けつけてくれなかったら、俺はほんとうにあの場で死んでいただろう。マリアが焦ってとどめを刺さずに逃走したおかげでなんとか生きている。

 とりあえず、マリアが次にどう動くのかまるで見当がつかないため、会議のあとはマリアの家の前で盗聴しつつ、張り込みを続けてることにした。この前同様、近くに車を止め、その中に潜みながら。

 だが、張り込みを開始しても盗聴マイクからいっさいの音が漏れてこないことに気づく。

 部屋にいないのか? しかしこの時間ならいるはずだが……。

 マリアが家に帰っているのはまちがいない。現に部屋から明かりが漏れている。それとも電気だけつけて、下の階にいるんだろうか? あるいは故障か?

 それともまさか……気づかれたんじゃ?

 今は盗聴発見器が一般に売られているため、素人でも気づく可能性はある。

 ち、もし気づいたんならやりづらくなるな。

 さすがにもう新たな盗聴器をしかけるのはむずかしいだろう。仮に仕掛けても盗聴発見器を持っているなら、すぐに見つかってしまう。

 まあいい。それならまともな方法で張り込みを続けるだけだ。

 目視による張り込み。正攻法だ。

 おそらくきょうは動かないだろうが、それでも張り込みをするしか手はない。

 それとも赤井が死んだ今、もうやつの殺しは止まるのか?

 いや、そんなことはない。あいつは自分なりの正義で、これからも少年法で守られた悪党どもを殺しまくるはずだ。自分自身知らない、もうひとりの自分の人格に命令されてな。

 スマホが鳴った。モニターに白銀の名前が浮かんでいる。

「おめえ、俺に内緒でこそこそなにやってんだ?」

 こいつが勝手に所轄に昔のことを嗅ぎ回ってるのが、少々勘に障っていた。

『主任、じつはわかってしまったんですよ』

「なにが?」

『もちろん、この事件の真相です』

「な、なんだと?」

 俺は心底驚いた。

 俺が何年も追い続けたことを、こいつはたった一日で解決してしまったとでもいうのか?

 信じがたいが、こいつの声は自信に満ちあふれていた。

「もちろん犯人はマリアだな?」

『ちがいます』

「ちがうだと?」

『ええ、ちがいますとも。常識で考えてくださいよ。事件のトラウマを負った女が、謎の組織に拉致されたあげく殺し屋として訓練され、紙切れ一枚による指令で悪党を殺しまくる。ありえないでしょう? もし彼女自身がそう信じ込んでいるならそれは妄想以外の何物でもありませんよ。あなたはそれに振り回されているんです。やっかいなことにね』

「じゃあ誰だというんだ?」

『電話じゃなんですから、これから会いましょう、主任。今どこです?』

「マリアの家の前だ」

『じゃあ、近くの喫茶店にでも』

「しかし、俺はマリアを張り込み……」

『係長に話して、交代に誰かべつのものを向かわせますって。そこじゃ話しづらいことなんですよ』

「……わかった。どこにいけばいい?」

 白銀は店を指定した。

 なんなんだこいつの自信は? 係長に話して誰かべつのものを向かわせますだと? ぺーぺーのいう台詞か?

『じゃあ、そこで』

 白銀の電話は切れた。


   *


 俺は白銀が指定した喫茶店にいた。もちろん目の前には白銀が座っている。

 マリアの見張りを他の者にやらせるのはすこし抵抗があったが、今はこいつが思っている真相とやらのほうが大事だった。

「マリアは魔法なんか使っていません。アリバイが完璧である以上、犯人はべつにいる。じつに明確な答えです」

 白銀の顔には薄ら笑いすら浮かんでいる。

「誰だっていうんだ、そいつは?」

「あなたですよ、主任」

 俺は耳を疑った。なにをいってやがるんだこいつは?

「おまえ、正気か?」

「もちろんですよ。私はなぜあなたがマリア犯人説にあそこまでこだわるか、つねに疑問に思っていました。だけどあなたが犯人なら話はべつです」

「おいおい、どうして俺がそいつらを殺さなきゃならん?」

「もちろん、許せない悪党だからです。しかも少年法のおかげでたいした罪にはならない。だから天罰を下した。そんなところです」

 ほんとになにをいってるんだこいつは? そんな理由なら、俺は真っ先に娘を殺したあいつをこの手で殺している。

「いい加減にしろ。ふざけるにもほどがあるぞ」

 しかし白銀は俺のいうことを無視した。

「主任、あなたにとって犯人はマリアでなくてはならなかったんです。なぜなら、あなたにとって彼女は法で裁けないガキどもを殺す復讐者でなくてはならなかった。というより、そうであったほしいという願望に取り憑かれていますからね」

「な、なに?」

「でも彼女はやつらを殺してくれない。だからあなたが代わりに殺してあげたんです」

「おい、まったく意味がわからんぞ。おまえ、本気で頭がおかしくなったんじゃないのか?」

「いいえ、あなたはほんとうはそんなやつらより、娘を殺したけど精神異常で責任能力なしと判断されたあの男こそを殺したかったはずです」

 こ、この馬鹿野郎! 何様のつもりだ!

「だけど刑事だからできない。それがずっと葛藤になっていました。それによって、主任、あなた精神を病んでますね? たとえば、幻覚とかにとらわれてるんじゃないですか?」

「なんだと?」

 どうしてこいつにそんなことがわかる?

