K3

 なんだあれは?

 俺はマリアが手にした封筒とその中身が非常に気になった。

 ついさっき自分が見たとき、机の上にはあんなものはなかった。いったいいつの間に、どこから出現したのだ?

 見たい。いや、あれがなんなのか確かめなくてはいけない。

 だが、どうやって? まさか、このまま部屋の中に乱入して取り上げるわけにもいかない。そんなことをすればこっちが犯罪者だ。

 どうする? どうする? どうする?

 俺の頭脳が高速回転する。

 看護師だ。今帰ってきたところだ。下にいる。あいつにマリアを呼び出させろ。

 スマホを手にした。通話だと気づかれる。メールを打ち込んでナオミに送りつけた。


『マリアを下に呼び出してくれ。今すぐ』


 マリアは封筒の中の手紙を取りだして、目を通す。俺の位置からはその文面までは読めない。さらに封筒にはなにか小さいものが入っているようなふくらみがあった。

 マリアはそれを読みながら微動だにしない。向こうを向いているので表情はわからないが、俺にはマリアがひどく動揺にしたように思えた。

 なんだ? なにが書いてあるんだ? そもそもあれはなんだ?

 マリアを呼べ。早く呼べ。今すぐ呼べ。

 俺は祈るが、反応はない。

 マリアは手紙を灰皿の上に置くと、ライターを取りだした。

 まずい。焼く気か? そんなことをさせて堪るか。

 飛び出そうとした瞬間、下から看護師の声が響いた。

「マリアさん」

 マリアの動きが止まる。とたとたと足音が階段を駆け上ってくる。

「マリアさん。ちょっといいですか?」

 よし、いいぞ。

 思わず叫びそうになったのを、やっとの思いで堪えた。

 手紙を焼いているところを見られるのは不本意だったらしい。マリアはライターの火を消すと、手紙と封筒を机の引き出しの中にねじ込んだ。

 よし。あとは看護師がマリアを外に連れ出すだけだ。

「マリアさん、いいですか?」

 彼女はドアのすぐ外にいるようだ。

「な、なに?」

 マリアは明らかに動揺していた。ドアまで小走りでいくと、ドアをすこしだけ開ける。

「あの、ちょっと下まで降りてきませんか。ちょっとお話ししたいことがあります」

「あとじゃだめなの? 学校に戻らないといけないし」

「すぐにすみます」

「わ、わかったわ。すぐいきます」

「ここで待ってます」

 よし、ナイスだ。手紙を焼く暇を作らせるな。

 俺は思わず拳を握りしめた。

 マリアとしては、下手にねばってナオミに入りこまれても困ると思ったのだろう。そのまま廊下に出た。

 ふたりが階段を下りる音がする。

 足音が一階の廊下を遠ざかるのを確認し、俺はふたたび部屋の中に舞い戻った。

 さっきマリアが手紙をしまった引き出しを開ける。手紙、そしてその上に封筒があった。

 まず、封筒を膨らませている小物を確認しようとしたが、なかった。さっき持ち去られてしまったらしい。

「くそっ!」

 思わず、口に出してしまった。

 仕方がない。俺は封筒の下になっていた手紙を取り出し、目を通す。

 それはまさに殺しの命令書だった。命令者は「お嬢様」。そしてターゲットとして俺の名前が肉筆で書かれてある。たぶん女の文字だ。

 ご丁寧に俺の写真と自宅の地図までが添付されていた。

 となれば、さっき同封されていた小物は大きさから考えても黒い逆さ十字に決まっている。

 興奮で体が震える。いや、怖かったわけじゃない。嬉しかったのだ。

 ついに食らいついてきた。

 マリアがいよいよ俺を狙う。

 俺は自分が無意識にそのことを望んでいたことを知り、笑いたくなった。

 明らかにこれはマリアが一連の殺人犯である証拠だ。

