第二話

 ――翌朝。どこから調達したのか、お約束通りベルトラン様から男性服が贈られて参りました。すっかり面白がった侍女たちは、よってたかってわたくしの男装を仕上げてゆきます。


 贈られた服は目立たない色味ながら、とても仕立ての良いものでした。鏡を見ると丈もぴったりで、薄い身体つきも手伝い、すっかり少年のようです。簡素な紐で一括りにされた髪は男性にしては長いものですが、全くいないわけではないでしょう。


「よく似合ってるじゃないかアウロラ、いや、アーロンかな」


 わたくしを迎えに来たベルトラン様も、そう言って面白そうに笑っています。その反応に、わたくしは軽く不満を込めて言いました。


「それって、褒め言葉ですの?」


「ああ。とっても可愛いだよ」


「こんなとき、ニクラスならちゃんと誰よりも可愛いよって夢を見せてくれるのに……。現実を見せてくださるなんて、ベルトラン様はいじわるですわ」


「ごめんごめん、私は正直者なんだ」


「もう! 早く行きましょう!」


 わたくしは少しだけ怒って見せましたが、ベルトラン様はまだ笑いながら言いました。


「ああ、行こう行こう!」




 緊張しつつベルトラン様の馬車に乗り込んで出発すると、お城の門兵たちは車内をちらりと見ただけで、すんなり通してくれました。遊学中である同盟国の王族がお忍びで街に出かけられるということで、確認は形ばかりとされているようです。


 しばらくして馬車が止まったのは、王都の目抜き通りにある立派な建物の前でした。街なかのお店と言っても、カフェを利用できるのは貴族階級の者たちばかりなのです。入口の左右を守る警備の一人にベルトラン様の従者が紹介状を渡すと、すぐに店内に招き入れられました。


 店内には十数台の高脚のテーブルが置かれているだけで、ほとんど椅子はありません。どうやら立ち飲みが主となっているようで、殿方たちがそれぞれ数名ずつの集団で、テーブルを囲みながら談笑しています。


 店の奥に空いているテーブルを見つけて陣取ると、わたくしは辺りを見回しました。やがて珈琲が運ばれてきても、ついソワソワとし続けていると……ベルトラン様が苦笑しながら言いました。


「そんなに面白いか?」


「ええ! ……いや、うん。どこを見ても新鮮だなと思ってさ」


 こんなの不良の行いだとは分かっているのですが、だからこそ、より楽しく感じてしまうのでしょうか。いつもならばあやに怒られてしまうような言葉遣いも、崩れたお作法も、ここでは誰にも咎められることはないのです。


「そりゃあ良かった。せっかくだから、思いっきり楽しむといい」


「うん!」


 そう、わたくしが満面の笑みで答えた、その時。店内に新たに入ってきた四人組の中に婚約者の顔を見つけて、わたくしは慌てて入口の方から隠すように顔をそむけました。


 ニクラスと共に現れたのは、確か以前に仲の良いお友だちなのだと紹介された方々です。彼らのテーブルから楽しげに会話する声がここまで届き、わたくしは強い後ろめたさを感じて青ざめました。


 女人禁制の場所に出入りしているなんて知れたら、はしたない女だと思われて、嫌われてしまうかもしれません。それも婚約者がいる身で、護衛も同伴とはいえ他の殿方と……。


 ――こんなところ、来るのではなかった!


 しかし今慌てて席を離れては、逆に目立ってしまうでしょう。わたくしはなるだけ目立たないように、店の奥で息を殺しました。



 しばらくして飲み物が到着したらしいニクラスたちの話が、さらに盛り上がりを見せ始めたころ。この隙にそっと店を出ようとテーブルを離れかけた、その時でした。――大声で話す彼らの会話が、図らずして耳に入ってきたのです。


「お前、本当に上手くやったよなぁ! 結婚と同時に叙爵が決まったんだろ!? いくら王女殿下といってもあんな地味な鶏ガラ姫相手に熱心に愛を囁くなんてよくやるなぁと思ったが、爵位付きなら話は別だよ。あーあ、嫡男じゃないってだけで爵位の継げない俺らは不遇だよなぁ」


 そう大声で嘆く友人らしき男に向かい、ニクラスは勝ち誇ったような声で答えます。


「まぁあんな鶏ガラ姫のお相手も、王家の血を引く次代が確保できるまでの我慢だからな。後はいくらでも、好みの女を連れてくればいい」


「でも、曲がりなりにも相手は王女サマだぞ? 夫が浮気してるって陛下に泣きつかれたら、マズいんじゃないか!?」


「そんなもの、結婚してしまえば夫に文句なんて言わせないさ。それが地味でおとなしい女の唯一の利点だろ? お前の婚約者、美人だけど気が強そうだもんな!」


「ああー、早まったかな。お前が叙爵するって噂を聞いて、彼女が早く出世しろってこの頃うるさいんだよ。贈り物の要求も年々高額になってくしさぁ」


「その点、王女サマはいいぞ? 日頃から贅沢品には満足していらっしゃるから、一輪の花に甘い言葉を添えて渡すだけでいい。俺から貰えるなら何でも嬉しいんだってさ」


「マジかよ!? 逆だと思ってた……」


「ま、俺はお前等とはココの出来が違うからな」


 頭の横を指差しながらニクラスが笑うと、友人は悔しそうに麦酒の杯を振り上げて言いました。


「ああクソ、いい気になりやがってよぉ! 俺も今の女さっさと捨てて、どっかの醜女ブスの逆玉狙おうかなぁ」


 そのままゲラゲラと笑い合う声が聞こえて……その間、わたくしが手に持ったままのカップを、カタカタと小刻みに鳴らしていると――まるでその震えを止めようとするかのように、そっと温かい手が重ねられました。血の気が引き、冷え切っていた指先に……じんわりと熱が戻って来るようです。


「すまない、こんなところに連れてくるべきではなかった。――行こう」


 ベルトラン様の静かな声に促され、店を出てゆくわたくしに……婚約者は最後まで、気づくことはありませんでした。

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