第4章 殺し屋対狂犬
M1
「ねえ、マリア、ちょっといい? 話があるんだけど」
放課後、そういって近づいてきたのは、ルーシー・ミラーだった。
同じ高校の同級生。金髪に青い目、白い肌と典型的な白人美少女。英語はもちろん、日本語、スペイン語、フランス語、ドイツ語など数カ国語を自由に操り、スポーツ万能、学校内では学年トップの成績を誇る優等生。しかも長身でグラマラス。
はっきりいって、あたしはこの女が嫌いだった。でもそれは嫉妬のせいじゃない。
一見優しそうな感じもするが、前にちらりと見たサディスティックな笑みが忘れられない。きっとあれこそがこの女の本性なのだ。なにしろ、陰では怪しいパーティーを開いたり、無免許でバイクを運転してるという噂もあるくらいだ。
「なに?」
正直うっとうしかった。いつも取り巻きに囲まれ、どちらかといえば地味なあたしになど近づきもしないくせに……。
きっとルーシーが近づいてきたのは、かわいそうな被害者に同情するシーンをみんなに見せたかったからだろう。なにしろ、あたしはほんの一週間ほど前、惨劇で家族を失った悲劇の主人公なのだから。
来月にでも新しい家、新しい土地に引っ越す予定だった。事件のあったあの家にいつまでも住むことは、あたしも母も耐えられない。とうぜん、転校する。この学校にはなんの未練もない。友達はいないこともないが、多数の生徒や教師から、かわいそうな生き残りという目で見られながら、卒業まで過ごすなんて耐えられそうにない。
「いいからいっしょに来て」
断ることもできたが、早々にあの家に帰りたくはない。どうやって時間を潰そうかと思っていたところだから、親しくもないこの女の誘いに乗るのも悪くないと考えたんだろう。
なんとルーシーは学校を出るや否や、タクシーを拾った。あたしをそれに押しこむと、自分もあとから乗りこむ。
「いったいどこに行くのよ?」
あたしはすこし捨て鉢な気持ちでいう。
「いいところよ。あなたにはすこし気晴らしが必要。そうでしょ?」
ルーシーは薄ら笑いを浮かべる。
この時点で帰るべきだったかもしれない。でも、あたしはそうしなかった。ルーシーがいうように、気晴らしが必要だったのだ。たとえそれがすこしくらいやばいことでもかまわないと思った。むしろ、めちゃくちゃになりたかったのだろう。
タクシーの到達点は豪華マンションだった。十数階はあるだろう。それでも塔のように見えないのはワンフロアがかなり広いからだ。エントランスはまるで高級ホテルのロビーのような華やかさで、そこから中に入るドアはテンキーでロックされている。ルーシーはそれにパスワードを打ち込んでセキュリティーシステムを突破すると、あたしを中に連れこんだ。
「なんなの、ここ?」
「なんなのって?」
「ルーシー、ここの部屋借りてるの?」
「そうよ」
信じられなかった。もちろん家族から離れて、単独でここに来ていることは知っていた。それにしても、思ってたのとちがう。親がよほど金持ちなのだろうか? それにしても……。
「嘘よ。ちょっと知り合いに数時間ほど借りたの」
「知り合いって?」
「それは秘密」
いったい誰だ? 高校生のはずはないし、金持ちのパトロンでもいるのだろうか? 高校生のくせに。もともと得体の知れないところのある女だとは思っていたが、想像以上らしい。
それでもあたしは引き返さなかった。自暴自棄になっていたのだ。酒でも変な薬でも試してみたい気分だった。
たとえ一時でも心が軽くなるなら、なんでも試してみたかった。
誘われるままに乗ったエレベーターは最上階で止まった。ルーシーのあとをついていくと、その階の一室に招かれる。
ここでなにがはじまるの? あえてそう聞きはしなかった。
どうでもいいという捨て鉢な気持ちと、多少ある変な期待感のせいだったかもしれない。
