K2

 きょうは昼過ぎまで眠り、英気を養ったあと、襲撃に備えることにした。

 今、自宅の居間の隅にいる。ただし、電気もつけず、暗闇で息を殺しながら。

 大振りのナイフを足首に、小型のバタフライナイフをポケットに仕込んでいるのは、きのうと同じだが、さらに手には木刀を持っている。闇にまぎれるよう黒っぽいやつだ。

 まだか?

 まだ、ほんの数十分しか経っていないが、もう何時間もこんなことをしているような気がしてきた。

 電話が鳴った。スマホではなく、家の電話。

 もちろん出ない。だが、念のために足音を忍ばせ、電話に近づくとモニターに浮かんだ相手の番号を見る。知らない番号。

 マリアだ。

 家のまわりを観察し、電気が消えているのを見て、寝入っているのか、まだ帰っていないのかを確認しようとしている。

 時計を見ると、十時半を過ぎていた。この時間に眠る大人は少ない。

 コールは切れた。マリアはまだ俺が帰ってきていないと思うだろう。

 さあ、来い、マリア。

 俺の目は暗闇に慣れ、窓から入るわずかな灯りでも、人影くらいわかる。もっともマリアも忍びこむ際にライトなどは使わないだろう。

 マリアは下調べをしているだろうし、だいたいの間取りはわかるはずだ。入るとしたら、どこから来るだろうか?

 居間か、風呂か、寝室か?

 もっともふたつある個室のうち、どちらが寝室かまでは外から判断つかないだろう。

 まあ、どこだっていい。だが、物音は聞き逃すな。

 俺は耳に神経を集中させた。

 それからおそらく何分も経っていないだろう。ぱりんとガラスの割れるかすかな音がした。

 どこだ? 廊下の向こう側。たぶん、寝室だ。俺は足音を忍ばせ、廊下に出ると、しずかに寝室の前までいった。入り口ドアに耳を当てる。

 何者かが入ってくる気配は感じられない。

 一瞬、隣の部屋とまちがえたかと思ったが、そうじゃない。クレセント錠にワイヤーを巻き付けていたことを忘れていた。きのうは、侵入を阻止するつもりだったのだ。

 ちっ。まずいな。

 ここであきらめて帰られると、面倒だ。この場で決着をつけてしまいたい。

 だが、それはマリアも同じ考えだったらしい。ぱりぱりぱりんと、小さいが連続してガラスが割れる音がした。窓を開けることをあきらめ、ガラスを一面ぜんぶ割ったらしい。

 すとん。

 かすかに何者かが床に舞いおりる音。その後しばらくは無音だった。きっと部屋を見まわしている。誰もいないことを確認しているのだ。ドアのすき間から灯りはもれてこない。電灯のスイッチを入れる気はないようだし、懐中電灯も用意はしているだろうが点けない気だ。やはりこういうことには慣れていやがる。

 人の気配を感じず、安心したのだろう。しばらくすると、押し殺した足音がドアに近づいてくる。

 いやがおうでもあのときのことが思い出される。あのときはこのドアを開けると、血まみれの妻が倒れてきた。そして、愛の首が……。

 強く頭を振る。今はそんなことを考えてる場合じゃない。

 このドアを開いても、妻はいない。

 狂った殺人鬼は……、そいつはいる。ただしべつのやつだ。

 だが、同じだ。どっちだって同じだ。ぶちのめすべき殺人鬼に変わりはない。

 俺は体をドアからすこし離すと、ゆっくりと持っていた木刀を振りかぶった。上段の構えのまま、止める。

 足音がドアの向こう側で止まった。しずかにノブが回る。

 来い、マリア。

 ゆっくりとドアが開き、中から黒い人影が一歩、廊下に足を踏み出した。暗くて顔は見えないが、かすかにシルエットで体の輪郭は見える。若い女に間違いない。マリアに決まっている。

 俺は影めがけて木刀をふり下ろした。

 がきん。

 いやな固い手応え。木刀はそいつの頭ではなく、開いたドアの天端にぶつかった。なんというドジ。決定的なチャンスを逃した。

 俺はてっきりマリアは逃げると思った。今来た窓から外に飛び出すと。

 だから、俺は反射的に追おうとしたのだが、マリアは前に出た。剣を持った俺の懐に飛びこんできた。

 次の瞬間、腹部に重い一撃。一瞬、息が止まった。

 マリアの肘が俺のみぞおちに突き刺さっているのを理解するのに二秒ほどかかった。重い鈍痛とともに吐き気がこみ上げてきたが、それを必死でこらえる。

 いきなりバランスがくずれた。俺の左足が引っ張り上げられる。

 マリアの脚が俺の脚を刈ったのだ。俺はぶざまに後に転倒した。

 とっさに受け身を取り、後頭部が床に強打するのは防く。

 だがマリアはかまわず馬乗りになってきた。

 所詮、女の軽い華奢な体。俺は跳ね飛ばそうとするが、顔面に強い衝撃を受けた。

 マリアのパンチ?

 続けてさらに食らう。

 気が遠くなりそうなのを俺は必死でこらえた。

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