 持ち去りたかったが、それはできない。今は正規な捜査でこの部屋を調べているわけではない。使用人を手なずけ、勝手に部屋に入りこんでの家探し。明らかに違法だ。

 違法捜査で得た証拠は裁判で使えない。ねつ造したと疑われるかもしれない。

 それにこれを奪い去ることは、こっちの動きをマリアに知られることになる。看護師と通じていることもばれるかもしれない。

 俺は文面をスマホのカメラに収めると、最初にあったのと同じように引き出しに入れ直した。そのまま引き出しを締める。

 とりあえず、これで充分だ。あとはこの筆跡鑑定だ。

 ふたたび足音が上がってくる。

 俺は音を立てないようにふたたびベランダに出ると、靴を履き、そのまま外壁に添った雨どいを伝って下に降りた。

 ベランダの上で、サッシ戸が開く音がする。俺はとっさに上から死角になる位置で外壁に張り付いた。

 上からなにかが降ってくる。黒い雪のようだ。

 それを手にすると、灰。あの手紙の燃えかすだ。

 危なかった。危うくこれを見る前に処分されるところだった。

 もう、証拠はない。いや、あの黒い逆さ十字をマリアが持っている。この俺を殺したあと、現場に残すために。

 マリアはあれをどこに保管するのか?

 おそらく部屋には残さないだろう。明らかに家探しされることを恐れている。となれば、持ち歩く? それも危険なはずだ。だったら学校か? どこか誰にもわからない場所に隠すかもしれない。

 まあ、いい。どっちにしろマリアは俺を殺しに来る。そのときこそが勝負だ。

 上で引き戸が閉まる音がした。マリアは中に入ったらしい。

 俺はこそこそと庭を横断し、マリアが降りてくる前に門から外に出ると、近くの電柱の影に身を潜めた。

 間もなくマリアが玄関から顔を出し、そのまま自転車に乗って走り去った。こっちには気づいていないようだ。

 自転車を車で尾行するのは危険だ。どっちにしろ、学校に戻るだけだろうからあとをつけることにたいした意味はない。

 俺は車に戻ると考える。これからどうするべきか?

 このままマリアに張り付くより、不法で得たとはいえ、明らかな証拠が出たのだからこれを上に見せて動かしたほうがいいか?

 違法捜査自体はとうぜんとがめられるだろうが、こっちの主張を無視できなくなるはずだ。

 いや、待て。俺はほんとうにそんなことを望んでいるのか?

 俺はほんとうはマリアを逮捕したいのではなく、殺したいんじゃないのか?

 だとすれば、今度のことは絶好の機会だ。なにしろ相手から襲ってくる。誰がどう見ても正当防衛だろう。

 とはいえ、調べたいこともある。たとえば、この手紙の筆跡。それで「お嬢様」とやらの正体が割れるかもしれない。

 だが捜査本部に戻れば動きが制限される。白銀を使うことにした。

 俺はデジカメのデータを白銀の個人スマホに送る。その直後、白銀に電話した。

「白銀か? 俺だ。頼みがある」

『ちょ、ちょっと、主任、今なにやってんですか? 係長本気で激怒してますよ。なんで私がかわりに怒鳴られなきゃならないんですか?』

「そんなもの、ほっとけ。それより、今写真を送ったが、見たか?」

『もう、ほんとに自分勝手の塊ですね、主任は。で、なんなんですか、この手紙。ちょっと待ってください。……ええっ、次のターゲットって、主任じゃないですか?』

「マリアの部屋にあったんだよ」

『なに言ってんですか? マリアが中に入れるはずもないし、まさか、忍びこんだんですか?』

 白銀は絶句する。

「看護師を手なずけた。看護師はマリアが妄想と会話してるのを聞いたんだ。それも人を殺したことを、死んだアリスに話していたらしい。彼女だって人殺しとひとつ屋根の下にはいたくないだろうしな。だから俺に協力してきた」