中はとくに変わったこともなかった。大きなリビングの他、個室がみっつほどあるようで、キッチンはリビングに面したオープンキッチン。その前がカウンターになっていてダイニングを兼ねている。個室の中は覗かなかったが、リビングの床は廊下といっしょでフローリング仕様だった。そこにガラス製のテーブルを挟んで高級そうなソファが並べられている。部屋の隅には大画面の液晶テレビがあった。
「そこに座ってて」
ルーシーはソファを勧めると、自分はキッチンに入っていく。
あまりに普通だった。もっと危険で刺激的なものを内心期待していたあたしは拍子抜けした。
ルーシーが持ってきたものを見て、さらに失望した。ただの紅茶だったからだ。
よっぽど、お酒はないの? と自分からいおうかと思った。
そこまで傍若無人になれないあたしは、勧められるがままに紅茶を飲む。とくべつおいしいとは思わなかった。むしろ癖のある変な味。
もっともこのまま、まったりとお茶を飲んでくつろぐ気もなかった。なにしろルーシーは親しいどころか、むしろあたしが嫌っている人間。いっしょにお茶会をして楽しいわけもない。
「ルーシー、どうしてあたしをここに連れこんだの?」
「もちろん、あなたに秘密の話があるからよ」
「秘密の話? どんな?」
この時点であたしはルーシーの本性をまるでわかってはいなかった。
「こんな秘密」
ルーシーはテーブルに置いてあったテレビのリモコンを操作する。そこに映し出されたものを見て、あたしは愕然とする。
こ、……これは……。
モニターの中にはアリスがいた。
それも通常の姿ではない。白い体にはなにひとつまとっていなかった。
両手は頭越しに後に持っていったまま動かない。縛られているんだろう。
両足は開かされていた。後にいる全裸の男がアリスの両膝を下から持ちあげ、広げている。そして露わになった幼い股間には男の剛棒が突き刺さっていた。
レイプされている。アリスがレイプされている。
その幼くして愛らしい顔は、恐怖と苦痛と恥辱に歪み、大きな目からは滝のように涙があふれ、真っ赤になった頬を濡らしている。長い髪は男のゆする上下動と、必死でもがくアリス自身の首の動きのせいで、もつれ、絡まり、はねる。まだ薄い胸も、激しい動きのせいでかすかに揺れていた。
「いや、いや、いや、やめてぇえええええ!」
アリスの絶望的な悲鳴が響いた。
だが、後から抱きかかえる男はそんなものに耳を貸さない。ただひたすら自分の獣欲を満たすためにアリスを上下に振りまわす。まるで人形かなにかのように。
その猛り狂った肉棒は、アリスの股間が流す血で汚れていた。
その男の顔をまじまじとながめ、あたしはふたたび愕然とした。知っている顔だった。
猪股。
同じ学校の後輩。高校に入ったばかりだが札付きの不良として一般生徒からは忌み嫌われている男。
こいつが……、こいつが、アリスを、……お父さんを殺したのか?
「うふふ、ようやく事態が飲み込めてきたようね」
ルーシーがあたしを馬鹿にしきったように笑う。
モニターの中の被写体はべつのものに変わった。
母だった。やはり全裸にむかれ、四つんばいにされた状態で後から突かれている。その男にも見覚えがあった。たしか羽田とかいう猪股の仲間だ。
羽田はやはり全裸で、後から母をレイプしているのだ。母はアリスとちがって目隠しと猿ぐつわをされている。
「真っ先に襲ったんだけど、そのとき目隠しをしたのよね。だから、顔を見られなかったの」
ルーシーはだからこそ、殺されなかったといいたげだった。
つまり、この撮影をしているのがルーシーだ。この場にいたんだ。
「こうなるはずじゃなかったんだけどね。ほんとのターゲットはマリア、あなただったの。あなたを襲いたかったから、こいつらふたりを誘って押しこんだんだけどね」
な、……なにをいってるんだ、こいつは?
