第三話
それからの日々は、まるでこの世が終わってしまったかのようでした。あのとき囁かれた愛の言葉も、夢のような甘い時間も、全て偽りだったのです。『鶏ガラ姫』と心の中では
憔悴して部屋に閉じこもってしまったわたくしを心配し、ベルトラン様は毎日訪ねて来てくださっているようでした。自分がカフェなんかに誘ったせいで辛い思いをさせたと、責任を感じていらっしゃるようなのです。
しかしその訪問も、十日もお断りし続けているとさすがに申し訳なく感じてしまいます。とうとうお会いすることにした、その日。ベルトラン様はわたくしの顔を見るなり言いました。
「すまない、本当に、すまなかった! あんなにも幸せそうだった君を、それほどやつれるまで悲しませてしまうことになるなんて、なんということをしてしまったんだ。詫びと言ってはなんだが、あの男と友人共には私から――」
ですがわたくしは彼が皆まで言う前に、その言葉を遮るようにして首を振りました。
「いいえ、ベルトラン様の責任などではありませんわ。もし今は気づかずに済んでいたとしても、数年後に最悪の形で露見してしまっていたでしょう。ならばむしろ、貴方には感謝しかないのです」
「アウロラ……」
「それでもお気になさるようなら、この栞の処理をお願いします。わたくしにはどうにも、荷が重くって」
わたくしがあの初めてもらった花で作った栞を差し出すと、ベルトラン様はそっと受け取ってくださいながら言いました。
「確かに、請け負った。だが、それだけでよいのか? ひと言この私に全てを任せると言ってくれたなら、喜んで全ての
「……あとはわたくしが自分で、全てを終わらせて参ります。ベルトラン様、どうぞ
「……わかった。確かに
*****
あれからわたくしは父に平謝りし、婚約破棄の了承を得ることができました。しかしすぐにニクラスの実家であるアールベック家に書状を送ろうとする父を、わたくしは引き止めるようにして言いました。
――わたくしの口から彼に伝えたいのです、と。
「待ってください、誤解があるんだ! 僕は本当にアウロラ様のことを愛しているんです。婚約を破棄するなんて、どうかおっしゃらないでください!」
芝居がかった仕草でひざまずき、ニクラスはこちらに縋るように手を差し伸べました。しかしこうなってしまっては、全てが偽りの言葉だとしか思えません。
「我慢して鶏ガラの相手をしてくれなくても、もういいの」
そう言ってわたくしが自嘲するように笑うと、ニクラスは小声で言いわけを始めました。
「そ、その件は……悪友に、見栄を張りたかっただけなんです。貴女に本気だと思われるのが、格好悪いと思って、それで……」
「貴方にとって、わたくしのことが好きなのは……格好悪いことなのね」
「あ、ちが……」
「信じていた貴方に裏切られて、わたくしはとても悲しかったの。あのとき贈ってくれた花も、愛の言葉も、全部ウソだったんだって」
「ウソじゃ……ない……ウソじゃ……」
「もしウソじゃなかったのだとしても、貴方の心無い言葉を聞いて、わたくしは本当に辛かった。もう何を言われようと、貴方を信じることはできないの。アールベック家には後ほど正式に通達を出すわ。短い間だったけど、楽しい夢をありがとう。……さようなら」
「いっ、嫌だ! 待って、話を聞いてくれっ!」
そのまま彼の横を通り過ぎ、無言のまま扉のない入口を出た、その瞬間。慌てて立ち上がったニクラスが追い縋るように手を伸ばし、わたくしの肩を掴もうと――
「そのぐらいにしておけ」
――寸前で。横から伸ばされた手が、ニクラスの手首を掴んで止めました。
「なっ、誰だ!」
「ベルトラン様!」
わたくしが彼の名を呼ぶと、元婚約者が憎らしげに顔をしかめて言いました。
「こいつ……いや、この方が、あの!」
「あの?」
苛立つように片眉を上げたベルトラン様に、ニクラスは苦々しい顔をして言いました。
「あの……アウロラ様のお話によく出てくる男……」
「それは光栄だ。良いことを教えてくれた礼に、数々の不敬は不問に処そう。――下がれ」
ニクラスはベルトラン様へと向かい、悔しげに顔を歪めて見せたあと。なぜかわたくしへと向き直り、一瞬だけ何か言いたげな顔を見せてから……そのまま黙って一礼し、廊下の向こうへと走り去って行きました。
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