A

 オレは用心深くなっていた。襲ってきた殺し屋をぶち殺す快感はもちろん味わいたいけど、反対にオレのほうがやられたんじゃしゃれにならないからね。

 夜間は外出しないし、昼間も極力部屋にいる。まあ、引きこもりのようだけどそう悪くもない。電話一本でどうにでも動かせる手下がいるし、その気になれば女を呼んでもいい。もっともそんな気にはならなかった。びびっているわけじゃないよ。オレにとって、すでにそれは退屈な作業でしかないんだ。

 こう見えてもオレは読書家なんだ。いい機会だと思って本を読みまくっている。それもくだらないエンタメ小説なんかじゃないよ。まあ、歴史に残る名作の数々ってとこかな。

 案外、そういう小説の主人公にこそ共感できるんだ。人間の心の闇を描いたものが多いからね。

 冒険だ、恋だ、セックスだ。もはやそんなものに心ときめいたりはしないよ。オレの知能は高尚だからね。つねに哲学的に人生を考えているんだ。

 それでも読書に飽きたら、ネットを通じて、奴隷化した女たちに破廉恥かつ理不尽な命令をし、それを写真に撮らせてメールさせて遊んでいる。実際に抱くより、そっちのほうがずっとおもしろい。最近飽きてきたとはいえ、人間を堕落させ、支配することは楽しい娯楽だ。

 でもまあ、そろそろやってこないかな?

 そういうと、用心深くなっていることと矛盾するようだけどそうじゃない。待ちこがれてるけど、けっして油断していない。そういうことだよ。

 警察はまだオレのところにたった一度事情聴取に来ただけ。それもまだ新人ぽい若い女だった。オレのことを疑ってるようでもなかったし、そのあと誰も来ていないから、真相に近づくこともできていないんだろう。ほんと無能なやつらだよね。

 警察が当てにならない以上、というか、最初から当てにする気なんかこれっぽちもないけど、オレは手下を常に部屋のまわりに何人か配備している。やつを近づけさせないためじゃなく、動きを見張るためだ。だけど、殺し屋はそれに気づいたのかもしれない。それだと殺し屋も手が出せないのか?

 だとすると、かなりがっかりだ。その程度ってことだからね。

 向こうから来ないなら、こっちから攻めることも考えなくちゃならない。なにせ正体はわかっている。

 黒井摩理亞だ。

 あの黒井家惨殺事件の生き残り、摩理亞が上田たちの学校の教師になっていると知ったときは、本当に驚いたよ。

 ずいぶん大人っぽくはなったみたいだけど、まぎれもなくあの摩理亞だった。

 あの女はきっと未成年犯罪者を殺すために教師になったんだろうな。

 とはいえ、女にあの上田を絞殺することはできそうにないから、おそらく背後から誰か屈強な男を操っているはずだ。

 残念ながらそいつが誰なのかはさっぱりわからない。

 だけど実行犯がわからなくても、指令している摩理亞を襲えば……。

 いや、だめだ。オレはあくまでも被害者で、正当防衛の末、殺さなけりゃね。

 だったら手下を部屋から離して誘おうか? だけど、そうすれば怪しいやつが近づいてきてもわからないしな。やつらはオレの目なんだし。

 もう夜も遅い。襲ってくるとすれば狙いごろだと思うけど……。

 ピンポーン。

 いきなりドアの呼び鈴が鳴った。

「誰?」

 誰かが近づけば手下からスマホで連絡は入るはずなのに、なにもなかった。

「誰だい?」

 もう一度聞くが返答はない。

 オレは弾丸の入ったグロックを握りしめ、玄関ドアまで歩いた。覗き穴から外を見る。

 ジーンズに革ジャン姿。顔には目出し帽を被っていた。

 こんな怪しいやつが部屋のまえまできてるってのに、手下どもはいったいなにをやってんだか?