あたしの思考力が低下していく。
体が凍りつき、そのくせ、鼓動がはね上がった。
息が……苦しい。
モニターの中の世界では、新たな展開があった。父が帰ってきたのだ。この状況を見て、とうぜん驚愕し、恐怖し、同時に激怒する。
父はアリスを犯している猪股に掴みかかった。
だが、そのまま前のめりになって床に転がる。
「そう、あたしが後から殴ったの、後頭部をね」
ルーシーがいわないでいいことを楽しそうにいう。
父はびくんびくんとはげしく痙攣した。
父の頭からなにか赤いものが床に広がっていく。
「きゃああああああああ!」
叫んだのは、他ならぬあたしだった。
モニターはここで切れた。
「これ以上の撮影は無理だったのよね。だって殺しちゃったから」
ルーシーは罪悪感の欠片もなさそうな声でいう。
「おばさんはあたしたちの顔見てないけどさ、アリスちゃんは見ちゃったわけ。だから、わかるでしょ?」
殺したんだ。アリスを殺したんだ。ずたずたに切り裂いて。
「やったのは猪股よ。あいつロリコンでサディストでしょうがないよ。どうせやるなら、好きなようにやらせろってさ。すでに素っ裸なのに、いったんアリスに服を着させて、それからナイフで切りきざんだのよ。とんだ変態でしょ? それに映ってないけど、まだ動いてたお父さんの頭を踏みつぶしてとどめを刺したのは羽田。あたしが殺したんじゃないのよ」
「な、なんで、……こんなこと……」
「だから流れよね。こんなはずじゃなかったんだけど、あんな血の気の多いやつを仲間に誘ったのがまちがいだったわ。それにあなたがいないのが悪いのよ。あたしも頭にきてたから、暴走したふたりを止めるどころか、煽っちゃった」
「こ……殺して……や、やや」
呂律が回らなかった。あたしは怒りのためにそうなったのかと思った。
さらに立ち上がり、ルーシーをに掴みかかろうとする。かくんと膝が笑った。
床に倒れ落ちたとき、ようやく自分の体が変に痺れていることに気づく。
「そろそろ効いてきたようね」
薬を盛られた?
あたしはさっきの紅茶になにか入れられたことにようやく気づいた。
「な……なにを……」
「だから、あのときできなかったことをするのよ。きょうは誰も邪魔に入らない。ひとりでやるから、みょうに暴走することもない」
意味がわからなかった。この女はいったいなにをしょうと……。
ルーシーはどこから用意したのか、三脚にビデオカメラを立てる。さらに手にはなにかいかがわしいものが握られていた。
「これなんだかわかる? 双頭ディルドウっていうのよ。レズの道具。早い話がこれをふたりのあそこに埋め込むわけ。あとはわかるでしょ? 小学生じゃないんだからさ」
あたしはこのとき、この女の正体がわかった。レズでサディスト。女でありながら、女をいたぶる。それも手段を選ばず。
「たっぷり可愛がってあげる。心配しなくても殺したりしないから。そのかわり、マリアはこれからずうっとあたしの奴隷よ。転校して逃げようったってそうはいかないんだから。引っ越してもあたしの元に通ってもらうわよ。そのために、あなたの痴態はしっかり撮るし」
そういってビデオカメラを指さす。
「まずは裸に剥いてあげるからね」
あたしは力ずくで腹ばいにされると、上着をはぎ取られた。さらにブラウスのボタンを外されると、それもむしられる。もうろくに腕は動かせない。ルーシーのなすがままだった。
ブラもむしり取られ、あお向けにされると、ルーシーはいったんあたしの上半身裸になった体をカメラで映す。胸を隠すこともできなかった。
いや、いや、いや。お願い、動いて。頼むから動いて。
腕でも脚でもいい。動いてほしい。この女の暴挙を止めてほしい。
「さあって次は下のほうね」
スカートをめくられ、ショーツをはぎ取られた。
「ふたりでつながる前にこれが入るところを記録しなくっちゃ」
ルーシーはビデオを三脚から外し、手持ちでレンズをあたしの股間に向けると、もう一方の手でおぞましい張り型をあそこに押しつけようとする。
そのときだった。踵にがつんと衝撃を感じた。
あまりのおぞましさに、動かないはずの脚が動いたのだ。
瞬間的にはね上がった脚はルーシーにあたったらしい。正確には踵がルーシーの顎を直撃した。
ルーシーはバランスをくずし、倒れた。まるでスローモーションのように見えた。
幸か不幸か、ルーシーは頭からガラス製のテーブルにつっこんだ。
派手な音とともに、ガラスが砕け散る。
じわあっと床に真っ赤なものが広がっていく。
血だ。ルーシーが血を流している。
見ると、割れたガラスの破片が、ルーシーの喉に突き刺さっていた。
あたしは意識を失った。
*
夢か?
