挿話 サリーの記憶

 サリーは身近な人間にも内緒で、夜寝る前の瞑想と浮かんだイメージをメモする行動を続けた。

 とはいっても、なかなかうまくはいかない。まず、頭の中を空っぽにするのが難しい。目先の予定とか、やらなければならないこと、欲望といったものが頭をかすめる。口で言うほど簡単なことではないらしい。

 それでも何日か続けていくうちに、だんだんコツがわかってきた。リラックスした状態で、よけいな煩わしいことは考えない。そこまではできるようになった。

 だがそこからがまた難しかった。子供の頃を思い出そうとすると、どうしても楽しいことになってしまう。仲のよかった友達と遊んだこと。ハイキングや旅行、パーティー。家族との食事や団欒が浮かぶことはあっても、そこから悪いイメージに向かうことはなかった。

 そういえば、小さい頃いっしょに遊んだスーザンがいつの間にかいなくなっていたことに気づいた。彼女はどうしたんだっけ? 家族が引っ越したんだったろうか? 亡くなったという記憶はないからたぶんそうなんだろう。

 なにか引っかかったが、それ以上はなにも思い出せないし、とくに動揺することもなかった。きっとたいしたことじゃない。

 そんなことより、両親のことだ。

 だけど、やっぱりなにも思い出せない。性的虐待どころか、おしりをぶたれた記憶さえない。

 やはりあのカウンセラーの勘違いよ。そんな事実はなかったんだ。

 次のカウンセリングのとき、サリーはそのことを正直に告げた。

「ふ~ん? でもまだ摂食障害は続いているんでしょう?」

「それは、そうなんですけど……」

「性的虐待以外に、なにか思い当たるイメージは浮かんだ?」

「いえ、なにも」

 そうなのだ。それがつらい。もし、なにか他に思い当たることがあれば気が楽になったのに。たとえば、深刻ないじめとか、事故、あるいは誰かが死んだことがトラウマになっている……。それともなにか見てはいけないものを見てしまったとか。

 リラックスしてイメージしているかぎり、頭に浮かぶのはごく平和で楽しいことばかり。逆に不安になってくる。

「けっこう深刻な状態ね」

 カウンセラーは顔をしかめる。

「だってなにもないはずはないもの。なにかがあるのよ。それが思い出せないってことは、強い抑圧がかかっているってこと。ひょっとしてただの性的虐待じゃないかもしれない」

「え?」

 家族から虐待を受けていたというだけでも信じられないのに、それ以上のことがある?

 ありえないとサリーは思った。

「具体的には?」

「たとえば、両親があなたの目の前で誰かを殺したとか」

「そんな馬鹿な!」

「まあ、これはたとえだけどね」

 たとえ話でもひどすぎる。いくらなんでも……。

「もうちょっとがんばってみて。必ずなにかあるから」

「……わかりました」

「それを思い出すことで、あなたを心の内側から苦しめるものは無力化するの。そうなれば必ず摂食障害は治るわ」

「そうですか」

 なにか釈然としない気分だった。

「それと今度グループカウンセリングをしましょう。あなたと同じような悩みを持った人がたくさんいるの。そういう人たちの話を聞けば、気分も変わるかもしれないし、なにか進展があるかもしれないわ。どう?」

「参加してみます」

 少なくとも、今のイメージメモだけをおこなう治療よりは、なにか進展がありそうな気がした。次のグループカウンセリングの予約をし、サリーはアパートに戻った。

 その夜、いつものようにノートを枕元に置き、イメージに没頭しようとしていたが、そのまま寝入ってしまった。


   *


 あたしはふと夜中に目を覚ました。なにか短い悲鳴のようなものを聞いた気がしたのだ。

 耳を澄ましても、それ以上なにかが聞こえてくることはなかった。

 だが気になった。とてもそのまま眠る気にはなれなくなっていた。

 あたしはベッドを抜け出し、両親の部屋に向かう。途中、真っ暗なリビングルームを通る。時計が鳴った。もう夜中の一時らしい。

 両親の寝室は、ドアの隙間から灯りが漏れていた。

 まだ起きているんだろうか? じゃあ、あのへんな声を聞いていたかもしれない。

 安心したかった。なんでもないんだよ、と言って欲しかった。

「パパ」

 あたしはドアを開ける。

 そこには異様な光景が広がっていた。床には魔法陣が描かれ、その真ん中に猿ぐつわをした裸の少女が手足を左右に広げ、横たわっている。腹は真一文字に割け、そこから血があふれ、はらわたがはみ出していた。

