M3

 黄金崎の家に侵入したあたしは、音を立てないように気をつけ、ドアノブを回す。

 一歩廊下に出た途端、異変を感じた。真横から異様な殺気と風切り音。とっさに身をかがめる。

 がきんと上のほうで固いものがぶつかった音が響く。

 なんだかわからなかったが、すぐそこに人影がいる。

 待ち伏せされた。

 そう思った瞬間、あたしの体は勝手に前に飛び出していた。

 そのまま肘打ちを下から突き上げるようにぶちかます。うまい具合にみぞおちに入ったようだ。

 このチャンスを逃してはいけない。あたしは相手に襟首を掴むと、そのまま相手の足を刈った。柔道の大内刈り。相手は後方に倒れこむ。あたしはそのまま上に乗った。

 男は必死で腕を振りまわした。慌てずに両手首を掴み、それを制する。

 そのとき男の得物が木刀だとはじめて理解できた。

 そして顔をつきあわせ、そいつが黄金崎であることは暗闇の中でもはっきりわかった。

 黄金崎は渾身の力で上半身を起こし、木刀であたしを打ちすえようとする。しかし木刀は壁に当たり、反動で飛んでいった。

 しめた。

 あたしは顔面に上からパンチを入れる。

 ひるんだその隙に、ふたたびマウントポジションに入った。

 そのまま顔面にパンチを入れる。

 二発。三発。四発。

 黄金崎は手でブロックするが、かまわず入れた。

 しかしやつも必死で体を上下し、あたしをはね飛ばそうとする。こういうとき、やっぱり体が軽いのはハンディだ。

 黄金崎は脚を抜いたらしく、あたしの腹に足の裏を押しあてると、そのまま蹴りはがした。

 後方に転がりながら受け身を取り、立ちあがる。黄金崎も立ちあがっていた。

 しかもポケットからなにか取り出すと、ちゃらちゃらと振りまわす。

 バタフライナイフ?

 あたしは念のために用意しておいた伸縮式の警棒を取り出すと、伸ばした。こっちのほうがバタフライナイフよりも長い。

 黄金崎はだんと飛びこむと、一気に間合いを詰めた。ナイフの切っ先が飛んでくる。

 反射的にかわすと同時に、警棒で手を打ちすえた。

 そのまま上から黄金崎の頭をかち割ろうと、打ち下ろす。

 だがやつは首をふってかわした。驚くべき反射神経。

 しかし警棒は首に当たる。

 さらにとどめの一撃。そう思ったとき、黄金崎はナイフを派手に振りまわす。近づけない。

 腕の動きが一瞬止まったとき、あたしは手首に警棒を振り下ろした。ナイフが落ちる。

 そのままローキックをつづけざまに入れ、相手を床に這わせる。

 頭をかち割ってやろうとした瞬間、外から玄関ドアをたたく音がした。

「主任。主任!」

 それに気を取られた瞬間、黄金崎はタックルを仕掛けてきた。だが、とっさに膝でむかえ撃つ。やつはあお向けに転がり、動きが止まった。

 もう時間がない。あたしは警棒を捨て、ピアノ線を取りだした。

「死ね」

 黄金崎に馬乗りになり、ピアノ線を首に巻く。

 そのままいったん首を持ちあげ、そのまま床にたたきつけた。

 あとは締める。渾身の力を込めて締める。びくんびくんと男の体が痙攣した。

 居間からガラスが派手に砕け散る音。さっき玄関にいたやつがはいってくる。

 あたしは黄金崎の体が動かなくなったことを確認すると、ピアノ線を外し、かわりに黒い逆さ十字を体の上に放り投げた。

 居間から駆けよってくる足音。あたしは入ってきた部屋に戻り、そのままガラスのはまっていない窓から外に抜ける。

「主任。黄金崎さんっ!」

 廊下から悲痛な叫び。聞き覚えがある。いつも黄金崎といっしょにいた若い刑事だ。

 あたしは隣との境界の塀を乗りこえ、いったん隣の敷地に入る。そのまま音もなく走り、さらに向こう隣の家の敷地に潜入。

 そのまま道路に誰もいないことを確認し、外に出る。あとはなにげなく歩き、バイクまでたどり着いた。

 誰もあとをつけていないことを確認すると、バイクのエンジンを吹かした。


   *


 危なかった。

 あたしは自分のベッドの上で大の字になりながら、一息つく。

 まさか、待ち伏せしているとは考えもしなかった。運が悪ければ、最初の木刀の一撃で倒されていたかもしれない。

 だけど冷静に考えてみれば変だ。あれは用心していたとかそういうレベルの話じゃない。黄金崎は明らかに、あたしがきょう襲いに行くことをあらかじめ知っていた。

 どうやって?

