K1
「あ、主任、おはようございま~す」
立ち入り禁止のテープを乗りこえ、殺人現場に入ると部下の
「黒い逆さ十字が出たって、ほんとか?」
「らしいですね」
「被害者は少年か? それも悪党の」
「ええ、被害者は高校三年です。名前は上田。まだ詳細はわかりませんが、かなりのワルだったのはまちがいないようですね」
つまり、マリアか。やったのはマリアか。
俺は鳥肌が立った。また追える。マリアを追える。あきらめかけていたのに。
「顔が……笑ってますよ、主任」
「笑ってる? そうか、俺は笑ってるのか」
そういうと、白銀はすこしびびった顔をした。もはや学生を通り越し、カツアゲにおびえる高校生にすら見える。
逆に三十七歳ながら、老けて見える上、目つきが悪く、いかつい顔の俺が薄ら笑いを浮かべれば、おそらく不気味なんだろう。
それにしてもマリアめ。自分の教え子を殺すとは大胆すぎるぜ。
「そんなに捕まえたいんですか?
黒い逆さ十字のことは、白銀も知っていた。いや、しゃべったのは俺だったか? まあ、そんなことはどうでもいい。
「ああ、捕まえたいね。それだけが今の俺の生き甲斐だ」
「でも、……どうしてですか?」
「どうして? 俺たちは捜査一課だ。殺人犯を捕まえるのが仕事だろうが」
「そりゃそうですけどねっ。でもそれだけじゃないんでしょう?」
こいつはビビりのくせに、好奇心旺盛でしつこい。よく言えば根性がある。
いい根性してんな、てめえ、といいたくなることの方が多いが。
もっとも白銀のいうこともわからないでもない。マリアだけにこだわるのはなぜと聞きたいのだ。
迷宮入りになったのは、あの事件だけじゃない。
ましてや、被害者は未成年のとき、なんの罪もない一家に忍びこみ、娘と母親をレイプしたあげく、父親と娘を惨殺した連中だ。殺されたマリアの妹はまだ十三歳だった。一方、容疑者だったマリアは、その事件で家族を失った被害者で、まだ若く、いかにも優しそうな美女ときている。
刑事だって人間だ。こういう事件のときは、あまり気がのらないが普通だ。どうしたって、被害者は自業自得、逆にマリアの罪は問いたくない。
実際、あの事件の捜査は、刑事たちも気合いが入っていなかった。逆に、マリアの一家が惨殺されたときは、刑事たちは犯人に対する怒りに燃え、必要以上に入れ込んだものだった。もっとも、犯人はすぐにわかった。主犯格の女と共犯の男ふたり。女は日本語ぺらぺらのアメリカから来た留学生で、相当頭がいい白人美少女。ふたりの男はそいつにめろめろだった。
最悪なことに全員未成年、白人女が十七歳、あとのふたりが十五歳だったわけだが……。
「え、無視ですか、主任? それはないでしょう。なんとか言ってくださいよ」
さらに無視した。
「タクちゃんってばあ」
「誰がタクちゃんだっ!」
こいつは本当に警察官か?
「じゃあ主任、私はその事件のこと詳しくはありませんけど、彼女には犯行は不可能だったって聞いてますよ。たしか完璧なアリバイが……」
白銀がキャンキャン吠える。
「アリバイか」
たしかにそうなのだ。黒井家殺人事件の直後失踪し、いまだ行方不明の女をのぞく悪ガキふたりが惨殺されたとき、それぞれマリアにはアリバイがあった。
それも時刻表トリックなどを使う余地はなく、完全に犯行推定時刻にべつの場所にいたことが複数の第三者によって証言されている。
「たしか、黒井家を襲った犯人の少年がアパートの自室で殺されたのは、検屍結果や怪しい人影を見たという近隣の目撃証言から推定すると午前零時前後。そのとき摩理亞さんは十キロ以上離れた飲み屋で合コンの真っ最中だったんですよね?」
「そうだ。男に持ち帰られることもなく、マリアは午前一時過ぎには店を出たが、そのさい数人の女友達とタクシー相乗りになり、自宅で降りたと彼女たちに証言されている。そのときすくなくとも一時半は過ぎていた。そこからすぐにべつのタクシーを拾って被害者のアパートに直行しても、三十分以上はかかる」
「それから後日起こった犯人の片割れが殺された事件のときも、殺害現場とコンパ会場がちがうだけで、あとはほぼ同じような状態だったはずですよ。しかも、アリバイを証言した人間が前回と被らない分、信憑性も増すってもんです」
「だからこそなおさら怪しいんだよ。犯行は夜中だ。まともな女子大生ならアリバイなんてないのが普通だが、たまたま合コンだってのはできすぎだろうが。それも二回ともだぞ。不自然にもほどがある」
