第37話 私の本心

 なんの脈絡もない展開で戸惑うばかりだが、監禁された。


 手足を縛られ、椅子に括りつけられているこの状況は監禁以外の何ものでもない。

 ただ、場所は覚えがある。

 覚えがあるというか、いつもの場所。

 俺の部屋だ。


「せんぱい、目が覚めましたか?」

「……玄、どういう冗談だよ」

「えー、冗談じゃないですよ。やってみたかったんです」


 にやにやと。

 日葵は実に嬉しそうだ。


「ねえせんぱい、私とずっと一緒って言ってくれましたよね?」

「あ、ああ。いったけど」

「もう、何されても私のこと嫌いになんてなれませんよね?」

「……なれないよ。俺はお前が好きだ。だから早く縄を解け」

「だーめっ。せんぱいはずうっとここで私がお世話しようと思ってる次第です」

「なん、だと?」


 日葵は右手に空のペットボトルを、そして左手にはタオルを持っている。

 

「それは?」

「トイレしたくなったらいってください。私が受け止めてあげます」

「な、何言ってるんだよ? そんなこと」

「できます。私、せんぱいがどんなに排せつ物にまみれていても、そのまま添い寝だってできますよ。おむつも交換しますし、毎日お身体は拭きます」

「い、いやいやなんで急に?」

「だって、せんぱいが私から離れられない体になってくれないと、こんなことしたら嫌われちゃうじゃないですか。ね、今は違うでしょ? 私に監禁されても、私を嫌いになれない」

「……」


 一瞬で、色んな可能性を考えた。

 この監禁が冗談でなくマジだとして、そんなことをされてまで彼女を愛するなんて愚行が果たして可能かと。


 こんなヤバい女なら、こっちから願い下げだといってやったらどうかと。

 やっぱり俺の勘違いで、日葵のことは全然好きじゃないと。

 しかしどの言葉も口に出ない。

 出そうとすると喉がきゅっと狭まる。


「……せんぱい、ちゅうしましょ」

「え?」

「ん、んんっ……」

「ん……」


 蕩けるなんて言葉一つではとても言い表せないようなキス。

 そのまま俺と彼女の口が溶け合ってくっついてしまうのではと思うほどにねっとりしたキス。

 頭が真っ白になる。

 今自分がどういう状況に陥っているかなんて考えることもやめてしまうほど、そのキスは長く深く、俺の心を溶かしていく。


「……玄」

「せんぱい、私は独占欲の塊なんです。本当はせんぱいが誰かと話をするだけで死にたくなるし、せんぱいが女の子とすれ違うだけで私、過呼吸になりそうですし、だからずうっとこうしたかったんです」


 日葵の目は、もうとっくに焦点があっていない。

 俺と目が合ってるのか、それとも遠くを見ているのか、そのどちらでもなく違うものを見てるのか。

 トロンと酔ったような日葵は、そんなまま俺に続ける。


「せんぱい、もう学校とか行かなくていいじゃないですか。あの学校は腐ってますし、風紀委員を駆逐してもどうせ次のゴミが沸いてきますよ。ねえせんぱい、私とずっとここで、いえ、なんなら私の家でもいいのでずっと。ずっとずっとずっと、一緒にいましょ?」


 ずっと一緒。

 日葵と、これから一生一緒。

 心のどこかでそんなことを覚悟はしていた。

 でも、一緒っていうのはこういうことじゃない。

 

 普通に一緒に学校に行って、一緒にご飯を食べて、一緒に遊びに行って。

 そんな毎日を彼女と過ごすことには何の抵抗もないんだけど。


 一生監禁なんて、聞いてない。


「ま、待ってくれ。俺は玄とずっと一緒だから。でも、これは」

「違うんですか?」

「……監禁なんて、誰も幸せにならない。俺は少なくとも、嫌だ」

「どうして?」

「ど、どうしてって……俺は、その、み、みんなに羨んでほしいんだ。こんなに可愛い彼女がいて、そんなお前が俺を溺愛してくれてるっていうのを自慢したいんだ。ほら、これじゃあ誰にも見せびらかすことができないだろ?」

「だったら、学校でみんなの前でキスできますか?」

「き、きす?」

「いえ、キスじゃなくてもっとすごいことでも。学校以外でも、ほら、お店の中でも道端でも、海でも山でもどこででも。できますか?」

「……できるよ」


 今、俺に求められているのは多分日葵に対する愛情の深さを示すことだと。

 どこまでなら彼女の要望に応えられて、どの程度なら彼女が納得してくれるかっていうそういう話。

 

 だから極力。

 本当は嫌だとしても許せる範囲のことならできるだけ。

 イエスと答えるしかなかった。


「きゃはっ、せんぱいも私に似てきました? みんなの前でキスなんてえっち」

「は、はは、そうだな」

「何がおかしいんですか?」

「い、いや……」


 ただ、どこまでが冗談でどこからが本気かの境目がわからない。

 最も、冗談なんて一つもなく、全て本気なのかもしれないが。


「ねえせんぱい、最後に一つ聞いてもいいですか?」

「さ、最後といわず、いいけど」

「もし別れたり、浮気することがあったら、死んでくれます?」

「……死ぬ。もちろん、あり得ないけど」

「ふふっ、死ぬ覚悟で私を愛してくれるなんて、せんぱいも私のこと大好きなんですね」


 と、笑う日葵に俺は顔を引きつらせながら。

 早くこの縄を解いてほしいと願いじっと待っていると。

 

 彼女が一言。

 笑いながら。

 それはもう、黒い笑顔を向けて。


「おやすみなさい」



「……あれ?」


 目が覚めたら自室のベッドにいた。

 縄で縛られてもいない、手錠もかけられていない。

 ベッに寝そべっていた。


「せんぱい、おはようございます」


 何食わぬ顔で日葵が。

 朝食をもってこっちにやってくる。


「……おはよう」

「どうしたんですか? 怖い夢でも見ました?」

「……いや」


 さっき俺が監禁されていたことは、まぎれもない事実。

 しかしそれがまるで夢の中の出来事だったかのように、部屋は綺麗に片付けられてて。

 俺が括りつけられていた椅子も、さっきまで俺の手足を締め付けていた縄も、どこにもなかった。


「……あのさ、玄」

「なんですか?」

「く、玄はさ、ああいうのが、好きなのか?」

「ああいうの?」

「い、いや……監禁とか、拘束とか」


 性癖。

 だとしたらそれはそれで問題が多いがそういう人もいるのかと納得はできる。

 だから敢えて聞いてみたんだけど、日葵は。


「監禁? なんのことですか」

「え、いや、だってさっき」

「夢、ですよ」

「ゆ、夢だと?」

「変な夢見たんですね。ふふっ、せんぱいったらえっち。そういう趣味をお持ちなんて」

「お、俺はもってない」

「じゃあ、監禁されるのは嫌いですか?」

「……ああ」


 当たり前のように白を切る日葵を見ていると、自分の記憶が疑わしくなってくる。

 でも、あれは夢なんかじゃない。

 もう二度と、あんなことは御免だ。

 死ぬかと。

 いや、死ぬより怖いと、思った。


「ふーん、嫌いなんだ」

「す、好きなやつなんてそうそういないだろ」

「ま、そうですよね」


 日葵は。

 残念そうに間延びしながら「あーあ」と声を漏らして。


 空になったコップを手に取ってキッチンの方へ向かう。

 そして冷蔵庫から取り出した牛乳を注ぎながら。

 俺の方も見ずに呟いた。


「好きだって言ってくれたら、一生あのままだったのになあ」

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