 さらに開かれた少女の脚の間には、パパが素っ裸で股間を少女の股間に押しつけ、無様に振っている。

「パパ。いったい、なにをやってるの!」

 あたしは思わず叫んだ。

 だけどパパはあたしに目もくれずに行為を続ける。

「静かにしなさい、サリー」

 そう言ったのは、ママだった。ママはやはり素っ裸で、パパの側に立っている。ただ股間には男のあれを形取った模型のようなものがバンドで固定されていた。しかもそれは血に染まっている。

 あたしは恐ろしくて、もう声も上げることができず、立ったまま固まってしまった。

 しばらくすると、パパは少女から離れ、立ち上がった。

「サリー、どうして見てしまったんだ?」

 やりきれない様子でつぶやいた。

「でも、見てしまった以上、仕方がない。生け贄になるか、悪魔と契約するか、どちらかになるしかない。それしか選択肢はないんだ」

 いったい、なにを言ってるの、パパ?

「仕方ないわね」

 ママは股間のものを外す。

「サリー、服を脱ぐんだ」

 パパは怖い目で見た。

「い、いや」

「だめだ。じゃないと、私たちはおまえを殺すしかなくなってしまう」

 パパは無理矢理、あたしのパジャマを脱がせた。

 そしてママが股間から外した血の付いたあれをあたしの股間に取り付ける。

「この子を犯せ」

「いや。いやよ」

「やるんだ。じゃないと殺す」

 ママも怖い顔で頷く。

 ふたりとも別人だ。いつもの優しいふたりはどこへ行ってしまったんだろう?

「この張り型の先端を、あの子の股間に入れるんだ」

 やりたくなかった。だけど、有無を言わさないパパとママにあたしは逆らえなかった。

 あたしは泣く泣く、言われたとおりにあれの形をしたものを、女の子の股間に当てがった。

「さあ!」

 パパに背中を押され、あたしは腰を突き出した。

「う」

 女の子がかすかな声を上げ、ぴくっと動く。

 生きてる。腹を割かれていてもまだ死んでるわけじゃない。

 そのとき、あたしはようやくこの子が、仲良しのスーザンであることに気づいた。


   *


 サリーは飛び起きた。

 いったいなんという夢を見てしまったんだろうか?

 枕元にあったノートにペンを走らせる。

 パパ、ママ、魔法陣、生け贄、レイプ、殺人、……スーザン。

 今見たのはあくまでも夢だ。ただ、あたしは思い出した。

 スーザンは家族の引っ越しでいなくなったわけじゃない。

 失踪したんだ。当時、警察が来て、誘拐されたとかなんとか言っていた。

 あたしはそんな重大なことを忘れていた。

 興奮したままノートに書く。『スーザン、誘拐されていた』

 そうだ。スーザンは誘拐された。そのまま帰ってこない。まだ小さかったし、家出とは思えない。

 だけど殺されたわけじゃない。少なくとも死体は出ていなかった。

 どくっ、どくっ。

 心臓が暴れている。頭がおかしくなりそうだ。

 次のカウンセリングまで待てない。

 あたしはカウンセラーに電話をかける。

 夜中にもかかわらず、数回のコールのあと、彼女は電話に出た。

 あたしは今見た夢と、スーザンのことをまくし立てる。

 だまってあたしの話を聞いていたカウンセラーは、静かに言った。

「サリー、いい? 落ち着いて聞くのよ。あなたが見たのは、ただの夢じゃない。すべてほんとうにあったことよ」

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