 標的が黄金崎だということは、あたし以外では「お嬢様」しか知らないはずなのに。

 なにかが、……なにかがおかしい。

 強烈な違和感。だが、それがいったいなんなのか、思い浮かばない。

 しばらく考えて、ようやくあることを思いついた。

 下見に行ったことがばれた。

 そう、あたしは黄金崎の家を下見し、しかも隣の主婦に話を聞いた。そのとき、黄金崎は近くで様子をうかがっていたのかもしれないし、あとからあの主婦に話を聞いたのかもしれない。口が軽そうな女だったから、案外「若い女のジャーナリストが来て、昔の事件のことをあれこれ聞いてたわよ」なんて、平気で黄金崎に告げ口したのかもしれない。

 うかつだった。

 ミスは認めるにしても、それでもなにか釈然としない。

 なにかを、……なにかを見落としている気がする。

 なんだ、なんだ、なんだ?

 わからない。なにか重大なことに気づいていない。あるいは勘違いしている。そんな気がしてならない。こんな気分ははじめてだ。

 びしっ、びしっ!

 鳴り響く空間を砕く音。霧状の黒い闇とともに血まみれのアリスがやってきた。例によって中空に浮いている。

『なに浮かない顔をしているの、マリア。首尾よく黄金崎は殺せたんでしょう?』

「まあね。でもあいつ待ち伏せしてた」

『待ち伏せ? マリアが来ることを知ってたの?』

「そう、知っていたの。たぶん、下見に行ったとき、見られたか、あとから近隣の人に様子を聞いた」

『マリアらしくもないドジね』

 アリスは口元をゆるめた。

「まあね。でも、ほんとうにそれだけなんだろうか?」

『なによ、マリア。なにか気になることでもあるの?』

「わからない。……よくわからない」

『なによ、それ?』

「なにかが変なのよ。でも、それがなんだかわからない」

『ただの気のせいでしょ? 考えすぎなのよ、マリアは』

「そうかも……しれない」

 自分でももうわからなかった。

「ねえ、アリス。あたしはいつまでこんなことをくり返さないといけないの。あなたはいつになったら消えてくれるの?」

『もうすぐだよ。もうすぐ終わるから』

「もうすぐ終わる?」

『うん、きっと「お嬢様」だってそう考えてるはず。赤井秀郎さえ殺せば、きっとマリアを解放してくれるよ』

「赤井秀郎。前から思ってたけど、そいつなんなの? アリス、あなたとどういう関係があるの?」

『それは秘密。でもすぐにわかるよ。すぐにね』

「アリス。あなたはどうして『お嬢様』の考えてることがわかるの? あたしよりもずっと正確に」

『さあ、どうしてかな?』

 アリスは笑った。

『でも、わかるんだよ、マリア。マリアにだってほんとうはわかってるはずなのに』

 そうなのか? たしかにアリスはあたしの作り出した幻覚。アリスにわかってることは、あたしにだってわかってなくちゃいけない。それが理屈だ。

 でも、あたしにはわからない。「お嬢様」がなにを考えているのか? 正直、さっぱりわからない。

「ほんとうに赤井秀郎を殺せば、あたしは解放されるの?」

『うん、解放されるよ、きっとね』

 ほんとうなのか? それほど赤井秀郎とは重要な人物なのか? そいつはいったい何者だ?

『じゃあ、きょうは帰るね』

 そういって、アリスは闇とともに煙のように消え去った。

 ものすごい虚脱感が襲う。立ちあがる気力もない。このまま寝入ってしまいたかった。

 だが、幸か不幸か、あたしは机の上に封筒が置かれてあることに気づいた。

 指令書。

 なんて人使いが荒い。たった今、ひと仕事終えたばかりなのに。

 気がのらなかったが、気力を振り起こし、のろのろと立ちあがった。

 机まで歩き、封を切る。中から出てきたのは、いつものように黒い逆さ十字、それに手紙だった。


『次のターゲットは赤井秀郎

お嬢様』


 他に赤井秀郎の写真が同封されている。

 その写真はまだ十代と思われる少年が写されていた。

 不良や犯罪者というより、まるで芸能人のような美少年。さらさらの髪に、意志の強そうな美しい目、形のよい鼻、きりっとした口元、尖った顎、色白の肌。体型はむしろ小柄でそれがなおさら男より少年を強調している。服装もみょうにおしゃれで、派手すぎないシャツをうまく着崩していた。