あたしはベッドの中で目をさます。
まだ夜は明けておらず、暗い部屋であたしはうんざりした。
この夢はいまだによく見る。いきなり耐えがたい悪意に巻きこまれ、さらにはじめての殺し。まだ十八歳で、心の準備もなにもできていない突発的な事故だった。
そう、事故だった。正当防衛による殺人ですらない。
だけど、これであたしの運命の歯車は狂いだした。いや、正確にいうならば、このあとにおこったことこそがターニングポイントになる。
あのあと、意識を取りもどしたとき、信じがたい出来事が起こったのだ。
それはこんなことだった。
*
天井が見えた。
あたしはそのとき、しばらく意識を失っていたことに気づく。
上半身裸で、下半身もスカートと靴下を身につけているだけ。肝心なところは露出していた。
だが、問題はそんなところではない。あたしはガラスのテーブルを見る。
あれは夢でも幻でもなかった。
砕けたガラスのテーブル。そこにルーシー・ミラーが倒れている。腹ばいになっていたが、首のあたりから一面、血だまりが床に広がっていた。
ルーシーはぴくりとも動かず、血の量からいって生きているとはとても思えなかった。
まずい。まずい。まずい。
……どうしよう?
はっきりいって途方に暮れた。
「心配することないわ」
あたしはびっくりして声のするほうにふり返った。
そこには見知らぬ女の人が立っていた。まだ若く、真っ白なワンピースに、長いふわりとした黒髪、室内なのに広がった帽子。そしてルーシーなど問題にならないほどの輝く美貌。まさに深窓の令嬢とでもいう感じの若い女だった。
「だ、誰? どうしてここにいるの? どうやってここに入ったの?」
頭につぎつぎに湧く疑問をすべてたたきつけた。
「質問ばかりね。まず最初の質問。わたしが誰か。そうね。名前はいえない。わたしを呼ぶときはそうね、『お嬢様』とでも呼んでくれる? 自分でそう呼ばせるのは馬鹿みたいだけど、コードネームだと思って」
お嬢様? あたしはさらに混乱する。
「次に、どうしてここにいるか。あなたを助けるため」
「ど、どうして?」
『お嬢様』はあたしを手で制した。
「まだぜんぶの質問に答えていないのに、質問を重ねないで。新たな質問はそのあとで受け付けるわ」
そういって、にっこりと笑う。
「三つめの質問。どうやってここに入ってきたか?」
そうだ。玄関には鍵が掛かっていたはず。
「ふつうに玄関ドアからよ。あの程度の鍵はわたしには意味がないから」
……泥棒さん?
「それと、どうしてあなたを助けるかだったわね?」
あたしは自然とはげしくうなずいていた。
ほんとうにこの状況から助けてくれるなら、彼女が悪魔でもいいと思った。
「もちろん、助けるには条件があるわ。わたしの手足になること。わたしの命令には絶対服従すること」
「……いったい、あたしになにをやれと?」
「殺し」
「む、無理です。あたしにはできません」
「できたじゃないの」
『お嬢様』はルーシーを指さした。
「で、でも、これは……」
事故だ。偶然だ。もう一度やれといってもできない。そもそも人を殺すなんてまっぴらだ。
「べつに善良な人々を殺せなんていってない。たとえば、さっきモニターに映っていた男ふたり。あなた、あれを許せるの?」
「……許せない」
思い出すのもつらかった。あれは人間の所業じゃない。
「あそこまでやったって、彼らは死刑にならない。無期懲役にすらね。まだ十五歳だから。それもはじめから殺す気だったわけじゃなく、衝動的な殺人とみなされるから。おまけに都合の悪いことはいなくなったルーシーにぜんぶなすりつけるだろうしね。たぶん、十年も入っていない。数年で出てくる」
「で、でも、このビデオが……」
「あなたがあれを提出すれば、あなたの立場が悪くなる。ルーシーを殺したことがばれるわよ。それにアリスを殺す瞬間は撮られていないから、猪股と羽田が、やったのはルーシーだと口裏を合わせればそう判断されるかも。そもそもルーシーがいったことがほんとうとは限らない。自分で殺しておきながら、猪股と羽田に罪を着せたって可能性だってある」
いわれてみれば、……たしかにそうだ。ルーシーのいうことなどなにひとつ信用できない。
お父さんにとどめを刺したのは羽田? もうあのとき死んでいたようにしか見えない。
それにアリスを殺したのだってルーシーのような気がする。きっと、笑いながら切り裂いたんだ、あいつが。……根拠はないけど。
「それに、お父さんを殺した画像はむしろ無計画で発作的な犯行とみなされる証拠になるわ」
「そ、そんな馬鹿な」
「でもそれが現実」
「だから、あいつらがつかまる前に殺せと? 無理です」
「そう、今はね。なにもつかまる前に殺せとはいわない。出てきてから殺せばいい。その間に鍛えてあげる。あなたを一人前の殺し屋にね」
あたしは絶句した。
この人はいったいなにをいってるんだ?
