挿話 サリーの記憶

 サリーがグループカウンセリング室に入ったとき、すでに三名の女性がいた。いずれもサリーと同じくらい若い年齢だ。テーブルはなく、椅子が円上に並べてある。サリーは挨拶をするとあいている椅子に座った。

 サリーは不安でいっぱいだった。

 あの夢を、カウンセラーはすべて真実だと言ったが、まだ半信半疑だった。だが、すでに完全に否定はできない気分だった。

 なぜなら、その後、数日の就寝前の過去を探るイメージの旅で、サリーはスーザンがいなくなったときのことを完全に思い出していた。警察が大勢来て、ざわめき、学校も大騒ぎだった。

「スーザンはどこにいったの?」と聞いたとき、父親は「サリーは知らないのかい?」と不思議そうな顔で聞き返したのだ。

 あの夢が真実だとすれば、父が不思議そうにして当然だった。サリーがスーザンがどうなったか、知らないはずはないのだから。

 この記憶は本物だ。まちがいない。たとえ、あのおぞましい儀式はただの夢だったとしても。なぜならスーザンの失踪は、ネット検索で裏をとったからだ。

 まもなくカウンセラーが入ってきて言う。

「サリーははじめてね。自己紹介しましょう」

 サリーは通っている大学や年齢などを簡単に述べる。

 他の女性たちも順に自己紹介していく。

 のっぽの痩せた女性は、コニー。会社事務員。

 眼鏡をかけた太ったのがブレンダ。大学生。

 小柄で一見活発そうなジャッキー。ウエイトレス。

「ではコニー。サリーははじめてだから、あなたのことを聞かせてあげて」

「あたしは拒食症。ものが食べられなくなった。無理に食べても吐いちゃう。それでここに来たんだけど……」

 サリーと症状が似ていた。もっともサリーは吐く分、食べる量も多かったけど。

「先生に言われて、寝る前に過去をイメージしてノートするようになったの。最初はすぐにはなにも思い出せなかった。だけど続けていくうちに、はっきりと思い出したのよ。あたしは小さい頃、父親と兄にレイプされていた」

「どうやってそれを思い出したの?」

 サリーは思わず聞く。

「コニーが話し終わるまで待って」

 カウンセラーはいったんそう言ったが、少し考えて言い直した。

「コニー、サリーが途中で質問を挟むことを許してもらってもいい? サリーは不安なのよ。きっと聞かずにはいられないんだわ」

「かまいません」

 コニーは頷くと、サリーに向かっていった。

「最初は断片的な記憶。夜中、ベッドで寝ているあたしを上からのぞき込む影がふたつ。それが誰なのかは最初わからなかった。そして具体的になにをしたのかも。でも、誰かがあたしが寝ているときに部屋に来たのは間違いない」

「それで?」

「イメージを掘り起こす作業と、先生のカウンセリングを続けていくうち、ある日、仕事中にとつぜんイメージが頭に浮かんだの。いわゆるフラッシュバックってやつよ」

 カウンセラーがそれを聞きながら頷いた。

「あたしを夜中にのぞき込んでいたのは、父と兄だった。そのとき、ずっと半信半疑だったあたしは確信した。あたしは小さい頃、このふたりにレイプされていたって」

「で、でも、覗いていたことを思い出しただけでしょう?」

「あとは連鎖的にすべて思い出せた。あと、細かいことは言いたくないけど、……わかるでしょう? レイプされたのよ」

「それは……、それは夢じゃなかったの。ほんとうにあったことなの?」

「夢じゃない。寝ている間に見たんじゃないもの。フラッシュバックのあと、頭の中でつぎつぎと映像がつながっていく感じ。真っ昼間の出来事よ」

 じゃあ、あたしとはちがう。あたしのはただの夢。夢。夢なのよっ!

