K1
今、会議室では赤井秀郎殺人事件についての詳細が、上座にいる係長によって今まさに説明されているところだった。本庁警部である係長は、ここでは実質的なナンバー2だ。ごつい体をした強面の隊長の風格を備えていて、管理官の下にいるのは内心おもしろく思っていないのは見え見えだ。がらがら声で事件の概要説明を終えると、さらに検死官から上がってきた情報も報告する。
「死因は絞殺。凶器はピアノ線と思われ、それが喉に食い込んでいた。それ以外に、顔面をかなり殴られている。死亡推定時刻は、昨夜の十一時から十二時程度の間。近隣住人の通報と一致する。そして現場にあったもうひとつの死体。これはやはり絞殺で、死後、腹と胸に弾丸をそれぞれ二発、計四発を受けている。おそらくこいつは護衛役の赤井の手下だ。死亡推定時刻は赤井とほぼ同時刻と思われる。以上だが、なにか質問は?」
質問はなかった。
「よし、次、鑑識」
係長の隣で議長を務める管理官が仕切る。本庁警視である管理官がこの捜査本部の実質的な責任者だ。いかにも切れ者風で、じっさい頭も相当いいらしいが、俺から言わせてもらえば、まだまだ甘さが目立つ。
「現場には数々の武器が散見しました。まずはグロック17。9ミリ弾使用の自動拳銃。これには赤井自身の指紋がグリップ、引き金だけでなく、中のマガジンや弾にまで付いていました。また赤井の右手からは硝煙反応が出ました。おそらく赤井が護身のために用意していたものと思われます。それ以外にも、ジャックナイフ。これも赤井の指紋が付いていますが、血痕はなし。犯人に刺すことはできなかったようです。それから玄関のところには竹をしならせてナイフが入ってきたものに突き刺さるような罠を仕掛けてました。わかりやすくいうと、映画『ランボー』とかでよくやるような対ゲリラ戦用の罠です。他にも窓のクレセント錠にはスタンガンの電流が流れるようにセットされていました。赤井は相当敵襲を警戒していたようです」
プロジェクターで現場の見取り図、続けて写真が映し出された。
赤井はアパートの一室に住んでいて、二階建ての一階。三個並びの一番手前で、となりは空き部屋らしい。部屋は十二畳ほどの居間と、奥に個室とユニットバスがある。犯行現場は居間のほうで、玄関ドアからすぐのところだ。
赤井は玄関ドアから中に向かって逃げるような恰好で、腹ばいになって倒れていた。首にはたしかに細いもので締められたあとがある。赤井の目は見ひらき、口からは舌がはみ出ていた。さらに背中には例の黒い逆さ十字が置かれてある。同一犯である証拠だ。鑑識からそのことに関する説明がされた。完全に同じものらしい。
もうひとつの死体はそのそばであお向けになって倒れていた。やはり首には絞められたあとがあり、さらに胸と腹に弾痕が四発。死んだあと撃たれたらしく、血まみれというほどでもない。
グロックとナイフはすこし離れたところに転がっている。さらに空薬莢があちこちに散乱していた。
「科捜研に鑑定を依頼した結果、死体から取りだした弾は、床に転がっていた銃と線条痕が一致。つまり赤井が撃ったと思われます」
「どういうことだ? もうひとつの死体は犯人じゃないだろう? どうして撃った?」
管理官がいぶかしげな顔で質問する。
「たぶん、犯人が死体を盾にしたんでしょうな」
係長がそういうと、渋い顔をした。
「つまりそいつは部屋の外で赤井を守っていたが、犯人に殺された。犯人は死体を盾にしながら、部屋に入ったってことか?」
「そう考えるのが自然ですな。部屋に赤井といっしょにいたんじゃ、楯にできないでしょうしね。つまり、赤井が武装しているのは、しっかり予測してたってことです」
鑑識の報告が続く。
「さらに現場から検出された指紋で、過去の事件と重複するものはありません。さらに毛髪、その他、DNAを検出できるものは、赤井のもの以外にいくつかありましたが、やはり他の事件と重なるものはありません。おそらく赤井の遊び仲間のものでしょう」
「だろうな」
管理官もそんなものに期待はしていないようだった。
さらに係長から報告がされた。そのふたつ以外にも死体は転がっていた。それも三体ほど。ただし敷地の外にばらばらに。赤井が配置していた手下を、マリアが片っ端から殺したんだろう。
写真を見る限り、いずれも十代の若いやつで、見るからに悪そうな男だった。いずれも路地裏などの目立たないところに転がっていて、死因は同じ。ピアノ線のようなものでの絞殺。もっともそっちには黒い逆さ十字はなかった。名刺は一枚でいいってことだ。
