K3

 俺はタクシーで学校からマリアの家に向かう途中、いろいろ考えた。

 学校でさっきのおばちゃん教師以外にもマリアが何時ころ学校に来ていたか聞いてまわったが、やはり七時四十五分にはいたらしい。彼らが嘘をつく理由はないのでそうなんだろう。

 となると、マリアは駅で殺しをやったあとどうしたのか? そのまま学校まで電車でいったのだろうか? さすがに無防備すぎる。万が一、事件に気づいた地下鉄職員が車両の運行を止めたらどうする気だったのか?

 まあいい。そのことはいずれわかる。捜査員たちが、マリアがどこで降りたのか、各駅の監視カメラの映像で探っているはずだ。

 おそらくマリアは次の駅で降り、タクシーで学校に向かった。

 ……いや、タクシーだと運転手に顔を覚えられる恐れがある。ならば車をあらかじめ駅のそばに駐めておいたのか? だが長時間、路上に駐めておくのはむずかしい。

 バイクか?

 それなら駅前でも駐めておけるし、朝の渋滞にも強い。たぶん、ぎりぎりで間に合う。

 俺は白銀のケータイ番号に掛けた。

『白銀です』

「俺だ。マリアがどこの駅で降りたかわかったか?」

『ちょっと、主任。どこにいるんですか? 係長が勝手に動くなってカンカンですよ。あのひとが当たり散らす相手は私なんですからね。もう、ほんとにかんべんしてくださいよ。今朝だって本来なら、私といっしょに聞き込みにまわってるはずなのに、私ひとりで……』

 知ったことか。そんなことは暇人にやらしておけ。

 新たな事件が起きた今だって、捜査本部に呼び戻され、馬鹿上司の指示に従えば、白銀のように監視カメラのチェック要員に回されるのがオチだ。

「で、どうなんだ。わかったのか?」

『教えてあげません』

「おい、ふざけんなよ!」

『わかりましたよ、もう。犯人は次の駅で降りてます。正確にはホームに降り、改札に向かう映像がありますが、それ以後は不明。もっともその後もカメラには映ってはいませんから、ふたたびホームに舞い戻ってはいません。そこで降りたはずです』

 思ったとおりだ。やはり、マリアは次の駅で降り、バイクで学校に向かった。

 ん? いや、待てよ。もしかして、トイレかなんかで着替えて、そのまま次の車両に乗ったんじゃないのか?

 ……いや、それだとたぶん間に合わない。あの車両が遅刻しないぎりぎりのはずだ。それにそれだと着替えたあとの恰好が監視カメラに映る。マリアとしてもそれは避けたいはずだ。となれば、やっぱりバイクだ。

『主任はそこからマリアが車かなにかを使って学校に行ったと考えてるんですね』

「おそらくバイクだ。車だと止める場所が面倒だ。タクシーだと足がつく。おまけに朝の渋滞に巻きこまれたら、時間が掛かる」

『そういうだろうと思って、ちょっと調べてみました。外れです。マリアには免許がありません。車も、バイクも』

「なに?」

 いわれてみれば、この前、マリアの家に行ったとき、車もバイクもなかった。

 ならば、マリアを学校に送り届けた共犯者がいるのか?

 それは考えがたかった。マリアは自分の信じる正義のために、悪ガキを殺しまくる狂信者だ。賛同者がいるとは思えない。

 おかしい。なにかが変だ。

「犯人の体格は? 映像を解析したんだろう? マリアと一致するのか?」

『身長はおおよそ165から170の間くらい。マリアは165です』

「よしっ」

『男でも女でもおかしくない身長です。現に主任だって170くらいじゃないですか。私だって165くらいだし。断定するのは……』

「まちがいない、マリアだ。俺も映像を見た。遠かったし、顔はほとんど見えなかったが、あれはマリアだ。だいたいあれは体型からして女だろ?」

 白銀はしばらく間をおいて、こういった。

『主任。やっぱり私には信じられません。犯人は人ごみで誰にも気づかれずにガイシャを刺殺したんですよ。誰にでもできることじゃないですって。もしマリアが犯人だとすると、どうしてそんなことができるんですか?』

「どうしてって、トレーニングを積んだんだろう」

『もう、無茶苦茶言わないでくださいよ。どうやって? いつです? じつは私もすこし気になって、マリアのことを調べました。といっても、担当した所轄署に後輩がいるんで、電話で聞いただけですけどね。そいつがいうには、マリアはあの事件のあと、一定期間以上姿をくらましたという事実はありません。高校も大学も普通に通っていたんです。しかも実家暮らしですよ。母親とその介護の人がいたはずです。いつ、どうやってそんな技を身につけたんです。空手やボクシングじゃないんですよ。近くにそんなものを教える道場やジムは存在し得ませんって』

「どうやってって、そりゃ本かビデオで覚えたんだろう。夜、母親が寝静まったころ、自室で鍛錬をくり返したんだ」

『はあああ? なんかのマンガですか、それ?』

「おめえは人間の執念を甘く見すぎてる。死ぬ気になりゃあ、なんだってできるんだよ。最近じゃ、DVDでも本でもたいていの格闘技のものは出ている。それどころか、殺人術や武器術のものまであるんだよ。それをたったひとりで身につけられるかどうかは、そいつの才能と努力と執念の問題だ」

『わかりました。とにかく一度戻ってきてください。係長に報告してくださいよ。じゃないと、私が怒られるんです。主任のせいで』

「今、マリアの家に向かってる。それがすんだらな。……ああ、それと、ひょっとしたら、マリアはガイシャを殺したあと、いったんホームから上に行き、トイレで着替えてまたもどったかもしれん。念のため、次の電車にマリアが乗ってないか確認してくれ。ちなみにマリアの今朝の恰好はベージュの女性用スーツに……」

