M2

 あたしが二時間目の授業から職員室に帰ってみると、教師たちでざわめいている。最初の事件のときとほとんどいっしょだ。

 なにも知らないふりをして聞いてみる。

「なにかあったんですか?」

「それがさあ、マリアちゃん」

 食いついてきたのは、おばちゃん教師こと高橋だった。

「また生徒が殺されたのよ。今度は木下君。まあ、あの子も、たいがいワルだったけど、殺されるほどの悪いことはしてないと思うんだけどねぇ」

「え、殺されたですって? ……どこで?」

 もちろん知っているが、聞かないのは不自然だ。

「地下鉄のホームよ。たくさん人がいる中で、堂々と殺したの。でも誰も犯人を見ていないのよ。ただ、監視カメラにはばっちり写ってたらしいけどね」

「どんな男が犯人だったんですか?」

 それは本気で気になった。一応、帽子を深く被っていたし、カメラには気をつけてはいたが、予期せぬところに仕掛けられたカメラで顔を映されていないとも限らない。

「まあ、顔を特定できるほどの映像はないらしいわ。相手はプロなのよ。そんなヘマはしないって」

 ふと、熱い視線を感じた。振り向いてみると、あの刑事、黄金崎がいる。

「マリア先生はご興味がおありですかな?」

 薄ら笑いを浮かべ、嫌味な訊き方をする。

「そ、そりゃ、我が校の生徒を殺したん男なんですから」

「ま、男とは限りませんわな。顔がほとんど映ってないんですから。体型などむしろ女の可能性が高いですな」

「ええっ! そうなんですか?」

 高橋が叫んだが、黄金崎は無視した。その視線はずっとあたしを見つめている。

「ところでマリア先生はいつも学校までどうやってくるんですか?」

「自転車ですけど」

「自転車っ!」

 明らかに驚いた顔をした。

「ええ、学校からわりと近いんです。そのわりに駅からは遠いところにあるし、バスでもいいんですけど、自転車のほうが健康にいいし」

 おそらく黄金崎はこう考えていた。

 木下を殺したなら、いつもの通勤経路からは外れている。つまり、地下鉄に乗った時間帯の監視カメラを調べても映っていない。あるいはバスにしろ、いつものバスに乗っていないという証言が取れる。

 だが、自転車ならそれができない。調べようがない。

 実際には自転車はきのうの夜、学校に置いてきた。じつは家からちょっと離れたところにあるアパートを別名義で契約してある。今朝はそこに行き、着替えたあとバイクで降りる予定の駅まで行った。その近辺にバイクを止めると、木下が乗る駅まで徒歩で戻り、殺害後はバイクで学校へ。もちろん、バイクは隠し、着替えをしてから学校の中に入ったわけだ。

 もちろん、昨夜から今朝にかけて、家には自転車はなかったことになるが、母もナオミも気づいていないだろう。

「ところで先生、きょうは遅刻せずに来れました?」

「ええ、遅刻なんかしてませんが」

 黄金崎は高橋を見る。

「ええ。あたしより早く来てましたよ」

「具体的には何時くらいです?」

「七時四十五分くらいですかね」

 高橋は怪訝な顔で答える。いったいこの刑事はなにを知りたいのだろうと思っているようだ。

 あたしには黄金崎の知りたいことはよくわかる。朝、木下を殺して途中下車すれば、定刻に間に合わないと思っているのだ。監視カメラの映像を調べれば次の駅で降りたことはわかるはず。だが、それだと着替えたあと、ふたたび駅に戻っても間に合わない。調べればわかるはずだ。

 もっとも、じっさい間に合うかどうかはかなり微妙だった。バイクでショートカットしてぶっ飛ばしたとはいえ、なにかアクシデントがあれば遅刻だった。だが、もしそうなったらそうなっただ。それが決定的な証拠になることはない。

 案の定、黄金崎は考えこんだ。いったいどういう手を使ったんだと顔に書いてある。

「べつにマリアさんに限らず、きょうは遅刻した先生はいませんよ。まさか、刑事さん、教師の誰かが木下君を殺したとでも?」

 高橋があきれ顔でいう。

「はっはっは。まさか。あくまで念のためですよ」

 高橋は、それじゃあなんでマリアにだけ聞くんです? といいたげだったが、それは口にしなかった。

「これは他の先生にも聞くつもりですが、木下君を殺したがってるやつに心当たりは?」

「ありません」

 あたしと高橋の声が重なった。

「刑事さん、あの木下って子は、この学校でこそ不良で通ってますが、もしなにか悪いことをやってるにしても、飲酒、喫煙、夜遊びに、あとはせいぜい万引きくらいのもんですよ。暴力事件とも無縁でしょうし、女の子に悪さする度胸だってたぶんありませんよ。殴られるくらいならともかく、殺されるなんて」

 高橋は熱弁するが、それにはあたしも同感だった。

 いったいなぜ「お嬢様」は木下を殺させたのだろうか?

「ふん」

 黄金崎は鼻で返事をすると、ふたたび考えこんだ。

「みなさん、発表があるまでは通常の授業です。授業のある先生は教室に行ってください」

 校長がみなにいった。

 黄金崎の動きが気になったが、行かざるを得ない。黄金崎は、あたしにそれ以上絡むこともなく、授業の予定のない、べつの先生に話を聞き出した。

 だいじょうぶだ。この男はなにも証拠を掴んじゃいない。

 そう思いたかったが、不安で胸が潰れそうになった。

 こいつ、また家に聞き込みに行くんじゃないだろうか?

 そうなれば、今朝、あたしが何時に家を出たかナオミに聞くだろう。

 じつはきょう、いつもより早く家を出ている。木下を殺すためにそうせざるを得なかった。母は朝遅いし、ナオミもそれに合わせるので、家を出るときほとんど顔をあわせることもないが、早めに出勤したことにはひょっとして気づいてるかもしれない。

 そうなれば、途中なにをやっていたかということになってしまう。

 面倒だな。なにか考えとかないと。

 きょうは早めに出勤してやりたい下調べがあったけど、途中で自転車のチェーンが外れたせいで定刻ぎりぎりになってしまったことにするか?

 まあいい。相手の出方を見よう。

 あたしはとりあえず、教室に行った。

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