あたしが未成年に家族を殺された人間だから、スカウトにきたとでもいうのか? 少年犯罪者限定の殺し屋に。そのために一から鍛えてあげると?
「これはこの国のためなのよ。たとえ、法が許しても、世間が許さないことを教えてあげないといけない。そうでなければ抑止力にならない」
「……つまり、少年だから軽い罪ですんだやつらを殺せと? それが、少年犯罪を減らすことにつながるから? しかも、それをあたしにやれと? あたしが被害者の遺族だから?」
「そう。まさにその通りよ。やっぱり、あなたはわたしが見込んだだけのことはある。頭がいいことは、絶対条件。馬鹿は使えないからね」
「ことわれば……」
「このまま消える」
そうなればどうすればいい? 自首? いやだ。そんなことはしたくない。
逃げる? でも、あたしがルーシーに誘われていっしょに帰るのを見た生徒がいるに決まってる。それにタクシーの運転手。あたしたちふたりを見てる。エレベーターの防犯カメラにだってきっと映ってるはずだ。死体が見つかれば、警察はきっとあたしを捕まえる。
「もし、引きうけたら、どうやって、あたしを助けてくれるの?」
警察は無能じゃない。ぜったいあたしまでたどり着く。
「簡単よ。死体を消せばいい。この血も、砕けたガラスも片づけて。そうすれば、ルーシー・ミラーは失踪したことになる。その場合、警察はこう思うわ。ルーシーはあなたの家族を襲撃した犯人のひとり。捕まる前に逃走したってね。どうせ、猪股と羽田のふたりは近いうちに捕まるわ。このビデオを使わなくても、突発的な殺人なんてそう簡単に隠し通せるものじゃないし」
「どうやって死体を隠すの?」
「それはあなたが心配することじゃない。まかせてもらうわ」
あたしは必死で考えた。
そもそもこの人は何者だ? 信用していいのか?
きょう、あたしがルーシーを殺すことを予期していたとしか思えない。しかも、なにごともなく、施錠した部屋の中に入り、死体をかたづけることを提案する。しかもその目的はあたしを殺し屋にするため。
ありえなくないだろうか?
それがほんとうだとしたら、この人はもはや人間じゃない。神か悪魔だ。
だけど、あたしにはこの提案はものすごく魅力的なものに思えた。
なぜなら、あたしはあの外道たちに対する怒りに燃えている。
あいつらがつかまっても、たかだか数年で出てくるのは許せなかった。
あのビデオを見て、この手で殺したいと思ってしまった。しかも、その手助けをしてくれるというのだ、この人は。
「もし、……もし、引きうけたら、猪股と羽田のふたりは、あたしにやらせてもらえるの?」
「もちろん。それをあなたの最初の仕事にすればいいわ」
「じゃあ、やります」
「いいのね? 後戻りはできなくなるわよ」
「かまいません」
「わかったわ。じゃあ、しばらく眠ってもらうから。さあ、目をつぶって」
そのあと、気が遠くなったような気がした。
以降のことはよく覚えていない。頭に霧が掛かったようになり、断片的にしか記憶がないのだ。
いずれにしろ、あたしはこうして殺し屋になった。
*
今考えれば、まるで現実のできごとではない。しかしほんとうに起こったことだ。
もし、あれがたんなる幻覚だとすると、ずぶの素人だったあたしが、実際に殺しの技を身につけたことが説明つかない。そして、ルーシー・ミラーの死体がどこに消えたかも。
だけど、なにかがおかしい。
『お嬢様』とはいったい何者なのだ?
信念のために、未成年犯罪者を殺させていたはずなのに、今度は刑事を殺せという。
それにあの木下のようなちんけな不良生徒は、ほんとうに猪股や羽田並みの悪党なのだろうか?
なにか歯車が狂ってきているような気がしてならない。
ほんとうにあの刑事をやっていいのか?
……わからない。でも、それ以上考えないことにした。
『お嬢様』を疑うことは、完全に自己否定につながる。そもそも、あの刑事はあたしにとって危険きわまりないのだ。
やる。やるんだ。やるしかない。
あとは、どうやるかだ。どうやって、あの刑事を殺すかだ。なにしろ、あたしのことを殺人鬼だと信じて疑わないし、用心深い。おまけにいかにもタフだ。そんなやつをどうやって殺す?
それは大きな問題だった。
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