第20話 いきつけの場所

「さあ、二人とも。ケーキ買ってきたから食べて」


 静まりかえったリビングに、明るい声が響き渡る。

 日葵母が、お茶とケーキを乗せたお盆をもって入ってきた。


「わーっ、お母さんありがと。ねえせんぱい、どっちがいい?」

「……」

「せんぱい?」

「あ、ああ。俺はこっちのチョコ、かな?」

「あー、被ったあ。じゃあ半分こしましょ」

「う、うん」


 ついさっき。

 日葵母が部屋にくるほんの少し前に、俺は釘を刺された。

 日葵以外の異性の誰とも話をしてはならないと。


 極端な要求というか、無茶な話だ。

 でも、日葵は本気だった。

 本気度が、伝わってきた。


 どうしてそんなことを言うのか、それは訊くまでもなく。


「私、やきもち妬くとその相手を刺したくなるんですよ」


 だそうだ。

 刺す、というのは例えなのだろうけど、それくらい嫉妬深いと自覚があるそうで。

 だから異性との会話は禁止。

 控えろとか、線引きしてとかではなく禁止。

 全面禁止。

 例外はない、そうだ。

 

「あら、城崎君ったら随分大人しいのね」


 何も知らない日葵母は、そんな風に俺に話しかけてくる。

 でも、何も言えない。

 言葉を発することができない。

 だから目も合わせずぺこりと頭を下げると、「ごゆっくりね」なんて言って。

 ようやく俺は口を開けた。


「はあ……無茶だよ玄。彼女の母親を無視なんてできないって」

「いえ、しっかりできてましたよ。その調子で学校でもお願いしますね」

「なあ、俺は浮気なんて絶対しないから」

「じゃあ異性とお話しする必要もありませんね」

「……」


 異性と会話するな、という日葵の主張は行き過ぎだが理解できないこともない。

 ただ、自分の母親とも一切喋るなという話については全く意味がわからない。

 なぜ、の一言だ。

 いくら美人だろうが彼女の母親に恋するなんてそんなエロ漫画みたいな展開があろうはずがない。


 なのに、


「せんぱいが他の誰かにとられちゃう可能性は徹底的に排除しておかないといけませんからね」

 とか。

 ということはつまり、俺が日葵母に寝取られる可能性があると、日葵はそう言いたいのだろうか。


「なあ、俺ってそんなに疑われるようなことしたか?」

「はい、私以外の人の事を好きだった時点でもうダメですね」

「い、いやそれは……清水さんを好きになったのは玄と会う前からのことで」

「でも、私と会ってからも清水先輩を好きでしたよね。なんでかなあ」

「なんでって……」


 悪戯っぽく、俺を困らせることばかり言ってくる日葵はケーキを一口食べると口元にクリームをべったりつける。

 こんな話してる時に呑気なもんだなと、勝手に和みそうになったその時、日葵が自分の口元をちょんちょんと指さす。


「とってください、せんぱい」

「え、クリームを?」

「はい。手は使ったらダメですよ」

「手はダメって……どうやって」

「お口で、とってください」

「……わかった」


 日葵の口周りいっぱいについたクリーム。

 それを俺は、まるで濃厚なキスでもするようにぺろぺろと。

 一体人の家で何をしてるんだと、恥ずかしさがこみあげてきて死にそうだった。

 彼女の顔を舐めることで興奮するよりも、やはり羞恥心が先にくる。

 ただ、そうしているうちに結局いやらしい気持ちになっていき。

 自然と、俺の方から日葵にキスをしていた。


「ん」


 と、声が漏れたのは日葵。

 そのまま、俺の腰に腕を回して体を絡めてきて。

 日葵母が戻ってきたらどうしようとか、どこかの窓から見られてるんじゃないかなんてことは後になるまで考えも及ばないまま、しばらく日葵とキスを重ねていた。



「お邪魔しました」


 これは、日葵邸を出る時の俺の独り言だ。

 決して日葵母に向けていったセリフじゃないと、日葵に目でそう訴えているとにこっと笑顔を返された。


