挿話 サリーの記憶
3
サリーがグループカウンセリング室に入ったとき、すでに三名の女性がいた。いずれもサリーと同じくらい若い年齢だ。テーブルはなく、椅子が円上に並べてある。サリーは挨拶をするとあいている椅子に座った。
サリーは不安でいっぱいだった。
あの夢を、カウンセラーはすべて真実だと言ったが、まだ半信半疑だった。だが、すでに完全に否定はできない気分だった。
なぜなら、その後、数日の就寝前の過去を探るイメージの旅で、サリーはスーザンがいなくなったときのことを完全に思い出していた。警察が大勢来て、ざわめき、学校も大騒ぎだった。
「スーザンはどこにいったの?」と聞いたとき、父親は「サリーは知らないのかい?」と不思議そうな顔で聞き返したのだ。
あの夢が真実だとすれば、父が不思議そうにして当然だった。サリーがスーザンがどうなったか、知らないはずはないのだから。
この記憶は本物だ。まちがいない。たとえ、あのおぞましい儀式はただの夢だったとしても。なぜならスーザンの失踪は、ネット検索で裏をとったからだ。
まもなくカウンセラーが入ってきて言う。
「サリーははじめてね。自己紹介しましょう」
サリーは通っている大学や年齢などを簡単に述べる。
他の女性たちも順に自己紹介していく。
のっぽの痩せた女性は、コニー。会社事務員。
眼鏡をかけた太ったのがブレンダ。大学生。
小柄で一見活発そうなジャッキー。ウエイトレス。
「ではコニー。サリーははじめてだから、あなたのことを聞かせてあげて」
「あたしは拒食症。ものが食べられなくなった。無理に食べても吐いちゃう。それでここに来たんだけど……」
サリーと症状が似ていた。もっともサリーは吐く分、食べる量も多かったけど。
「先生に言われて、寝る前に過去をイメージしてノートするようになったの。最初はすぐにはなにも思い出せなかった。だけど続けていくうちに、はっきりと思い出したのよ。あたしは小さい頃、父親と兄にレイプされていた」
「どうやってそれを思い出したの?」
サリーは思わず聞く。
「コニーが話し終わるまで待って」
カウンセラーはいったんそう言ったが、少し考えて言い直した。
「コニー、サリーが途中で質問を挟むことを許してもらってもいい? サリーは不安なのよ。きっと聞かずにはいられないんだわ」
「かまいません」
コニーは頷くと、サリーに向かっていった。
「最初は断片的な記憶。夜中、ベッドで寝ているあたしを上からのぞき込む影がふたつ。それが誰なのかは最初わからなかった。そして具体的になにをしたのかも。でも、誰かがあたしが寝ているときに部屋に来たのは間違いない」
「それで?」
「イメージを掘り起こす作業と、先生のカウンセリングを続けていくうち、ある日、仕事中にとつぜんイメージが頭に浮かんだの。いわゆるフラッシュバックってやつよ」
カウンセラーがそれを聞きながら頷いた。
「あたしを夜中にのぞき込んでいたのは、父と兄だった。そのとき、ずっと半信半疑だったあたしは確信した。あたしは小さい頃、このふたりにレイプされていたって」
「で、でも、覗いていたことを思い出しただけでしょう?」
「あとは連鎖的にすべて思い出せた。あと、細かいことは言いたくないけど、……わかるでしょう? レイプされたのよ」
「それは……、それは夢じゃなかったの。ほんとうにあったことなの?」
「夢じゃない。寝ている間に見たんじゃないもの。フラッシュバックのあと、頭の中でつぎつぎと映像がつながっていく感じ。真っ昼間の出来事よ」
じゃあ、あたしとはちがう。あたしのはただの夢。夢。夢なのよっ!
サリーは反射的に否定する。コニーのとはちがう。
だってそんなリアリティのある出来事じゃない。あたしのはあまりにも荒唐無稽すぎる。
「そ、そんなの……」
「そういうものなのよ。あたしもそうだった」
口を挟んできたのは、ブレンダだった
「フラッシュバックはとつぜん来る。そしたら、今まで半信半疑だった疑惑はすべて解明されるわ。信じるしかない。あれはほんとうにあったことだって」
「ああああ、見えた」
いきなりジャッキーが叫んだ。
「これが、これが、フラッシュバックってやつ?」
「なにが見えたの、ジャッキー?」
カウンセラーが聞き込む。
「悪魔。悪魔よ。パパは悪魔を呼び出すために、あたしを生け贄にした。あたしを魔法陣の中でレイプしたんだ!」
「なんですって?」
聞き捨てならなかった。それはサリーにとって無関係の話じゃない。似すぎている。
「これは現実なの? ほんとにあったこと!」
「そうよ、ジャッキー。その事実があなたを苦しめていたのよ」
「だけど、悪魔だよ。悪魔って、あまりにも嘘くさすぎて……」
「珍しいことじゃないわ」
え? サリーは耳を疑った。
「そうよね、サリー。あなたが見たことを言ってあげて」
あたしのは……、あたしのは……。
心は躊躇したが、口が勝手に語り出した。
「あたしの両親は、近所の子を生け贄にした。腹を引き裂いてレイプして、それをあたしにも強要したのよ。ディルドウを使って」
「嘘。嘘だよ。そんなことしたら死んじゃうじゃないか」
叫ぶジャッキー。
「死んだのよ」
そうだ。スーザンは死んだ。
サリーは今、はっきりと思い出した。
強要され、あたしはスーザンをレイプした。そのときスーザンははげしく痙攣した。
