M1

 今朝も刑事は学校に来ていた。

 例の黄金崎は別件で動いているのか、来ているのはこの前も黄金崎といっしょにいた若い刑事と、もうひとり知らない顔の中年刑事だった。

「マリアさん、すみません、ちょっと時間いいですか?」

 若い刑事から声をかけられた。幸か不幸か、きょうの一時間目は空きだ。相手しないわけにはいかない。

「なんでしょう?」

「他の先生方にも聞いてるんですけど、じつは警察としてはなぜ木下君が殺されたのか、さっぱりわかっていない状態でして、彼がどんな生徒で誰とつき合っていたかを知りたいんですけど?」

 彼は人なつっこい笑顔で聞いた。はっきりいって黄金崎とはずいぶん感じがちがう。

「さあ、わたしの担任の生徒じゃありませんし、正直よくわかりません。まあ、いわゆるまじめな生徒じゃありませんでした。ただ、大きな問題を起こしたこともないですし、そんな度胸もないんじゃないでしょうか」

 これは嘘偽りがなかった。あたしにはどうして「お嬢様」が彼を殺させたのかさっぱりわかっていない。

「つまり、まあ、根っからのワルじゃないと思います」

「まあ、他の先生方もそういってるんですけどね……」

 刑事は腑に落ちない顔でいう。

 木下は不良仲間の間でもただの使い走りという話だ。いきがるのは一般生徒や教師にだけで、不良連中相手にはおとなしいらしい。

「木下君は仲間内ではパシリみたいな感じだったってことはないですか?」

「よく知りませんけど、そういう一面もあったのかも」

 そうか。仲間がなにか凶悪な事件を起こし、木下はそこに居あわせたのかもしれない。たとえば強姦事件。おまえもやれと強要されれば、木下は断れず、乗ったかもしれない。あるいは案外ノリノリで。

 もし、そういう事件を何度も起こしているとすれば、いっぱしの悪党だ。本人は嫌々やらされたといいわけするかもしれないが、被害者にしてみれば、主犯とかわりがない。

 ……いや、なんにしろそれはたんなる想像に過ぎない。証拠どころか、そう決めつける根拠すらない。

 もっとも前にアリスがいっていたことを信じるなら、木下たちは赤井秀朗の運営する少年犯罪グループの一員なわけなのだが。……ただ、「お嬢様」が直接そういってきたわけじゃない。なにしろ、もう数年、言葉を交わしていないし、送られてくる指令書にはターゲットの名前しか書いていないのだから。

「……もしかしたら、わたしたちの知らないところで、誰かに命令されて悪いことをやっていたのかもしれません」

 そういっておくにとどめた。根拠もなく、赤井の名前を出してもしょうがない。

「まあ、警察もそうじゃないかとは思ってるんですが、その悪事がなんなのかさっぱりわからない。被害者が届けてくれないと動きようがないですからね」

「そうですか。でも、わたしはそれ以上知りません」

「わかりました」

 若手刑事は質問を終え、他の先生のところに行こうとした。

「あ、あの、あの黄金崎っていう刑事さんは、きょうはいないんですか?」

 そういうと、彼の顔がくもった。

「え、ええ。きょうは彼はいっしょじゃないんですよ」

「そうですか。……ところで、あの刑事さんはわたしに対してなにか特別な感情を持ってるんですか?」

 ストレートに聞いてみた。

 刑事は一瞬、口ごもったあと、いいづらそうな顔をする。

「い、いや、そんなことはありませんよ」

 そんなはずはない。

「ただ、……きっとあなたなら少年犯罪に厳しいんじゃないかと思ってるんです」

 それはあたしが少年犯罪者に家族を奪われた過去を持つからか。

 怒りたいところだが、図星なので怒るわけにもいかない。

「あの刑事さん、きょうはなにをやってるんです?」

「……い、いや、それは、……いえません」

 なにか様子がおかしい。

「いやあね、一般の人に、そういうことはいえないんです」

 もうひとりの刑事が笑顔で割り込んできた。そのまま、その刑事は若い相棒を引っぱるようにして去っていく。

 いったいなんなんだ? 妙すぎる。

 ひょっとしてあたしにいえないこと、つまり、あたしのことでなにか重大な捜査をしている?

 ちょっと不安になった。だが、いったいなにができるというのだ。家宅捜査令状なんて取れるはずもないし……。

 あの動揺ぶりからして、違法捜査?

 いや、まさか。黄金崎個人がおこなうならともかく、警察が組織としてそんなことをするわけがない。

 まさか、警察を辞めたんじゃ?

 ふとそんな考えが浮かんだ。あるいは無断欠勤している。

 もしそうならどうなる? 組織の力を使えなくなるかわりに、自由に動ける。今まで鎖で繋がれ、主人の意向に逆らえなかった犬の首輪が外れたようなものだ。

 アリスのいうように、あの男は殺すしかないのかもしれない。

 しかし、「お嬢様」の指令はない。自分の意思で、……それも復讐などではなく、たんなる口封じのために殺人を犯せば、それこそただの人殺しになってしまう。

 ……いや、慌てるな。そうと決まったわけじゃない。暴走しすぎて謹慎でも食らったのかもしれないし、怪我か病気かもしれない。あるいはあたしにこだわりすぎるために、他の事件に回されたのかも。

 相手の出方を待とう。それによっては、最後の決断をしなくてはならないかも……。

 もうひとつ気になることがあった。ナオミだ。

 今朝はまだ顔をあわせていないが、きのう、部屋の前にいたのはまちがいなくナオミだろう。いったいどこまで聞こえたのか?

 壁越しだし、自分ではそんな大声を出していたつもりもない。しかし、アリスが現れるときのあたしは、一種の催眠状態のようなもので、まわりの状況も自分の状態も見えていない。

 もし、あのときナオミが、一連の事件の犯人があたしであると示唆することを聞き取っていたとしたら。

 ナオミをクビにしようか?

 いやだめだ。腹いせになにをしでかすかわからないし、そもそも母がそんなことを許すはずがない。手元に置いて監視するしかない。

 だけど、もしナオミがその事実に耐えられずに、警察にしゃべったら?

 いや、だいじょうぶだ。たぶん、警察は取り合わない。

 猪股、羽田殺しにはアリバイがあるし、木下たちに至っては動機がない。警察が疑う理由がない。ナオミの聞き違いだと思うだろうし、ナオミ自身、半信半疑なはずだ。そもそもそんなことはなんの証拠にもならない。

 だが、そこであたしの頭に、黄金崎が浮かんだ。

 そうか。もしナオミが黄金崎に連絡を取ったとしたら?

 充分にありえることだった。そうなったらあの男は小躍りして喜ぶだろう。

 明確な証拠でなくても、自分の推理を裏付けるには充分だ。さらに暴走するのはまちがいない。

 まずい。まずい。まずい。

 あたしはいても立ってもいられなくなった。

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