第5話 無味候 (作:白川迷子)

右を見やれば男がひとり、左を睨めば佇む初老。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男が手をふき、左を睨めば水音と初老。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男が尺八、左を睨めば初老の眉間。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男の喉が、左を睨めば初老が老爺に。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男がいびきを、左を睨めば老爺が殺生。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男と女が、左を睨めば初老は日照り。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男の耳たぶ、左を睨めば初老も耳たぶ。手もとを探れば空の木目。右を見やれば女が濡れて、左を睨めば初老の陰り。手もとを探れば空の木目。右を見やれば男の指輪、左を睨めばまたも老爺が。手もとを探れば空の木目。嗚呼、右を見やれば暑い男が、左を睨めば老爺は塵に。手もとを探れば空の木目。右を見やれば……左を睨めば……手もとを探れば……空の木目。右を見やれば仄かになごりが宙を舞う。左を睨めば根をはった老爺の石膏が物言わぬ像となり果て嘆息をひとつ。手もとを探れば空の木目。右を見やれば座面に染み、左を睨めば菩薩の手刀。手もとを探れば空の木目。右を見やれば揺蕩う白露が、左を睨めば目覚めた像が。手もとを探れば空の木目。

「ホットケーキが食べたい」

 木目の神への祈りはかなしいかな、目覚めた初老の手より出でる香りに巻かれ藻屑となり、いまにいたりては褐色の入り隅をなぞるただひとすじの無機無臭物。反してワタクシの頬をつたうは世の灰汁をしぼりつくしたが如く有機不純のかたまりでとめどなく。まぶたを擦れども、とめどなく、とめどなく、溢れてしまい矮小なワタクシの手ではとうに掬いきれないのです。こうしている間にまたひとつ、寄せては還す香りの間に間につづけてひとつ。諸行無常やがてはこの劣情ともども塵となりて世の灰汁に交わり、木目を泳ぐ有機不純物となり果てるのでしょう。ワタクシに向けられた木目の神によるお仕打ちは一切が事なきを得ず、胃を焼かれてはこれでもかと足指を開き、腸を絞られたらば耳もとで落ち葉の爆ぜる音がします。果たして首を括らば俗世に顔向けなど到底できようはずもありません。うらめしは鶏にも劣る石膏像の脳細胞が、翻すようにワタクシには一瞥もくれず、ともすれば気がつきそうな一幕を今やいまやと後ろ手に隠していることをワタクシ自身に悟られてしまっているくらいでしょうか。あゝうらめしや。どこのどなたがお読みになっても喜劇と罵るにちがいありません。ここに至るはわずか二頁、それすなわち富士の山でいうところの海辺、成人の義であらわすところの受精卵でありますから、なんてことでしょう、ワタクシは未だに神のもとをたつことすらできていないのです。

 右を見やればまた男が、腰に団子をぶらさげて何ともうかがえぬ間抜けな様で頭を垂れます。腰に団子、右手に額、そして背中にひたと……紙。紙です、紙が貼られてありました。そこには真っ白な──絵図そのものが哀愁滲ませたもの故、はたして我が目に映る色彩が真の姿を投影していたか定かではありませんが──犬が舌と涎を垂らしていました。「この子を探しています」と記した文字は大々しく、酸素を食べる火炎よろしく主人の苦労を養分に燃えさかっているようでした。滑稽まわってなお滑稽きわまるではありませんか。いざ孤島へ行かんと勇んだものの、猿も雉も手にいれることができずに犬を見失うだなんて。しかしですね、犬なんてどれでも同じだと思いませんか。団子を与えればさあ仲間だ友だなどと、虫の良い話でありまして、儚き様はさしずめ袖の下に群がる魚のごとき連帯でありましょう。陸の話を海で例えるところが本編のみそでございます。