「そうですかあ?」
露骨に反論してきやがる。
「いまの女子大生は、コンパとか普通にやってますし、考えすぎですって。それとも、彼女がプロの殺し屋にでも頼んだと思ってるんですか?」
「いいや、自分自身でやったんだろうな」
「どうやってですかっ!」
白銀があきれ顔でいった。
白銀のいいたいこともわかる。しかし、俺にはどうしてもそうとしか思えない。理屈じゃなかった。直感ともちがう気がする。なにかが取り憑いている。うまく説明のできないなにかが。
残念ながら、俺にはいまだ、そのアリバイをくずすことはできていない。
「まあ、いい。その話はあとだ。まずは現場を見る」
「あ、まだ鑑識が作業中です。入れてくれませんよ」
「知るか」
止めようとする白銀を無視し、俺はずかずかと現場に上がり込んだ。
「ちょっとタクさん、待ってくださいよ。まだ入られちゃ困りますよ」
「ちょっとだけだ。覗かせてくれればすぐ帰る」
俺はからんできた鑑識を制し、犯行現場をのぞき込んだ。
ゴミためのように乱雑な部屋だ。かなりごつい男が腹ばいに倒れていた。首には糸状のものが食い込んだ跡があり、ただでさえあくどそうな顔が、目を見ひらき、口から舌を出しているせいで醜悪なことこの上ない。知性のかけらもなさそうなだぼだぼの服の上にロザリオが投げすてられていた。
黒い逆さ十字。
マリアが家族の復讐を遂げた殺害現場に落ちていたものと同じものだと一目でわかった。このことはマスコミにも発表されていない。模倣犯ではありえない。
やっぱりマリアじゃねえか。
俺は内心、舌なめずりした。
なにせ、今度のやつはあの事件とは直接関係ない。だから、半信半疑だった。
おそらくマリアは、直接の復讐から、ターゲットを未成年犯罪者全般に移したのだ。
「おい、コガネムシ、とっとと出ていけ。鑑識作業が終了するまで刑事に現場荒らされちゃたまらねえぜ」
鑑識の主任が吼える。
うるせい。そんなアホみたいなあだ名で俺を呼ぶな。せめて他のやつのように、タクとかタクさんと呼べ。そう思ったが飲み込んだ。
「わかった。いま出るよ」
黒い逆さ十字さえ確認すればあとはどうでもいい。
「係長には報告しておくからな」
それを背中で聞きながら、俺は立ち入り禁止のテープをくぐり、現場を出た。
「まずいですよ、主任。あとで係長からなにいわれるか、わかったもんじゃありませんよ。私までにらまれるのはごめんですからね」
「知ったことか」
すり寄ってきた白銀を押しやった。
「で、どうだったんです?」
白銀の目は好奇心で輝いている。
「なんだ、おめえ。じつに気になってたのか?」
「そりゃ、気になりますよ」
いたずらっ子のように、舌をペロッと出した。
「現場にあった逆さ十字はまず同じものだ。まあ、くわしくは鑑識の結果まちだがな。そして死因は絞殺だろう。ピアノ線だ」
「たしか、例のふたりを殺ったのと同じ手口。……ってことですよね?」
「ああ、あの黒井家虐殺事件の未成年強姦殺人鬼どもと同じ死に方だ」
マリアは今回も同じ凶器を使ったらしい。刺殺だと血痕が飛ぶし、銃だと入手経路から足がつきやすい。音もする。体に発射残渣が残る。たぶんそういう理由で、ピアノ線を凶器に選んだのだろう。
「やっぱり、プロの仕業じゃないですか? 素人の手口とは思えませんよ」
「マリア自身がプロなんだよ」
「はあっ? マジで言ってます、それ?」
白銀は笑った。顔がいっている。「ありえねえ」と。
初めて会った日から思っていたが、かなり失礼なやつだ、こいつは。
たしかにいいたいことはわかる。黒井家虐殺事件のとき、マリアはまだ十七歳。高校生だ。そのとき殺し屋だったわけがない。その後、復讐のため、高校、大学に通いながらプロの殺し屋になったなんていって、誰が信じるだろう。
いや、そうじゃねえ……。
「プロってのはさすがにちがうな」
「ですよね?」
白銀はほっとした顔をする。もっとも次の俺の言葉にふたたび凍りついた。
「プロってのは依頼人がいてはじめて動く。マリアにそんなものはいねえだろう。自分自身が依頼人だ。復讐を完了したにも関わらず、ふたたび似たような殺しで動きだしたってことは、やつは復讐者からテロリストに格上げしたってことだ」
「主任。だいじょうぶですか? ……その、頭」
本気で心配していそうだ。っていうか、それが上司に言う台詞か?