「気づいたんですよ。ときどき、この人には私に見えないものが見えてるんだろうなって。あなたの視線や態度を見ていればわかります」

 そんなに見え見えだったのか? 幻覚が見えていることが。

「だって、そのときの主任の態度や表情は尋常なものじゃありませんから」

 ずっと前から気づかれていたのか? まさか、さすがに娘の生首の幻覚ということまではわからないようだがな。

「そしてそれはきっとマリアも同じです。だからあなたは共感を抱きました」

 共感だと?

「そう、お互い、法により、充分な罰を与えられなかった相手に対する恨みと、それによる精神のゆがみ。まさに瓜二つです。だからこそ、あなたは自分にできない復讐を、マリアに望んだんです。でもその思いは伝わらなかった。彼女は殺しまではやらない。おそらく幻覚として見える死んだ妹に復讐を誓うだけで、じっさいにはやらないんです。それが歯がゆかった」

「だから、かわりに俺がやったというのか?」

「そうです」

 白銀は躊躇なく答えた。

「犯人がマリアだと言い続けたのは、べつに罪を着せるためじゃない。あなたにとって、犯人はマリアであるべきなんです。それが彼女のためでもある。マリアは、家族を失うことで心を病み、法で守られたクズどもを殺すヒーローでなければならない。だからアリバイがあろうと、犯人はマリアだと言い続けた。そしてその嘘を自分で信じ込んだんです」

「なんだと? じゃあ貴様は、俺が悪ガキどもをぶち殺し、それをマリアの仕業だと信じ込むことで、俺がやったことを忘れてしまったとでもいいたいのか?」

「そうです。そして一人目をやることで、自分にできないことをやるあこがれになった。だから二人目は躊躇しない。ますますあなたにとってマリアは自分にできないことをやるダークヒーローになった。ちがいますか?」

 そんなわけがあるか? あるわけないだろ? なにをいってるんだ、こいつは?

 あるわけ……ないよな?

 俺は自信がなくなってきた。なぜならこいつのいったことに、思い当たることがないわけでもないからだ。

 俺はマリアに憧れていた。

 認めよう、そのことは。だが、だからといって……、俺が代わりにやって、その記憶を無意識に消し去っているだと? そんなことがほんとうにありえるのか?

「いや、ない。俺は見たんだ。マリアは自分自身に殺しの指令書を送っている。おそらく無意識に。それに幻覚の妹と、殺しの話をしていたんだ」

「それはたぶんほんとうでしょう。指令書の筆跡が彼女自身のものだった以上、自分で書いて忘れていると考えるしかありませんからね。そんな状態なら、妹の幻覚と話をしていても不思議はないですし。きっと彼女自身、やつらを殺したのは自分自身だと思い込んでいるんですよ。あなたがやったとは知らずに」

「じゃあ、俺を襲った女は誰だ? おまえの推理だと、そんなやつはいないことになる」

 確かに暗闇だったせいで顔は見ていない。だがあれは間違いなく女だった。マリアでなかったとしたら、いったいあの女は誰だというのだ?

「あれは自作自演です。ひとりで暴れて、自分で首を絞めた。ピアノ線でね」

「ふざけるな。凶器のピアノ線はどこにいった?」

「私が処分しました。まあ、武士の情けってやつですね」

「なに?」

「見たんですよ、私は。主任が独り相撲をとったあげく、自分の首を絞めているのをね。だからこそ、この結論にたどり着いたんです」

 な、……なんだと?

 その一言は衝撃的だった。それは推理ですらない。見たというのだ。白銀の顔は、嘘をついているようには見えない。

 俺はそこまでおかしくなっていたのか?

「そしてこれです」

 白銀は俺に何かを投げた。キャッチして確認すると、それは黒い逆さ十字だった。

「こ、これは?」

「あなたの部屋から出てきたんですよ。それひとつじゃありません。十分な証拠でしょう?」

 馬鹿な? そんなことがあるはずない。誰かが俺を嵌めようとしているのか? それともほんとにこいつの言うとおり……。

「いっしょに来てください」

 白銀は立ち上がった。

「拒否する」

「認めるんですか? 自分が犯人だと」

「認めるわけねえだろ! 今がチャンスなんだ。マリアは油断している。俺が死んだという嘘のニュースがテレビで流れているからな」

「は? なにを言ってるんです? そんなことでできるわけないじゃないですか」

「上層部が判断したんだよ。フェイクニュースを流すってな」

「そんなニュースは流れてませんよ。妄想も大概にしてください。そんなことできるわけないじゃないですか? あとでどれだけマスコミにたたかれるかわかったもんじゃない」

 なんだと? それが妄想だというのか?

 いや、でたらめだ。こいつは俺を動揺させようとしているだけだ。

「おとなしく来てくれないのなら、逮捕するまでです」

 俺は白銀を殴りかかろうとした。その瞬間、がたりと周囲の椅子から男たちが立ち上がる。

 どうやら俺は取り囲まれていたらしい。

 テーブルを蹴った。奴らがひるんだその隙に、俺は喫茶店を飛び出した。

 ちがう。あいつのいってることはでたらめだ。

 手柄を焦りすぎて、わけのわからない妄想に取り憑かれている。

 犯人はマリアだ。間違いない。

 この逆さ十字も、俺に罪を着せるために、マリアが仕込んだんだ。おそらく白銀に変な入れ知恵をして。

 じゃあ、なぜ……逃げる?

 俺は自分自身の行動がわからなかった。だが、逃げ出さずにはいられなかった。あのまま白銀の話を聞いていたらそれこそほんとうに頭がおかしくなる。いや、もうおかしいのか? とにかく耐えられない。

 とりあえず、逃げる。あとのことは逃げ延びてから考えよう。

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