 さてさて犬をたずねて三千里。この場にたどり着いた男の背中のなんとも物悲しい雰囲気は如何に描写したものか、まことに手にあまります。産声をひびかせた相手が後頭部、まだ足りぬ。馬上の揺れと嘶きが波長をのばす、まだまだ足りぬ。白日のもとに認め、あわよくば世間様へ御提示いたしたい所存でありますが、あいにく貧相なワタクシの語彙ゆえ適切な文脈と手段を持ち合わせておりません。世の無情をこぼれんばかりに納めた我が両の手に、この者のための隙間を少しばかりでも分けてあげられたらと願うに一心です。嘆き悲しきはそれほどに頭を狂わせているワタクシに一切の情もくださらないことです。失念しておりました。これは暗に認めているのです。ワタクシたちに降りそそぐあなたがたの視線をちょうどこのあたり、首すじから肩甲骨の谷間を覗いたときにあらわれる地平線に、確かに感じることを。これは喜劇だと、すべては冗長な洒落で固められた綿菓子のようなものだと。一度気がついてしまえば認めるほかありえません。

「ホットケーキが食べたい」

 いま一度、時をもどしましょう。この哀愁醸しだす背中について再び話をもどします。犬をたずねて九十九里、たどり着いたこの場末、渡る世間に鬼もいなけりゃ相棒久しくついぞ見当たらず、といったところでしょうか。致し方なし、大事なことですからもう一度述べましょう。しかし犬なんてどれでも同じだと思いませんか。せいぜい白いか黒いかの違いはあれど、斜に一歩さがり付いてまわる四足歩行の獣に愛玩具以上の期待は重荷というものです。手をさしだせば手をかえされ、座れと命ずればその場で尾をふる、それで良いではありませんか。谷をまたぎ山を越え舟にのせ、あげくに鬼にたちむかえと、それこそお前は鬼かと犬も泣く……というものです。この一節にこめられた渾身の冗句、お気に召しましたら幸いに存じます。ここで鼻を鳴らさねば以降あなたがたの口角が月を向くことはございません。そうもこうもしているうちに腰から垂れた団子もとい古風な男はいなくなっていましたとさ。めでたし。

 ある日のこと、背後で雨がふっていました。壁の外ではありません。いえ、ひょっとしたら本当に空は雨模様を描いていたかもしれません。ですが、今しがたワタクシが申しあげました雨とは捻りのない比喩でございまして、背後に腰かける──霧を塗りたくったように抑揚のない、それでいて軽薄さの抜けきらない発声の──おそらく三十にも満たない華奢な男が口からぽつぽつと愚痴を漏らしていたのです。小雨のごとく小鼻の角質を散らすがごとく、ぽつぽつ、ぽつぽつと。次から次へとなにやら不穏な文言が男の足もとにしんしんと堆積していきます。積もりつもった基から高揚を下地に、幸福をかため、恥を下塗り、嫉妬が燃え、灰のなかから甲斐性が顔をのぞかせていました。わずかに空いた手で想い文をひとつ拾い上げてみますと、ふむふむ、ひとを捜しているとのことです。文面をよく見やればそこかしこに汚れがついてありまして、払い落とそうと振るってもはたいてもこびりついてどうにもなりません。呪詛のようにしがみついたそれらをもっと目をこらして追いかけてみますと、なんと奇怪な烏合の念が男の腹のうちを投影しているのです。心の底から手に入れたいと願わばすぐにでも出逢えますのに、いまだ思い悩む女々しさが捜し物を遮っているようで、悩ましきかな根を張りつくした臀部は少しとも離れることを良しとせずです。あゝうらめしや、これもひとえに木目の神のお戯れ。ここから先は神のみぞ知る物語であり、今この場でワタクシが申し上げることはなにひとつございません。男の末路をしかとその目でお確かめくださいませ。……一点訂正させてください。こんなワタクシにも彼に捧げる最後の言葉を持ち合わせてありました。さきの犬なき子が携えた熱意と背中の貼り紙を彼の頭蓋に縫いつけてさしあげたい、そう願うに一心です。またつまらぬ宵の言を残してしまいました。失敬。

「ホットケーキが食べたい」

 右を見やればいつも誰かが、左を睨めば変わらず老爺が。空の木目はなにも呼ばず、ワタクシは唯々無力を嘆くばかりです。遠い記憶のかなたに捨て去られた喜びを、二度と味わうことのできない事実を、誰でもなくワタクシ自身がよくわかっているのです。……わかっています、この声が聞こえないのでしょう。よくわかっていますとも。老いていく父の姿を眺めながらここに居座りつづけるワタクシはとんだ親不孝者でございます。ここで出逢った数多のなによりも、ワタクシは滑稽でございます。笑わずにいられますか、たったひとつの思い出を藁にもすがる想いで手繰りよせようとしていた男の背中を。