「この子が赤井秀郎? この子を殺す?」

 ほんとうに悪党なんだろうか? もし、そうなら、札付きの悪党にちがいない。

 見るからに悪そうなのは、意外と小物だったりする。普通っぽくて、頭もよく、女にもモテるやつに、意外と性根の腐ったワルがいたりする。こいつもそうなのかもしれない。

 そう思ってみれば、一見さわやかな笑顔が、邪悪な笑みに見えたりもする。

 あれ? この顔、どっかで見たことがあるような……。

 なんとなくそんな気がした。そう思えば思うほど、この顔が悪魔めいて見えてくる。

 いつ、どこで見た?

 いくら考えてもわからなかった。

 家族が襲われた事件とは無関係のはず。逆にルーシーたちの背後にこいつがいたとしても、あたしには知りようがない。

 そもそもこの若さからして、あの事件のときはまだほんの子供じゃないか。

 じゃあ、ぜんぜんべつの件だろうか?

 しかし、それらしいものがなにひとつ思い浮かばない。

 赤井秀郎。この名前もかすかに聞き覚えがあるような気がしてきた。今までずっと知らない名前だと思いこんでいたのに。

 ……気のせいだろうか? たんなる既視感デジャヴなのか。

 ものすごく気になった。さんざん思い出そうとしたあげく、ついにはあきらめた。

 まあ、いい。思い出せないってことはたいしたことじゃないってことだ。

 それより、ほんとうにこいつを殺せば終わるんだろうか?

 指令書には書いてない。アリスがいっているだけだ。

 しかも今回はターゲットの住んでいる住所が書いていない。あとから知らせてくるのだろうか? それとも居場所がまだ特定できてない? あるいは遠方にいて『お嬢さま』がおびき出すつもりなのかもしれない。今までになかったパターンだ。

 写真を頭にたたき込み、指令書とともに焼いた。

 ベランダに出て、灰を捨てる。

 そのとき、外の電柱の影に誰かがいた。

 あたしがそっちを見ると、こそこそと逃げていく。

「誰?」

 もちろん、そいつは答えない。顔も見えなかった。だが、体格からして男だ。それもけっこうがっちりしている。

 あたしは混乱した。黄金崎は死んだ。あたしが殺したのだ。

 いったい誰だ?

 あたしは恐ろしさにおののいた。黄金崎でないとすれば、他の刑事だ。それ以外に考えられない。

 きっと、もはやあたしを疑っているのは、黄金崎ひとりだけではなく、捜査本部の総意なのだ。

 まずい。

 ひょっとしたら、あたしが夜中に玄関からではなく、雨どいを伝ってベランダから中に入ったことまで、見られていたかも。

 となれば、容易に黄金崎殺しに結びつけられそうだ。アリバイがないどころか、夜中に誰にも知られないように外に出たことがばれたのだから。

 そればかりか、……そればかりか、ひょっとして、あいつらはこの部屋を盗聴してたんじゃないだろうか? 盗聴の電波はそんなに飛ばないから、盗聴している間は近くに潜んでいると聞いたことがある。

 だとすれば、黄金崎が待ち伏せしていたのもとうぜんだ。アリスとの会話を聞いたのだ。

 そればかりか……、今の会話まで聞かれた?

 まずい。まずすぎる。今度こそ、大勢の警官がターゲットの回りに隠れて張り付くかもしれない。

 だが、やらなければならなかった。

 アリスの言葉を信じるなら、赤井秀郎さえ殺せば、自由になれるのだから。

 アリスの言葉さえ、信じられるのならば……。


   *


『……ニュースです。きょう、未明、○△市の住宅地で殺人事件が発生しました。被害者は黄金崎拓也警部補三十七歳。黄金崎さんは夜、自宅に戻ると待ち伏せしていた何者かに首を絞められて殺害された模様です。犯人は窓ガラスを割って侵入した模様で、事前に黄金崎さんに狙いを絞り、下調べをしたと思われます。

 黄金崎さんは現在一連の少年殺人事件を担当していました。犯行の手口等から、黄金崎さんを襲った犯人は、連続殺人事件と同一犯ではないかと警察では見ているようです。……』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る