M2

 あたしはほとんど眠る時間がなかったが、きちんと学校にいっていた。

 もちろん、きのうのような恰好はしていない。長い髪はそのまま腰に届きそうだし、着ているものの白っぽいベージュのスーツに膝までのスカート。どこから見ても、きのう生徒を殺したとは思えないはず。優しそうで、大学を出たばかりのちょっと頼りなげな女教師そのものだ。

 一時間目の授業を終え、いったん職員室に戻ると、異様にざわついていた。

「どうしたんですか?」

 近くの同僚、佐藤に聞いてみる。

「それが大変なことになったんです。うちの生徒が自宅で殺されたらしいんですよ」

 その三十をすぎたばかりの男性教師は、心底恐ろしそうな顔をした。

「え?」

 不用意にオーバーなリアクションはしない。人間はそういうとき、案外驚けないものなのだ。

「だから、殺されたんですよ」

 なんだこの女は事態を把握できないのか? とでもいいたげな顔であたしを見る。

「まさか。冗談ですよね?」

「こんなこと冗談でいうわけないでしょうがっ!」

 家族が見つけ、通報したらしい。職員室で話題になってるということは刑事がもう来たのか?

「警察の人が……」

「ええ、来てますよ。今、別室でスタンフィールド先生とマルコビッチ先生、それに校長と教頭に事情を聞いてます」

 つまり被害者の担任と、生活指導の教師、それに責任者からまず事情を聞こうというわけだ。

 スタンフィールドは中年の事なかれ教師で、きっと不良生徒たちの交友関係もろくに知らないにちがいない。生活指導担当のマルコビッチはスタンフィールドよりは我が校の悪党とその仲間のことについて詳しいはずだが、それでも表面的なことしか知らないだろう。校長、教頭に至ってはおそらくなにも知らない。

 教師たちはみな動揺を隠せないようだが、おそらく悲しんでいるものはひとりもいない。殺人という事件が絡まなければ、むしろいなくなったことを内心みな喜んでいるはず。

 この学校の生徒はきわめて多様だ。優秀な生徒は有名大学に進学するが、一部、どうしようもないクズもいる。また留学生を積極的に受け入れてもいるので、白人、黒人、アジア系、いろいろそろっている。必然的に教師の方も、いろんな人種であふれていた。

「殺されたのはまずいわよねぇ」

 中年女性……というか、いかにもおばちゃんタイプの教師、高橋が口をはさんだ。

「それも盛り場で喧嘩でもしたあげくってんならともかく、犯人は自宅に入りこんで、待ち伏せしてたらしいわよ。そこらの不良のやることじゃないわよ」

 そういう高橋の顔は上気していた。案外事件大好きな性格なのかもしれない。

 だが、その本心はともかく、いってることはその通りだ。そんな殺され方をすれば、いったいどういう生徒だったんだって話になる。学校としては非常にまずい。

 もっともあたしにしてみれば、そんなことは知ったことじゃなかった。

「あ、あの、どんな殺され方をしたんですか?」

 いかにも恐る恐るといった感じで聞いてみる。

「それがさあ、ピアノ線みたいなもので首を絞めたらしいのよ。もうそこまでいけば、プロの仕業よね。プロ。殺し屋よ」

「そ、そうなんですか」

 なんか怖いって顔をしといた。

 どうやら黒い逆さ十字のことは秘密らしい。そういえば、前の事件のときもマスコミ発表にはなかった。手口を真似た模倣犯が出ても区別できるようにするためだろう。

 まもなく、校長に教頭、それにスタンフィールド、マルコビッチらとともにふたりの男が入ってきた。どうやらそれが刑事らしい。

 ふたりともスーツ姿だが、ひとりはあまり格好を気にしないタイプのようで、よれよれのダークグレイのスーツ。背は高くないし、太ってもいないが筋肉質でがっちりしたタイプ。年もたぶん四十前後で短いながらもじゃもじゃの髪、顔つきはいかつく、目つきは鋭い、というか悪い。イメージは猟犬だ。

 もうひとりはお坊ちゃん風の若い男で、たぶん年もあたしとそう変わりないだろう。私服なら大学生でも通用しそうだ。もっとも童顔なだけで、案外三十近かったりするのかもしれない。

「リストアップした生徒をひとりずつ呼んでもらえますかね。場所は、今の生活指導室でいいですね?」

 中年のほうが校長にそういっていた。被害者と関係のある生徒を呼び出して事情を聞くのだろう。

 その刑事と目があった。

 なぜかあたしを睨む。それも異様な執着心があるかのような感じで。

 そして、薄ら笑いを浮かべた。

 なに?

 寒気がした。まるで、俺は知ってるぞ、おまえがやったんだろうっていっているような気がしたのだ。

 誰? ひょっとして過去に会ってる?