 手もとを探れば空の木目。諸手で清めしは朝焼けのごとく儚き薫、耳をかさねば右手を咥え、節の輪郭のぞけば湯が立つというもの。そのまなざしに現れる狂気に満々た艶はだれに向けられたものやも知れぬ云々。もう何年もこうしているように感じられますが、実のところわずか数分の出来事を反芻しているやもしれません。さて、この喜劇もいよいよ結へと運ばねばならないときがやってまいりました。いつ立ちあがり、どこで転んだのか、気がついたあなたは尋常ではありません。寧ろここにいたる道中のいずこかで大切なものを失くしていませんか。開いた両の手を閉じて窓の外を御覧なさってはいかがですか。駄々をこねる文脈から目をそむけて赤ん坊の声に耳を傾けては。

 こんにちは、ワタクシは幾度も老爺に合図を送り、その度にあなたがたの心理を図りかね、そして失望させられ、またさせてしまいました。もう十二分に灰汁を吸い尽くしましたから、これ以上の語りは蛇足のほかありえません。これにてお暇をいただくといたします。もしもう一度この町に立つことができましたなら、そのときこそは……。

「ホットケーキが食べたい」

 あゝ木目。身の置きどころを確かめるように縦横無尽に泳ぎまわる命を削いだ証よ。森羅万象に宿りし神よ。何ゆえ我にこのような試練をあたえたもうた。




 了




 左様でございますか、存じあげない、と。無理もありません。寧ろ当然でございましょう。ただいま申しあげました御噺はすべてあなたがお生まれになるより遥か以前のことなのですから。ここにもあったのですよ、たしかに。いまでもワタクシが手を拓けば。

 例えばほら、こちらへ、慣れない身体にたいして恐縮です……どうです、実際にご覧になりましたらワタクシの申します意味もすこしはご納得いただけるのではありませんか。納得してくだされば結構なのです。理解などせずともワタクシたちの時間は回りつづけるのですから。そう存じ上げる次第です。いえ、光栄のあまりに。

 雨雲に日輪をかむらせることも可でございます。ちょうどあの日あなたが姿を顕せたときのように。お堅いことで、結構ですね。……これは失敬。あれから度々ここに腰をすえては機会をうかがっていたわけですが、なにせ相手が相手なものでさすがのワタクシも分が悪い。あの日もそうでした。あゝあの雨はワタクシと関係がありません。おおかた近所の稲荷が泣いたのでしょう。それは置いておいて。あの日、虹彩かかる雨をかき分けあなたが顕れました。そのとき何が起こったと思いますか。なんと彼があなたを認めたのです。お分かりでない、覚えていらっしゃらない、そうですか。残念、これは革命的な日だと、あのときのワタクシの踊りようを御見せしたかったほどでございます。躍りではありません、まちがいなく踊っていたのです。だれの目にも留まらぬ木目の入り隅でひっそりと。えゝひっそりと。

 だれも彼もワタクシにひと目もくれず幾星霜、木目の神々と戯れる時々のなか、ついぞひらけた千載一遇──否、もはや兆が一のほころびとみるや節操もなく声をだし手をたたいていました。そうして浮かれつづけることに飽きはてたころ、その曖昧な奇跡がとけてしまわないうちにワタクシは慎んでホットケーキを待ち望みました。いつものように右手に愛嬌をこしらえて。しかし、しかしです。この先は涙なくして語るに憚られますため割愛します。喜劇ゆえお涙ちょうだいは不合いでございましょう。とはいえあなたが霧散するように雨のなか消えていった光景はなんとも締めくくりにふさわしいものだったと感じます。こうしてワタクシと肩をならべていることも含めて、晴れてひとつの喜劇が相成りました。これにて失敬。




めでたし。

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『喫茶・時間旅行』アンソロジー 雨宮 未來 @micul-miracle

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