 さっき見たマリアの服装を説明する。

『わかりました。とりあえず、係長にはそういっておきますけど、どうなっても知りませんよ、ほんと。係長がぶち切れようが、あとで私に文句とか言ってくるのなしですからね』

 スマホを切ると、ちょうどマリアの家の前まできていた。精算するとタクシーを降りる。

 ドアベルを鳴らす前に、周囲を観察した。たしかにガレージはないし、バイクもない。もっとも奥のほうには自転車を駐めるにはちょうどいいスペースがある。

 まあ、いい。マリアが駅を降りてからどうやって学校まで行ったかは、あらためて考える。

 とりあえず、今朝のマリアの様子を聞きたかった。

 玄関のチャイムを鳴らすと、「は~い」という声が響く。おそらく例の看護師、星野ナオミだ。

 ドアを開けたのは、案の定彼女だった。俺を見ると、若干顔がくもる。

 まあ、仕方ねえか。この前は俺が来たせいで雇い主がおかしくなったからな。

「……なんでしょう、刑事さん」

「いや、手間は取らせない。ちょっとだけ聞きたいことがあってな」

「あたしだけでいいですか? あまり奥様には合わせたくないんですけど」

 露骨に嫌われたらしい。

「べつにかまわないよ」

 どうせ、母親の証言は信用できない。

「マリアさんなんだが、今朝、いつもより特別早く家を出なかったかな?」

「え? どうでしょう。あたし、朝はあまりマリアさんとは顔をあわせないんです。奥様が朝遅いですから、あたしも……」

「しかし、あなたの部屋は玄関のすぐそばだ。朝、マリアさんが出ていくときわかるでしょう?」

「そうですね。そういえば、きょうはいつの間に出ていったのかよくわかりませんでした。ひょっとして早かったのかもしれません。……いえ、よくわかりません」

 別段、マリアをかばっているわけでもなく、ほんとにわからないようだ。もっとも、朝早く出たからどうともいっていないので、かばうにしてもどう証言すればいいのかわからないはず。

「ふ~ん。そうですか。ま、いいです。マリアさんは普段、自転車で通勤してるんですか?」

「ええ、そうみたいですね」

「今朝も?」

「そうだと思いますが、ちがうんですか? 雨が降ってるとバスを使うときもあるようですけど、今朝は晴れてたし」

「じゃあ、今朝、もしくは昨夜、自転車は駐めてありました?」

「さあ? 見てませんけど」

「マリアさんは、近くに車、もしくはバイクの駐車場を借りてませんか?」

「いいえ。たしかどっちも免許を持ってないはずですけど」

 彼女はなぜそんなことを聞くんだろうといった顔で受け答えする。

 なんとなくいらついてきた。ぼろが出てこない。

 免許がないのは白銀が調べたとおり。家にバイクは置いてないし、自転車通勤もマリアの答えたとおり。今朝マリアが早く家を出たという確証もない。

「あの、もしよかったら、マリアさんの部屋を見せてもらえないかな?」

 そうすれば必ず証拠が出るはず。たとえば、例の黒い逆さ十字の予備とか、凶器のピアノ線とか。

 しかし、彼女の顔はくもった。

「あたしの一存でそんなことできるはずありません。家宅捜査令状とかあるんでしょうか?」

 そんなものあるわけがなかった。

「令状を取るか、マリアさん本人に了承を取ってください」

 思わず舌打ちした。この看護師が思いのほか一筋縄でいかなかったからだ。

「まあいい。また来ます」

 あまりこの娘と敵対してもいいことはないのだ。むしろ手なずけないといけない。とりあえず、聞きたいことは聞いたから、退散することにした。その前に、念のため、ケータイ番号の入った名刺を渡す。

「もしなにか相談したいことがあったら、ここに電話ください。なんでもいい。なにか異様なことが起こるかもしれない」

「……わかりました」

 彼女は怪訝な顔をしたが、あえてそれ以上なにもいわなかった。

 後ろでドアの閉まる音を聞きながら、俺は敷地から外に出た。

 くそ。決め手がねえ。家宅捜査令状が取れればいいんだが、今のままじゃ無理だ。客観的にマリアを疑う根拠がねえ。

 思わず唸った。仕方がねえ、疑っているのは俺だけで、あとは誰ひとりとしてマリアの犯行だなどと信じているものはいない。

 なにしろこの事件の犯人は、黒井家を襲ったやつらを殺した犯人と同一人物のはずだが、マリアにはふたりの悪ガキ殺しの際、完璧なアリバイがある。今回だって、決め手がないどころか、マリアの犯行を疑うには無理がある。駅から学校までの移動手段がないのだ。

 だめだ。このままじゃだめだ。

 家宅捜査できないなら、張り込むか? たとえ何日でもいい。マリアが次の獲物を漁る瞬間をとらえれば文句ないはずだ。

 いや、おそらく係長はこっちの行動を制限しようとしてくるだろう。好き勝手やらせてはくれない。マリアから手を引けというに決まってる。

 だったら休むか? 休暇を取ればいい。

 おお、なぜこんな簡単なことに気づかなかったのか。そうすれば自由だ。情報は白銀から電話で聞き出せばすむ。

 そういえば、係長に呼び出されてるんだったな。しばらくマリアに張り付いていいかどうか聞け。許可されるならそれでよし、だめなら強引に休暇を取る。それだけだ。

 そう考えると急に気が楽になる。手を上げ、近くのタクシーを止めると、捜査本部に向かった。

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