自衛のためとはいえ手下に自宅まわりを警備させ、拳銃を用意している時点で、赤井がまともなガキでないのは明らかだった。
「で、そいつらは誰なんだ?」
管理官がうんざりした顔で聞く。
それに答えたのは、聞き込み捜査をした刑事だった。
それぞれの名前をいっていく。俺にはまったく興味が湧かず、メモすらしなかった。
「で、そいつらはなんなんだ?」
「不良仲間のようです。赤井は表にこそ出ていませんでしたが、おそらく、そいつらのリーダー格ということのようですね」
「この前殺されたふたりもか?」
「おそらく」
「なんでそれが今までわからなかったんだ!」
管理官のかわりに、係長の怒りが爆発した。
それは報告している刑事というより、この場にいる全員に対しての言葉だった。しかし誰も答えない。答えられない。
管理官は年上の部下である係長を「まあまあ」となだめ、冷静に聞く。
「で、赤井はどんな悪事に手を染めてたんだ?」
それに応えたのは、現場にあったパソコンを解析した若いやつだった。
「赤井のパソコンには複数の女性のいかがわしい写真および動画のファイルがありました。おそらく、レイプしたとき撮影し、継続的に呼び出していたようです」
「それを自分のパソコンに入れてたのか? 大胆不敵だな」
管理官があきれ顔でいう。
俺もそう思った。なにせ、赤井は犯人の襲撃を予想していたのだ。銃まで準備していたのだから。殺しは正当防衛ですますとして、拳銃の不法所持や、レイプの事実はどうごまかすつもりだったんだ?
「やつは舐めてるんですよ。警察というより、法を。なにせ、親父は人権派弁護士様だ。なにやっても、もみ消してくれると思ってるんだ」
係長が不満をぶちまけた。
「人権派弁護士? あいつの親父は赤井弁護士か? 面倒だな」
管理官が顔をしかめた。
そのひと言が、俺の頬をぴくっと痙攣させる。聞きたくない忌々しい名前だ。
「正確にいうと、パソコンのハードディスクに保存していたのではなく、外部のバックアップサービス……クラウドを使って保存しています。もちろんパスワードは掛けていますが、まさか警察に破られないとは考えていなかったでしょう」
パソコン担当者が補足した。さらに具体的にどんな写真があったかを説明する。要は変態セックスの写真だ。たんにレイプされているものだけでなく、被害者同士で強要されたものもあるらしい。胸が悪くなった。
もっとも赤井自身は一枚も写っていないらしいから、どこかから不法に入手しただけともいいはれる。
「その女性たちの身元はわかったのか?」
「まだ調査中です」
担当刑事が答える。
「クスリは使ってるのか?」
鑑識が答える。
「すくなくとも現場には覚醒剤その他、違法ドラッグはいっさいありませんでした」
検死官の報告では、赤井の遺体からはドラッグは出なかったらしいが、他のメンバーからは覚醒剤が出たそうだ。ということは、被害者の女に使ってるのはまちがいないだろう。
つまり、赤井の馬鹿息子は、複数の部下を使い、素人女をさらっては薬漬けにしてレイプし、それを撮影して脅しのネタにして、レイプし続けたってことだ。売春だってやらせているかもしれない。どう考えたって、少年犯罪の粋をはるかに超えている。ほとんどやくざだ。
こんなガキは世に生まれてくるべきじゃなかった。今まで生きていたことこそがまちがいなのだ。
そしてそいつの親父は糞弁護士。なにが人権派だ。被害者の人権こそを敬え。
それにしても赤井の糞ガキが事件に絡んでいるとはうかつだった。
「目撃者は?」
管理官の問いに、現場まわりの聞き込みを担当した刑事が答えた。
「犯人が中に入るときの目撃者はいません。ただし銃声後、出ていくものを見たものはいます。犯人はジーンズに革ジャン。顔は目出し帽で隠していたようです」
「ち、顔はわからねえってか」
いらついた係長の声。
「黒井摩理亞の動きは?」
「はい」
係長に指名され、若い刑事が立ちあがった。違法とはいえ、俺が入手した殺害指令書の筆跡がマリアのものと一致した以上、警察としてもマークするしかなくなった。そして殺害時間、たまたま張り込みの担当をしていたのがこいつらしい。
「マリアは部屋を抜けだしたのか?」
「それが……、彼女は一歩も自宅から外に出ていません」
「なにぃ?」
俺は思わず叫んだ。
「玄関以外から、こっそり抜けだしたのを見逃したんじゃねえのか、てめえ?」
「いえ、それはありません。私はその時間、マリアの部屋の窓を監視していました。まちがいなくいたんです」
そんな馬鹿な?
