M2

 午後一の授業が空いていたことをいいことに、あたしは午前の授業が終わると、外出許可を取った。

 どうしても気になったのだ。ナオミが黄金崎に連絡しているのではないかという不安が消えない。そうなったら家宅捜査令状がおりないとも限らないし、あの男なら、令状なしでもあたしの部屋を調べるくらいのことはするだろう。

 たとえ、そんなことにならないとしても、ナオミ自身があたしの部屋を調べる可能性は否定できなかった。

 部屋の中には証拠になるようなものは一切置いてないはずだ。凶器のピアノ線や、駅の監視カメラに映った革ジャンなどは、バイクといっしょに別名義で契約している安アパートに移してある。

 なにもないはずだが、……それでも見落としということもある。

 あたしにしてみれば、不安をかかえたまま、夕方まで学校ですごすことは耐えがたかった。昼食も取らずに飛びだしてきた。

 自宅に戻ったとき、ナオミと母親はいなかった。日課の散歩だろう。となると、ナオミがひとりで部屋を漁っていることはありえない。だが、あの刑事はべつだ。鍵は掛かっていたし、玄関に見知らぬ男物の靴はなかったが、そんなことは関係ない。

 躊躇せずに、二階の自室に向かう。

 ドアを開け、中にかけ込むが、とりあえず荒らされてはいない。パソコンをはじめ、ぱっと見に盗まれているものもないし、引っかき回されたあともない。念のため、机の引き出しを開けてみるが、なくなっていそうなものはなかった。通帳といった金目のものや印鑑もそのままある。もっともあの男が忍びこんだとすれば、目的はそういうものではなく、殺人の証拠のはずだ。どう考えても、殺人に結びつきそうなものでここに入れているものを思いつかなかった。

 日記? 殺人計画書? そんなものはない。すべて頭の中だ。「お嬢様」からの指令書? すべて焼き捨てている。ここにはない。

 正直ほっとする。気のせいだった。考えすぎていた。

 あたしはベッドに横になった。そのまま眠ってしまいそうになる。

 下から物音が聞こえた。外出していた母とナオミが戻ってきたらしい。

 ちょうどいい。ナオミになにげなくきのうのことを聞いてみようか?

 だがあまり気が進まなかった。頭のおかしい人間を見るような目つきをされるだろうか?

 ……いや、考えすぎだ。仮にそう思っていても、ナオミはそんな態度を見せはしない。そういう患者には慣れている。現に母がそうだ。

 もし、昨夜のことであたしの精神になんらかの異常があると思えば、通院を勧めてくるかもしれない。そうでなくても母親を定期的に精神科の病院に連れていっているのだから。

 びし。びしっ。

 突如、例の音が響く。部屋の中に黒い闇が渦巻いていく。

 いつものごとく、闇の中に血まみれのアリスが浮かんだ。

「……なんなの、アリス?」

 うんざりした口調でいう。

『いきなりご挨拶だよね、マリア。これで安心しちゃだめだよ』

「安心?」

『うん。だから、部屋を荒らされてないこと。いたんだよ、あいつは。ついさっきまで』

「だいじょうぶよ。盗まれたものもないし、ものを動かした形跡もない」

『そりゃそうだよ。あからさまに盗めば警戒されるもの。たとえば、パソコンなんか持ち去りたかったはずだけど、ばればれだからね。マリアに必要以上に警戒心を持たれたくないんだよ』

「考えすぎよ。だいたいパソコンの中になんか、なにも入ってない。盗まれるのは痛いけど、それで疑いが晴れるくらいなら安いもんだわ」

『そんなんで疑いが晴れるわけないでしょ。相手はとにかくマリアが犯人だって決めつけてるんだから。証拠も論拠もくそもないの。結論がまずあるのよ。マリアが犯人だっていうね』

「だったらどうしろっていうのよ?」

『だから、何度もいってるじゃない。殺しちゃえばって』

「だから、『お嬢様』からそういう指令は来てないの。指令以外の殺しはぜったいにしない。そう決めてるの」

『じゃあ、来たらやるの?』

「もちろん。でも来ないわ。だって、『お嬢様』のターゲットは未成年犯罪者だけだから。刑事なんて論外よ」

『そうかな? あたしは来ると思うよ』

「来ない」

『来るって。来たらやってよね、マリア』

 アリスは笑った。まるで「お嬢様」からの指令書の内容を知っているかのように。

 いやな予感がした。なぜだかわからないが、経験上、どうも「お嬢様」の指令はアリスの要望と一致しいてるようなところがある。

『じゃあ、きょうは帰る』

 アリスはそういうと、あっさり消えた。

 ほっとため息をついた。アリスが現れると精神的によくないから、あまりねばらず消えてくれると嬉しい。

 だが、机の上に封筒が置いてあるのに気づいた。

 いつの間に? そうは思わなかった。いつものことだから。だが、タイミングがよすぎる。まるでアリスはこのことを知っていたようだ。

 あたしは立ち上がり、机に向かうと、封筒を手にした。

 封を切ると、案の定、中には「お嬢様」からの指令書と黒い逆さ十字が入っていた。指令書の文面はこうだ。


『次のターゲットは黄金崎拓也。

お嬢様』

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