 日葵のお母さんは、丁寧に見送りに来てくれたが何も話すことができず。

 もっと礼儀正しくちゃんと挨拶したかったと悔やみながら、その後は日葵と一緒に家を出て、あてもなく店の多い駅前を目指すことに。


「せんぱい、休日デートですね」

「ああ、せっかく休みだし昼飯はなんか食べにいく?」

「じゃあじゃあ、駅前の喫茶店でお喋りしましょ」


 女子という生き物は往々にしてお喋りが好きだ。

 それは日葵も例外でないようで、さっきまで彼女の家でさんざ語りつくしたというのにまだ喋りたいと。

 まあ、恋人との楽しい会話なら普段人と話すのが苦手な俺でも歓迎するところだし。

 言われるまま、日葵についていくことにした。


 駅前は休日とあって人が溢れていた。

 こんな郊外のさびれた田舎でも土日の昼間だけは人がどこからか沸いてくる。

 ほんと、いつもこの人たちはどこにいるのだろう。


「人、多いな」

「はい。でも、今から行くお店は隠れ家的な場所なのできっと空いてますよ」

「へえ。よくそんなお店知ってるなあ」

「女子はお茶する場所はよく知ってるものですよ」


 目的の店は、駅のすぐ真裏にあった。

 普段行かないとはいえ、こんなところに喫茶店があったんだと感心しながら重い扉を開けると少し古びた店内にジャズが流れていた。

 薄暗いが決して埃っぽいわけではなく、むしろ綺麗だとすら思わされる洋風な内装。

 テーブルが数席とカウンターの小さな作りだが、マスターらしき渋いおじさんがベストに蝶ネクタイで姿勢よく立っているのもあって、高級感すら漂わせる。


「いらっしゃいませ」

 

 高校生が来るようなとこなのかと心配になりながらも、テーブル席に案内されてメニューを見るとコーヒーやジュースも普通の値段でほっとする。

 日葵が金持ちとわかったせいで金銭感覚なんかも俺とずれてないか不安だったがそれは杞憂だったようで。


「ここ、そんなに安くないですけど静かでいいところなので」


 俺から見ても別に高いと思わない値段のものを、安くないといってくれるのが嬉しかった。

 そういう普通の高校生らしさがあるからこそ、実際に家にいくまで日葵が金持ちだなんて気づきもしなかったわけだけど。


「じゃあミックスジュースにしますね。せんぱいは?」

「俺はせっかくだからアイスコーヒーでも飲んでみるよ」

「わっ、大人ですね。かっこいい」


 注文すると、すぐになれた手つきでコーヒーが注がれて運ばれてくる。

 少し遅れて、ミキサーの音が奥から聞こえた後でミックスジュースも。


 揃ったところで日葵が、グラスを片手に笑う。


「せんぱい、かんぱいしましょ」

「そ、そうだな。でも、マナー悪くないか?」

「高校生にマナーもなにもありませんよ。今日はせんぱいがおうちに来てくれた記念日ですから」

「ははっ、そうだな。でも、そんなことで記念日作ってたら毎日記念日になるじゃんか」


 と。

 笑いながら軽くグラスを当てる。

 カランと乾いた音がした後で、ストローに口をつけた日葵が「おいしい」と呟いて。

 俺は少し苦いと思いながらシロップを探していると。


 ガラガラと店の扉が開く。


「いらっしゃいませ」


 店内にはマスターと俺たち以外誰もいない。

 そんな暇そうな店に来客とあって、何気なく扉の方を見た時。

 客と目が合った。


「「え」」


 声が重なった。

 一人はもちろん俺。

 驚いて、思わず声が出た。


 そしてもう一人。

 それは、向かいにいる日葵ではなく、入ってきたお客さんの方。


「城崎君?」


 俺もよく知る人だった。

 

 清水百花。

 俺がかつて好きだった、そして俺が人生で初めて告白してフラれた同級生の女の子。

 

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