第26話 行く先に

 男と別れたことがない。

 つまりその意味は、今まで付き合った男がいなかったということと、別れるつもりがないということの両方を意味しているのだろう。


 その事実は普通なら嬉しい限りだが、言い回しによってこうも重みを感じてしまうのはなぜか。

 それとも俺に、彼女の重さに耐えるだけの器量がないのだろうか。

 

「……玄」

「せんぱい、今日はもう少しブラブラしたいです。カラオケでも行きませんか?」

「ああ、いいよ」

「カラオケルームだと、二人っきりですもんね」

「……そうだな」


 個室で彼女と二人っきり。

 その展開を想像して、また胸がトクンと大きく脈打つ。


「じゃあ行きましょ。高校生は十時には帰らされますし」


 時間を見るとまだ夕方の六時過ぎ。

 そんなに慌てなくてもいいのにと思いながらも、日葵に引っ張られながらこの街唯一のカラオケ店を目指す。


 そしてほどなくして到着したのは二階建ての小さな建物。

 少し寂れた外観だが、中に入ると受付の前では大勢の学生がたむろしている。


「あはっ、ここ入るの初めてなんですよ」

「俺も。ていうかカラオケ行ったことないかも」

「えー、それはヤバいですよ。じゃあ今日はせんぱいにたくさん歌ってもらおうかな」


 カラオケには興味はあったけど。

 そういえば柳とも行ったことがなかったっけ。

 あいつ、カラオケは嫌いだって言ってたし。

 清水さんと遊んでいた時も、自然とそういう話にはならなかったし。

 まあ、何事も日葵と初めて経験していくんだなあ。

 そう思うと、何も知らない自分でよかった。


「すみません、できればこの部屋でお願いします」


 手慣れた様子で受付を済ます日葵に俺はついていくしかなく、部屋番の書いた札をもらって一緒に奥に向かう。


 そして用意された部屋に入るとそこは少し狭く、暗い。

 三人くらいで座るのが精いっぱいなソファが一つと、大きなモニターがあるだけのシンプルな部屋だった。


「ここ、狭くていいですよね。友達と来た時に、次は絶対せんぱいと来たいなあって思ってたんです」

「で、でも狭すぎないか?」

「いえいえ、いいんです。それに今日はここじゃないとダメです」

「?」

「じゃあマイク、先にかりますね」


 画面の前の充電器に刺されたマイクを二つとって、その一つを持つと日葵は。

 曲もかけずにすうっと息を吸い込むと、マイクに向かって叫ぶ。


「せんぱーい、愛してまーす!」


 割れんばかりの、しかし可愛い声が部屋中に響く。


「お、おい恥ずかしいだろ」

「ふふっ、やってみたかったんです。それに防音だから大丈夫ですって」

「そ、そうだけど」


 しかし防音といっても古いカラオケボックスで。

 隣の部屋の低音なんかは響いてくる程度の防音室だ。

 廊下とかに丸聞こえなんじゃないか?


「さてと、すっきりしましたし歌いましょう。せんぱいは確か……この人好きでしたよね」


 デンモク、というものも知ってはいたが初めて触る俺に使い方を教えてくれながら。

 日葵に曲を入れてもらう。


「な、なんか緊張するな」

「えー、私もこの曲好きだからちゃんと歌ってくださいよ。それにラブソングなんで、私を見ながら、ですよ」

「う、うん」


 画面の歌詞ではなく。

 日葵を見ながら歌えと。

 しかしただでさえ初めてカラオケに来る俺にとってそんなハードルの高い作業がうまくこなせるわけもなく。

 歌詞は飛ばすし音は外すしで散々だった。


 それでも、歌い終えると日葵がニッコリわらってくれたのでこれはこれでよかったのかもしれないと。

 その後は初めてのカラオケデートを彼女と目いっぱい楽しんだ。



「あー、すっきりしたー」

「なんか知らない曲ばっかだったな。ああいうのが好きなのか?」

「ええ、まあ。せんぱいに聴かせたい曲ばっかりを歌いました」

「そうか。でもラブソングばっかだったな」

「ですね。ほんと、考えが幼稚ですね」

「?」

「あははっ、こっちの話です。それよりせんぱい、今日はいっぱい遊んじゃったから疲れました。帰りましょ」

「ああ、そうだな」


 満足そうに語る日葵を見て、とても充足感を覚える。

 日葵が楽しそうならそれでいいんだと。

 結局、好きな子の幸せこそが俺にとっての幸せでもあるんだって。


 そんなことを感じさせられながら彼女を家まで送っていった。



 部屋に戻ると孤独だ。

 せんぱいのおうちに、今日も御泊まりしたかったなあ。

 でも、今日はちょっとだけやることがある。

 というか、多分向こうからやってくる。


 ほら、電話だ。


「もしもし日葵ですが」

「日葵さん……あなた、どこまで私のことをバカにすれば気が済むの?」


 怒った様子で電話をかけてきたのは清水先輩だ。

 彼女と私は中学校の時から、それはそれは仲が良かったのだ。

 だから昔はよく、こうして電話をしたものだ。

 でも、今は彼女が大嫌い。

 せんぱいの初恋を奪ったこいつが、嫌い。


「何の話ですか? 私は今日、せんぱいとデートしてただけですよ」

「あなたって人は……隣に私たちがいるの知ってたくせに」

「えー、やっぱり聞こえるんだ。防音設備のクレームつけておかないとですね」

「話を逸らさないで。ねえ、もうあなたは城崎君と付き合ったんだからそれでいいじゃない。わざわざ私に見せつけなくたって」

「ダメです」

「え?」

「せんぱいの心からあなたが完全に消えるまで、私はあなたのことを徹底的にたたきますし、あなたがせんぱいと両想いになりかけていたあの頃を死ぬほど後悔するまで、私は嫌がらせし続けます」

「ど、どうして……わ、私はもう」

「いいえ。あなた、柳先輩とやらに近づいて何をしてるんですか?」

「そ、それは……」

「ま、考えてることは読めてますから。あまり変なことをせずに諦めて納まるところに納まってくださいね」

「ち、違うの。私はただ」

「言い訳は聞きません。この悪女め」

「……」


 清水先輩が、何をしようとしてるのか。

 今日、どうして柳先輩とデートをして、それが学校中の噂になっていたのか。

 そんなことも全部、知ってる。

 

 全部、せんぱいを嫉妬させるのが狙い。

 まだ自分に気があると思ってるから、せんぱいを私から奪おうと思ってそんな回りくどいことをやってる。

 私たちが行こうとしてるところを、私の好きなものを知ってる彼女が先回りして選んでるから偶然よく会うように思うけど。

 そんな先輩の恋愛音痴な性格も、私はよーく知ってますから。

 

 敢えてそこに飛び込んてやってるってことも、いい加減気づいてください。

 喫茶店では、先回りされて面食らってましたね、ふふっ。

 それに、カラオケボックスにいたことを知ってたでしょ? だって。

 白々しい、私がカラオケ好きなのを知って、そこを選んでたくせに。


 ほんと、悪女ですねえ。

 人のものをとろうなんて、最低です。

 私? 私は誰のものでもないせんぱいを独り占めにしただけですから、一緒にしないでほしいですね。


 ほんと。


「次変なことしたら、刺しちゃいますよ」

 


 

 

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