「ありえませんって。百歩ゆずって、こういうことならないとはいいきれませんよ。法で守られた未成年の悪党ばかりを殺す、現代の必殺仕事人みたいな殺し屋がいて、そいつが家族を殺されたマリアにコンタクトを取ってきた。マリアが依頼し、例のふたりを殺す。その後、べつの依頼人が、今度の上田殺しを頼んだ。まあ、これだってかなり荒唐無稽ですけど、可能性はゼロじゃない。だけど、主任の話をまとめると……」
白銀は俺の目をのぞき込む。
「マリアはあの事件以来、どうにかしてプロの殺し屋なみの技術を身につけたってことでしょう? しかもどうにかして完璧なアリバイを偽装し、家族の仇を殺す。そして自分自身の復讐だけでは満足しきれずに、悪党を殺しまくる決意をした。ない、ない。ぜ~ったいにないですって、そんなこと」
白銀は大げさに手と首をふる。こいつはアメリカからの帰国子女だけあって、こういう仕草はオーバーアクションで鼻につく。
わかっている。白銀のいうことが、たぶん常識というものなのだろう。だが、どうしても自分の推理がちがっているとは思えない。まさに取り憑いているのだ。
なにが?
マリアの怨念? いや、ちがう。ほんとうはわかっている。だが、認めたくない。
めきききっ!
いきなり左手首が握りつぶされるような錯覚。
赤い痣が浮かび上がっていた。手の形。かつて、自分の左手首を握りつぶした女房の手形だ。
「ぐ、うぐぅ」
「どうかしたんですか?」
「な、なんでもねえ」
そういった途端、目の前をころころと転がっていくものが見えた。
子供の生首。もっとはっきりいうならば、殺された娘の生首だ。
くそっ、くそっ、くそっ。
もちろん、これは白銀には見えない。いや、他の誰にも見えない。幻覚だ。そんなことはいわれるまでもなくわかりきっている。
だが、これが見えると、平静ではいられない。立っていられなくなる。
がくっと膝を地面につくしかなかった。
「なんでもないわけないじゃないですか、主任? 顔が真っ青ですよ」
「だいじょうぶだ。もう、だいじょうぶだ」
実際、あれが見えたのは一瞬のことだった。
きっと催促しているのだ。「どうして、あの男を殺さないの? あたしをこんな目にあわせたあいつを?」ってな。
そう。俺に取り憑いているのは、マリアの生き霊なんかじゃない。
「やっぱり主任、マリアに関わるのはやめたほうがいいですよ」
白銀はもはや病人を哀れむような顔で自分を見ていた。
こいつも案外わかってるのかもしれない。
そうだ。俺はうらやましいんだ。
俺だって家族を失った。しかも犯人は精神異常のため、無罪になった。赤井という弁護士が無罪にした。
ほんとうはそいつをぶち殺したい。弁護士ともどもだ。だができない。なぜなら俺は刑事だ。
だが、マリアはやってのけた。
あいつは自由だ。風のように殺しをやってのける。
だから憎い。そうさ、俺は嫉妬してるんだ。法で裁けない悪党を自在に殺せるマリアがな。
だから捕まえてやるんだ。あいつの翼をもいで、俺と同じように地面にはいつくばらせてやる。
だが、逆にそれはすでに俺の妄想で、あいつにも翼なんかついていなかったとしたら。つまり、マリアは誰も殺してなかったとしたら。
そりゃあ、それであまりにも悲しすぎるだろうがっ!
俺は誰にこの不満をぶちまければいいっていうんだ。
だから、マリアは人殺しじゃなくてはいけない。
たとえ、それがどんなに荒唐無稽でありえそうにないことだとしても。
「主任、顔怖いですよ。それほんとに笑い顔ですかあ?」
おどけていっているが、白銀は明らかにびびっていた。どうやら俺は恐ろしい顔つきで笑っているらしい。
そりゃそうだ。マリアが復讐を果たした事件は東京でも田舎のほうのことだ。未だ解決の目処は立たないが、本庁は手を引き、今は地元の所轄署がほそぼそと継続捜査しているに過ぎない。
もう、俺には手が出せない。そう思っていた。
それなのに今回の新しい殺しだ。
つまり、マリアはほんとうは俺に捕まえられたがっている。
それとも俺を殺したいのか?
おもしれえ。やってやる。とことんやってやる。勝負だ。どっちが相手を先に狩るかな。
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