 サリーは反射的に否定する。コニーのとはちがう。

 だってそんなリアリティのある出来事じゃない。あたしのはあまりにも荒唐無稽すぎる。

「そ、そんなの……」

「そういうものなのよ。あたしもそうだった」

 口を挟んできたのは、ブレンダだった

「フラッシュバックはとつぜん来る。そしたら、今まで半信半疑だった疑惑はすべて解明されるわ。信じるしかない。あれはほんとうにあったことだって」

「ああああ、見えた」

 いきなりジャッキーが叫んだ。

「これが、これが、フラッシュバックってやつ?」

「なにが見えたの、ジャッキー?」

 カウンセラーが聞き込む。

「悪魔。悪魔よ。パパは悪魔を呼び出すために、あたしを生け贄にした。あたしを魔法陣の中でレイプしたんだ!」

「なんですって?」

 聞き捨てならなかった。それはサリーにとって無関係の話じゃない。似すぎている。

「これは現実なの? ほんとにあったこと!」

「そうよ、ジャッキー。その事実があなたを苦しめていたのよ」

「だけど、悪魔だよ。悪魔って、あまりにも嘘くさすぎて……」

「珍しいことじゃないわ」

 え? サリーは耳を疑った。

「そうよね、サリー。あなたが見たことを言ってあげて」

 あたしのは……、あたしのは……。

 心は躊躇したが、口が勝手に語り出した。

「あたしの両親は、近所の子を生け贄にした。腹を引き裂いてレイプして、それをあたしにも強要したのよ。ディルドウを使って」

「嘘。嘘だよ。そんなことしたら死んじゃうじゃないか」

 叫ぶジャッキー。

「死んだのよ」

 そうだ。スーザンは死んだ。

 サリーは今、はっきりと思い出した。

 強要され、あたしはスーザンをレイプした。そのときスーザンははげしく痙攣した。

 そのまま死んだ。スーザンを直接殺したのはあたしだ。

「だって、そうなったら警察がくるはずだろ?」

「来たのよ。それは客観的な事実」

 サリーはそれをインターネットで確認していた。事実、スーザンは失踪し、警察は誘拐の疑いで捜査したが、犯人から身代金の要求もないまま、迷宮入りになっている。

「じゃあ、死体は? それがほんとうなら死体がある」

「埋めた」

 答えてからサリーはびっくりした。

 そうだ。埋めたんだ。それを手伝わされた。

「埋めたのよ、この手で。場所は……、場所はわからない」

 それは思い出せないというより、わからない。車で運んだのだ、当時幼かったサリーにその場所の特定は不可能だ。

 だけどはっきり言える。あれは事実だ。

 目をつぶった。死んだスーザンの顔に土が降りかかるビジョンが見える。ついさっき見たかのように。

「思い出したのね、サリー。すべてを」

 カウンセラーの問いにあたしは答えた。

「はい、はっきりと。あたしの両親は悪魔崇拝主義者で、あたしを巻き込んでスーザンを殺させた。そして埋めたのよ」


   *


 ついに対決の日はやってきた。

 サリーは弁護士を伴い、田舎の実家に向かっている。

 あのグループカウンセリングのあと、引き続きカウンセリングとイメージをノートに書き留める作業のおかげで、さらに抑圧され忘れていた記憶の細部まで取り戻すことができた。

 両親は悪魔崇拝主義者で、悪魔と契約している。さまざまな恩恵を授かるためだ。そのため、定期的に黒ミサをおこなわなければならない。そのさい、生け贄が必要になるが、通常は動物でいい。だけど、なにか特別な願いを叶えてもらうためには人間の生け贄がいる。処女。とくにまだ小さな子供が一番いいらしい。

 ただ、悪魔との契約で黒ミサは絶対に人に見られてはいけない。万が一、見られた場合は目撃者を殺して生け贄にするか、仲間にするしかない。仲間にする一番手っ取り早い方法は、人間の生け贄を殺させることだ。だから、両親はサリーにスーザンをレイプさせ、死に至らしめた。あれはサリーを守るための行為だったともいえ得る。

 だが、そんなことは知ったことか。なぜなら、悪魔なんて実在しないからだ。

 実在するのは、悪魔を信じる愚かな人間。

 あんなことを強要されなくても、あたしは悪魔に殺されることはなかった。

 サリーはそう信じている。

 馬鹿な親のせいで、あたしは人殺しだ。

 弁護士の運転する車は、実家に到着した。

 サリーは弁護士をともない、玄関ドアを叩く。

「おかえり、サリー」

 母が笑顔で出迎える。父もソファに座っていた。

「なにしてる、はやくは入りなさい」

 やはり笑顔で話しかけた。

「サリー、その人は? まさか、おまえのいい人なの?」

 母がちょっと心配そうな顔になる。

「なに、誰か連れてきたのか?」

 父がこちらに向かって歩いてきた。

「いいえ、私はサリーさんの弁護士です」

「弁護士?」

 両親ともぽかんとしている。

「サリーさんは、あなたたちふたりを告訴することにしました」

「なんだって?」

「なにを言い出すのよ、サリー? いったいどういうつもり?」

「パパとママは悪魔崇拝主義者よ。あたしが小さい頃、隣のスーザンを生け贄にして黒ミサをおこなった。それを見たあたしにも黒ミサに参加することを強要して、スーザンを殺させた。そして死んだスーザンを山のどこかに埋めたのよ」

「気でもちがったの、サリー!」

 絶叫する母。絶句する父。

「気なんかちがってない。あたしはすべて思い出したの。あのおぞましい出来事を。どうして、どうしてあんなことをしたの?」

「おまえか? おまえがサリーに変なことを吹き込んだのか?」

 父は弁護士にくってかかった。

「いいえ、私は依頼されただけです。それまで私からサリーさんに事件について話したことなどありません」

「吹き込まれたんじゃない。すべて自分で思い出したのよ」

「それはあり得ないわ、サリー」

 部屋の奥から誰かが話しかけた。

 その人物はこちらに歩いてくる。誰だったろうか?

 一瞬、考えたがすぐにわかった。

 今話題になっていたスーザンの母親だ。

「お、おばさん、お久しぶりです。こんな話、おばさんにだけは聞かれたくなかった」

 サリーは反射的に一歩後ずさった。

 たった今、あなたの娘を殺して埋めたと言ったばかりなのだ。

「スーザンがあなたたちに殺されて、どこかに埋められたなんてとんでもない」

「でも、でも、どうしてそう言い切れるんです? スーザンは失踪したまま見つかってない」

「いいえ、見つかりました」

「え? どこかの土の中から?」

「いいえ。スーザンはね、生きています」

 この人は自分の娘の死を受け入れられず、妄想に浸っているのだと思った。

「スーザンを誘拐したのは、別れた夫。よくも警察にばれずに隠し通せたと感心しています。でもついにそれが明らかになったの。スーザンは生きています。電話で話しました。近いうちに直接会う予定です」

「そんな馬鹿な?」

「ほんとうよ。嘘だと思うなら、警察に行って聞いてみなさい。あなたのその妄想はどこから来たの?」

 サリーはそこから逃げ出した。


   *


 サリーはその後、アパートの浴室で、手首を切った。

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