「いや、看護師さんが協力しようがなにしようが……」

「わかってる。明らかに違法捜査だ。これは裁判じゃ使えん。しかし、マリアが犯人なのはこれで明らかだ」

『ほんとうにそうなんですか? まさか、主任がねつ造したんじゃないでしょうね』

「馬鹿か。この手紙、俺の字だとでもいう気か? どう見ても女の字だろうが」

 しばしの沈黙。考えをまとめているらしい。

「で、おまえに頼みだ。その筆跡を調べてほしい」

『調べるって、誰と比べるんですか?』

 たしかに筆跡は指紋とちがい、データベースで自動的に照合するということはできない。比較の対象が必要だ。

「マリアだ」

 俺は自分でそういいながら、納得した。

 そうだ。これを書いたのはマリア本人だ。そう考えれば説明がつく。

 なぜ、俺が調べたとき、机の上にあれがなかったのか。それは俺がベランダに出たあと、マリア自身が置いたからだ。そう考えるしかない。

 まさか、俺が見ていることを知って、演技をしたのか?

 一瞬、そう考えたが、それはないだろう。そこまで予見できるはずがない。

 そう考えたとき、この事件の全貌が見えた気がした。

 マリアは自分自身に命令を下しているが、自分はその事実に気づいていない。

 一種の二重人格なのだろう。命令する「お嬢様」と、命令を受け、殺すマリア。ふたりは同一人物だが、そのことを自分ではわからない。

 そうだ。まちがいない。

 自分で命令、自分で実行、そしてそのことで幻覚と会話する殺人鬼。

 そう考えれば、上田たちも、マリアになにかちょっかいを掛けていたんだろう。ひょっとして当のマリアはそれすらも意識していないかもしれないが。

『主任っ!』

「な、なんだ?」

『だから、どうやって比較するんです? 学校に行って、彼女になにか書かせるんですか?』

 しばらく考えに集中して、白銀の言葉が聞こえていなかったらしい。

「いや、それはまずい。こっちの動きを知られるな。……学校に行けばなにか直筆の書類があるだろう? それを本人に知られないようにうまくコピーしろ。なんか適当に理由をつけて、校長か誰かにそれををもらえ。けっしてマリアに気づかれるなよ」

『……わかりました。ちょっと時間を下さい。あ、それと頼まれてたやつ。マリアが駅のホームから消えたあと、着替えて戻ってこなかったかどうかってやつですが……』

「おお、そうだったな。で、どうなんだ?」

『マリアが着替えて、次の車両、あるいはその次の車両に毎度って来た可能性はありません。カメラに映ってませんでした』

「わかった」

 もっともその線はあまり考えていなかった。ただ、マリアが駅から降り、べつのルートを使ったのがわかっただけでも収穫だ。

『で、主任は戻ってくるんですか? っていうか、戻ってください。じゃないと、私の立場が……』

「もうしばらく放っておけ」

「ちょー」

 電話を切った。

 俺は今夜、夜通しマリアを張り込むことに決めた。今は仮眠に当てるべきだ。誰にも邪魔されたくない。

 近くのマンガ喫茶にもぐり込み、寝た。

 何時間経ったのだろうか、スマホの着信音で目が醒める。モニターを見ると、白銀の名前替えが表示されていた。

「なんだ、わかったか?」

『もう、すこしは感謝とかねぎらいの言葉をかけてほしいものですよ、まったく。ええ、あの筆跡、私が見る限りマリアのものと同じですね。念のため科捜研に回しておきましたけど、たぶんまちがいないと思います。でも、どういうことなんです? 自分で自分への命令書を書くなんて? 捜査を混乱させたいってことですか?』

「そうじゃねえ。あいつは頭がおかしいんだ」

 そういいつつ、俺は笑った。

 推理が証明された。あいつは自分が殺したいやつを殺している。それを無意識のうちに記憶をねつ造し、他人が命令していると錯覚しているのだ。いや、ごまかしている。自分自身の心を。

 底が割れたな、マリアよ。

 あとは対決するだけだ。

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