 家族を殺された事件。あるいは猪股、羽田の事件。過去に何人かの刑事と顔をあわせている。その中の誰かかもしれない。

 だが、思い出せなかった。

 そもそもあたしの過去の記憶は、事件のトラウマのせいか、かなり曖昧だ。記憶障害の一種なのかもしれないが、とくに事件前後の記憶が怪しい。断片的な記憶はあるから記憶喪失ではないのだろうが、思い出せないことも多い。だからこの男も、知っているはずなのに思い出せないだけかもしれない。

 考えすぎだ。黒い逆さ十字があるから、今回も猪股、羽田の事件の同一犯と考えるのはとうぜんだ。しかし、あの事件は「お嬢様」が用意してくれたアリバイのおかげで容疑者からは外れている。ましてや今回は動機がない。なおさら犯人ではないと思われるはず。

「先生方、生徒たちにはあとで放送で私が説明します。それまで授業は通常どおりお願いしますよ。刑事さんが事情を聞く場合はあらためて呼びますから」

 校長がぱんぱんと手を叩き、しゃべりまくっている教師たちを牽制した。

 あたしはほっとした。中年刑事の鋭い目つきから逃れたかったからだ。

 教師たちは各教室に散っていく。あたしもそれにならおうとした。

「ちょっとすみません」

 中年刑事は、逃がさんとばかりにあたしに話しかけてきた。口元に笑みを浮かべてはいるが、目はけっして笑っていない。

「以前お会いしてましたっけ?」

 そういうと、明らかに憤慨した顔つきになった。まるで、なにをとぼけてるんだといわんばかりに。

「いや、はじめてでしょう。おそらくね」

 なんとなく思い出してきたような気がする。やはり、この刑事は猪股と羽田の事件を担当していたのではないか? たぶん、アリバイ調査などで何度か顔をあわせているのだろう。よりによってこの事件に絡んでくるとは……。

「殺人事件などを担当しています。以後、お見知りおきを」

 刑事は名刺を渡した。

黄金崎拓也こがねざきたくやさんですか?」

「ええ、あだ名なコガネムシ。あ、意味がわかりませんか? ポーとか読みます? つまり……」

「いえ、あまり……」

「じゃあ、タクさんとでも呼んでください。フレンドリーにね」

 そういって笑う黄金崎の顔はフレンドリーとはほど遠かった。

 階級は警部補。肩書きは主任。

 黄金崎。黄金崎。……やっぱり、はっきりは思い出せない。だが、たぶん会っているのだろう。でなければ、あたしだけに声をかけては来ないはずだ。

 そういえば、この男、あからさまに自分を疑っていのではなかっか? いまいち記憶が曖昧なのだが……。

 いや、ひょっとしたら、この男はずっとあたしにつきまといたかったけど、上から止められただけかもしれない。

 なんの根拠もないが、なにかストーカーじみた粘着質なものを感じる。

 ひょっとして、今回も自分が殺したと疑っているのか?

 気分が悪かったが、とりあえず、あたしも名乗った。黄金崎は、知ってるという顔つきで聞いている。

「ちなみに、マリア先生。きのうの夜中はどこに?」

「どこって、家で寝てました」

「証明する人は?」

「いません。夜中なら自室にいるし、母だって証明はできないでしょう」

 そうでなくても身内の証言はアリバイとしては弱い。おまけに母は精神を病んでいて、仮に家から出た気配はなかったといっても、証言能力が疑問視されるだろう。

「なるほどね」

 黄金崎が薄ら笑いを浮かべた。まるで、油断しやがって。今度はアリバイ工作を忘れたなとでもいわんばかりだ。

 なんなんだ、この男は?

 ほんとうにただの刑事なのか?

 得体の知れない不安を感じる。

 まるでこの男は、警察機構の中ではぐれた野良犬。そのくせ気に入った得物は諦めず執拗に追う猟犬。いや、むしろ狂犬を連想させる。

「主任、リストにある生徒が来ましたよ」

 若い刑事が黄金崎にいった。黄金崎は興味なさそうにふり返る。

 その生徒は、木下という二年生の男子。とうぜん不良だが強面じゃない。ちゃらちゃらした男で、一般生徒や教師にはめいっぱい強がっているタイプだ。

「いずれそのうち。……あ、そうそう、もし今度の事件でなにか思い出したときにはなんでもいいから連絡ください。さっきの名刺の裏に、私の自宅と携帯電話の番号も書き込んでありますから」

 黄金崎はあたしを一瞥すると、若い相棒とともにその木下を生徒指導室に連れこんだ。

 だいじょうぶだ。あいつはなにもできない。

 今回と前の殺人は同一犯。それは黒い逆さ十字が証明しているはず。あの事件のアリバイを崩せない限り、あたしにはたどり着かない。

 そう思うが、得体の知れない不安が襲う。

 鼓動がはね上がってくるのを感た。

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