K2
俺が現場に到着したとき、地下鉄の駅は封鎖されていた。制服警官に身分証を見せると、関係者以外立ち入り禁止のテープをくぐり、中に入る。
ホームに入ると、死体はすでに運ばれ、ベンチのところにチョークで死体のマークが書かれていた。鑑識チームがまだ作業をしていたが、俺が足を踏み入れてもなにもいわなかった。
なにしろここには無数の足跡、無数の指紋がある。鑑識の連中にしてみれば、はっきりいってお手上げだろう。どれひとつとっても犯人のものと特定なんかできっこない。それにどうせマリアはそんな証拠を現場に残したりはしない。
「死因はなんだ?」
鑑識の責任者を見つけると聞きただした。
「小型の千枚通しが心臓に後から突き刺さっていた。監察医の報告はまだだが、それでまちがいないだろうよ」
千枚通し? 今までと手口がちがう。なぜだ? ……いや、とうぜんか。こんな人ごみじゃ即死させるしかない。絞殺は無理がある。
「目撃者は?」
「さあな。それは俺たちの仕事じゃねえ。だがいないんだろ。死体はそこのベンチで眠るように座っていた。ぱっと見にゃ、死んでるようには見えん。そうでなくても、朝の通勤時間は人のことなんかかまっちゃいねえだろ?」
マリアは
たしかに人ごみでやるには、ピアノ線で首を絞めるよりはるかに合理的だ。まるでテレビの時代劇だが、凶器を残したのはそこから足がつかない自信があるからだろうし、血のついた千枚通しを回収するより刺しっぱなしのほうが、リスクがすくないせいだろう。
「で、なんか手がかり出たのか?」
「出るわけねえだろ。ガイシャが死んだあと、しばらく誰もそれに気づかなかったんだ。それこそ犯行後、何十人、何百人って人間がそばを通ってる。指紋や遺留品残すほど間抜けな犯人じゃねえだろうし、足跡なんてどれがどれやらわかるもんか」
「そりゃそうだな。で、ここが肝心なんだが、死体のそばには例の黒い逆さ十字があったんだな?」
「ああ、あった。ホシはおまえの探してるやつなんだろうよ」
それだけ聞けば充分だ。あとはここに用はない。
……いや、ホームを映した監視カメラの映像があるはずだ。それを見る必要がある。
俺は駅員に問いただし、責任者を見つけると、監視室に案内させた。
「監視カメラの映像は、さっきべつの刑事さんにコピーを渡しましたが」
「いいんだよ、気にするな。そいつはそいつ、俺は俺だ。オリジナルは残ってるんだろう? もう一回見せろや」
今どきの監視カメラはビデオテープではなくハードディスクで管理しているはずだ。テープならともかく、ハードディスクを警察に渡すはずはない。つまりオリジナル映像はここにある。
駅員は不満そうな顔で、機械をなにやら操作する。壁に掛かったモニターに映像が流れた。
着崩した学生服の後ろ姿が見えた。顔は映っていないが全体の感じから、この前、自分自身で事情聴取したちゃらい不良を思い出す。まちがいないだろう。このちゃら男が殺されたガイシャだ。
ガイシャは一直線に歩くと、並んでいる列の後ろに立った。
そのすぐ後ろを追いかける人物発見。ジーンズに革ジャン姿、頭にはキャップ、顔にはマスク。手には革手袋。一見男だが、マリアだ。こいつこそマリアだ。
とはいえ、そいつの顔が見えたわけじゃない。後ろ姿だったし、ちゃら男のすぐ後ろに並んだときは横を向いたが、帽子の鍔のせいで目元が見えない。耳もヘッドホンで隠れていた。鼻と口元はマスクのせいでお手上げだ。
くそ、これじゃあ特定できねえ。
それでも身長くらいは絞り込めるはず。それはほかのやつにまかせればいい。とにかく、こいつはマリアでしかありえない。
地下鉄が来た。それが止まるか止まらないかというとき、いきなりマリアがガイシャの背中を後ろから刺した。
誰もそれに気づいていないようだ。マリアはちゃら男を後ろに引き倒すと、ベンチに座らせる。さらにポケットから取りだしたなにか小さいものをガイシャの上に投げすてた。これが黒い逆さ十字だろう。
見た。ついに見たぞ。犯行の瞬間を。
俺は興奮で体が震えた。
車両から人が流れ降りてくる。誰もベンチに座っている死体に注意を払わない。
マリアは地下鉄に乗りこんでいった。
ドアが閉まり、車両が出る。ガイシャに話しかけるやつはいない。のぞき込むやつすらいない。誰も死んでいるとは思っていないのだ。ただそばを通りすぎる。何十人という人間が。
「誰が死んでいると気づき、通報したんだ?」
「駅員です。気づいた時点で、これからたぶん十五分以上は過ぎてます」
その間、たくさんの人間が通りすぎ、現場を荒らす。とうぜん、マリアはべつの駅で降りている。
捜査本部は人手を動員して、どこの駅で降りたか調べるだろう。そんなことは所轄の連中にでも任せておけばいい。
もう一度、モニターを流させた。時間を調べるためだ。
マリアの犯行時間は、ほぼ七時二十分。このまま学校まで地下鉄で行けば遅刻もしないだろうが、途中で降りていれば遅れるはず。
俺は学校に向かった。
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