「ちょっと待って」

 オレはそういいながら、ドアのサムターンを回す。施錠が外れた。

 わくわくしてきた。堪らない緊張感。

 グロックの銃口を向けながら、ゆっくりと下がる。

「いいよ、開けなよ」

 玄関ドアのレバーが下がる。ドアはゆっくりと外に向かって開いた。

 オレはそこに立っているやつめがけて、引き金を引く。

 二発、三発、四発。

 着弾とともにそいつの体はゆれ、血が飛び散った。

 だけどそいつは倒れない。

 そのとき、オレははじめて勘違いをしていたことに気づいた。そいつはさっきのやつじゃない。オレの手下だ。

 どういうことだい?

 どう考えても死んでいるそいつが、いきなりオレに飛びかかってきた。

 な、なんだ?

 オレはさらに弾をぶち込む。だがそいつは止まらない。ありえなかった。

 そのゾンビ野郎がオレに覆いかぶさった。

「うおおおお?」

 オレは必死でそいつを払いのける。

 玄関から入ってくる黒い影。このとき、オレはようやく気づいた。

 やつはあらかじめ手下を殺して、それを盾にしてたってことだ。こっちの反撃を予想していたらしい。

 手下が撃っても倒れないのはとうぜんだった。すでに死んでいて、後からやつが支えていたんだから。それをオレめがけてぶん投げたってことだ。

 殺し屋はすでに部屋の中に入りこんでいて、用意しておいた罠が使えない。

「野郎!」

 ならばこいつでしとめるまでさ。オレは再度、銃口を向ける。

 引き金を引いたが、当たらなかった。そいつの不規則な動きに狙いがつけられなかった。

 がつんという衝撃とともに、手首に痛みが走る。

 グロックは宙に飛んでいた。蹴られたらしい。

 殺し屋はさらに体当たりをかましてくる。

 体が浮いた。一瞬遅れて背中に衝撃。息が止まった。

 なぜか天井が見える。

 ぶっ倒れたらしい。やつがオレの上に覆いかぶさってくる。

 まずい。

 オレはポケットからジャックナイフを取り出す。ぱちんと刃を出した。

 だけど、それをそいつの体に突きたてることはできなかった。手首を押さえつけられたからだ。

「く、くそっ」

 目の前が真っ白になった。いったいなにが起こったのか理解できなかった。

 それがくり返される。三度目にようやくオレは殴られていることに気づいた。

 いわゆるマウントポジションを取られ、タコ殴りにされているわけだ。

 こんなはずじゃなかった。やつは待ち伏せしているなどと考えもせず、不用意にやってきて、無様に殺されるはずだった。オレは血まみれの殺し屋を見て笑う。初めての殺しを堪能しつつ。

 そうなるはずだった。どこでまちがった?

 やつのパンチはガンガンはいる。どんどん気が遠くなっていく。

 自由になる左手で必死で殴り返した。だがまったく効果はないらしい。やつのパンチは止まらない。

 だけど、オレはやつの目出し帽をつかみ取った。

 そこに現れた顔。悪魔のような形相だった。

 あれ?……こ、こいつ、見たことがある。

 一瞬、そう感じたが思い出せない。

 誰だ? 誰だ? 誰だっけ、こいつ? いつ、どこで見た?

 重いパンチが真上からたたきつけられた。

 もうなにも考えられない。

 オレは体を捩って、腹ばいになり、逃れようと必死だった。

 ぐいと首が絞まる。それも手で締めたわけではなく、なにか細いものを首に巻いた。

 ぎりぎりぎりぎり。

 締まる。食い込む。

 じょ、冗談じゃねえ。

 オレはそれを必死で外そうとした。しかし指はその細いものと首の間に入りこみすらしなかった。

 ションベンちびった。それでも締め付ける力はゆるまない。

 助けてくれ。死にたくない。

 死にたくない。死にたくない。死ぬのはいやだ。 死ぬのは……。

 力が抜け、意識が遠のく。

「死ね、赤井秀朗」

 そいつの声を聞いたとき、オレはようやくこいつが誰か思い出した。

 だけど、どうしてこいつが……? どうし……。

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