そのまま死んだ。スーザンを直接殺したのはあたしだ。
「だって、そうなったら警察がくるはずだろ?」
「来たのよ。それは客観的な事実」
サリーはそれをインターネットで確認していた。事実、スーザンは失踪し、警察は誘拐の疑いで捜査したが、犯人から身代金の要求もないまま、迷宮入りになっている。
「じゃあ、死体は? それがほんとうなら死体がある」
「埋めた」
答えてからサリーはびっくりした。
そうだ。埋めたんだ。それを手伝わされた。
「埋めたのよ、この手で。場所は……、場所はわからない」
それは思い出せないというより、わからない。車で運んだのだ、当時幼かったサリーにその場所の特定は不可能だ。
だけどはっきり言える。あれは事実だ。
目をつぶった。死んだスーザンの顔に土が降りかかるビジョンが見える。ついさっき見たかのように。
「思い出したのね、サリー。すべてを」
カウンセラーの問いにあたしは答えた。
「はい、はっきりと。あたしの両親は悪魔崇拝主義者で、あたしを巻き込んでスーザンを殺させた。そして埋めたのよ」
*
ついに対決の日はやってきた。
サリーは弁護士を伴い、田舎の実家に向かっている。
あのグループカウンセリングのあと、引き続きカウンセリングとイメージをノートに書き留める作業のおかげで、さらに抑圧され忘れていた記憶の細部まで取り戻すことができた。
両親は悪魔崇拝主義者で、悪魔と契約している。さまざまな恩恵を授かるためだ。そのため、定期的に黒ミサをおこなわなければならない。そのさい、生け贄が必要になるが、通常は動物でいい。だけど、なにか特別な願いを叶えてもらうためには人間の生け贄がいる。処女。とくにまだ小さな子供が一番いいらしい。
ただ、悪魔との契約で黒ミサは絶対に人に見られてはいけない。万が一、見られた場合は目撃者を殺して生け贄にするか、仲間にするしかない。仲間にする一番手っ取り早い方法は、人間の生け贄を殺させることだ。だから、両親はサリーにスーザンをレイプさせ、死に至らしめた。あれはサリーを守るための行為だったともいえ得る。
だが、そんなことは知ったことか。なぜなら、悪魔なんて実在しないからだ。
実在するのは、悪魔を信じる愚かな人間。
あんなことを強要されなくても、あたしは悪魔に殺されることはなかった。
サリーはそう信じている。
馬鹿な親のせいで、あたしは人殺しだ。
弁護士の運転する車は、実家に到着した。
サリーは弁護士をともない、玄関ドアを叩く。
「おかえり、サリー」
母が笑顔で出迎える。父もソファに座っていた。
「なにしてる、はやくは入りなさい」
やはり笑顔で話しかけた。
「サリー、その人は? まさか、おまえのいい人なの?」
母がちょっと心配そうな顔になる。
「なに、誰か連れてきたのか?」
父がこちらに向かって歩いてきた。
「いいえ、私はサリーさんの弁護士です」
「弁護士?」
両親ともぽかんとしている。
「サリーさんは、あなたたちふたりを告訴することにしました」
「なんだって?」
「なにを言い出すのよ、サリー? いったいどういうつもり?」
「パパとママは悪魔崇拝主義者よ。あたしが小さい頃、隣のスーザンを生け贄にして黒ミサをおこなった。それを見たあたしにも黒ミサに参加することを強要して、スーザンを殺させた。そして死んだスーザンを山のどこかに埋めたのよ」
「気でもちがったの、サリー!」
絶叫する母。絶句する父。
「気なんかちがってない。あたしはすべて思い出したの。あのおぞましい出来事を。どうして、どうしてあんなことをしたの?」
「おまえか? おまえがサリーに変なことを吹き込んだのか?」
父は弁護士にくってかかった。
「いいえ、私は依頼されただけです。それまで私からサリーさんに事件について話したことなどありません」
「吹き込まれたんじゃない。すべて自分で思い出したのよ」
「それはあり得ないわ、サリー」
部屋の奥から誰かが話しかけた。
その人物はこちらに歩いてくる。誰だったろうか?
一瞬、考えたがすぐにわかった。
今話題になっていたスーザンの母親だ。
「お、おばさん、お久しぶりです。こんな話、おばさんにだけは聞かれたくなかった」
サリーは反射的に一歩後ずさった。
たった今、あなたの娘を殺して埋めたと言ったばかりなのだ。
「スーザンがあなたたちに殺されて、どこかに埋められたなんてとんでもない」
「でも、でも、どうしてそう言い切れるんです? スーザンは失踪したまま見つかってない」
「いいえ、見つかりました」
「え? どこかの土の中から?」
「いいえ。スーザンはね、生きています」
この人は自分の娘の死を受け入れられず、妄想に浸っているのだと思った。
「スーザンを誘拐したのは、別れた夫。よくも警察にばれずに隠し通せたと感心しています。でもついにそれが明らかになったの。スーザンは生きています。電話で話しました。近いうちに直接会う予定です」
「そんな馬鹿な?」
「ほんとうよ。嘘だと思うなら、警察に行って聞いてみなさい。あなたのその妄想はどこから来たの?」
サリーはそこから逃げ出した。
*
サリーはその後、アパートの浴室で、手首を切った。
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