「カーテンに映った影だけとかじゃねえのか?」
「いえ、カーテンは閉まってませんでした。はっきりと姿を見ています」
ありえねえ。またマリアは魔法を使ってアリバイを作りやがったか?
「マリアはシロか? となると、あの指令書とかはなんだ?」
管理官が暴走しそうな俺をにらみつけ、手綱を奪い返した。
ただ、……なんだといわれても、そんなことはありえない。
「ひょっとして似てただけでちがう筆跡だったんでしょうか?」
「いや、科捜研から正式に鑑定報告が来ている。両者は一致した」
係長が疑惑を否定した。
「コガネムシ、おめえ、なにか捏造したんじゃねえのか、俺たちを動かすために」
「ふざけんな。俺がそんなことするか!」
いいがかりをつけてきたべつの班の主任に怒鳴りつける。
「そもそも、黒井摩理亞には、昔自分の家族を殺した少年ふたりが同じ手口で殺されたときもアリバイがあった。その手紙だってタクの野郎がなにかやったんだよ」
その刑事は執拗に俺を非難する。
「たとえば、なにかまったく別の件で書いたものを、殺害指令書のように見せかけたとか、そもそもデジタルデータなのだから、フォトショップとかを使って加工した可能性だってある。ただ、今までは誰もそんなことを疑わなかったけどな」
「いいかげんにしろてめえ! そこまで仲間を疑うのか?」
「はん。てめえなんか、あのまま絞め殺されちまえばよかったんだ。下手に九死に一生しやがってよ」
「なにい。俺があのままマリアに殺されればよかっただと?」
「マリア? それほんとにそうなのか? 顔を見たのか?」
「暗くて顔は確認できなかった。だが組み合ったんだ、若い女の体だったのは間違いない」
「はん、それだけじゃ、マリアとは限らんな。っていうかおまえほんとに襲われたのか? おまえの自演なんじゃないのか?」
「てめえ」
「やめろ、おまえら。仲間割れしてる場合か!」
係長の仲裁でようやく場は収まったが、俺の気は晴れない。
ふざけやがって。
じっさい俺はもう少しのところで殺されるところだった。というより、死んだことになっている。すくなくともテレビではそう発表した。
もちろん、これは犯人、……つまりマリアを油断させるための作戦だ。俺ひとりの判断でそんなことができるはずもなく、ゴーサインを出したのは課長だ。もっとも課長にしてみれば、部下を犯人から守るためという意味合いのほうが強いのかもしれない。
まあ、あとで世間に対してどんないいわけをする気かは知らないが、そんなことは俺の知ったこっちゃねえ。
会議はさらに続いたが、俺はべつのことを考え出した。
マリアがどうやってアリバイを作ったかだ。しかし、名案はなにひとつ浮かばない。なにせ、あいつのアリバイをくずそうとしたのはこれがはじめてじゃない。何年も考え続け、いまだにわからない。
いつの間にか管理官から、今後の捜査方針が発表されていた。
赤井のパソコンに入っていた被害者の女性捜し。赤井の交友関係。現場まわりのさらなる聞き込み。それぞれの人員配置の割り当てが発表される。マリアの見張りは解除された。
だめだ、やっぱりこいつらぜんぜんわかっちゃいねえ。会議に出てきたのはまちがいだ。やはり俺は俺でやらせてもらうぜ。
会議が終わり、みながばらけていったあと、俺は白銀がいないことに気づいた。
「係長、白銀のやつはどこに?」
なにげなく聞いた。
「あいつは黒井家殺人事件、および、その犯人ふたりが殺された事件と主犯の失踪事件のことを洗い直してる」
「あいつが? 係長の命令で?」
「いや、あいつがぜひ調べさせてくれと、俺に直訴してきた」
正直、俺は驚いた。あいつはマリア犯行説など端から信じちゃいなかったからだ。
「今ごろ、担当した所轄署の刑事に話を聞いているはずだ」
「俺がさんざん話したのに?」
「おまえ以外のやつからも話を聞きたいんだろう」
俺以外のやつから話を聞きたいだと? いったいあいつはなにを考えてやがる。
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