第12話 食堂にて
「せんぱーい、今日は食堂いきましょー」
昼休みを告げるチャイムがまだ鳴り終わらぬうちに、日葵は教室へやってきた。
一体どんなスピードだとツッコみたくなるが今はそれどころではない。
何せみんなの前で耳をかじられて、あれ以降ずっと睨まれ続けて胃を痛めているわけで。
これ以上日葵と教室でやりとりするのは耐えられないと、彼女を連れて慌ててひと気のない場所まで走る。
「きゃっ、せんぱいったら強引ですね」
「そ、そういうんじゃなくてだな」
「でも、どこにいくんですか? こっちは誰も」
「誰もいないとこの方がいいんだよ」
日葵の気持ちは嬉しい。
俺みたいなのを好きになってくれて、俺と付き合ってることを隠すどころか嬉しそうにしてくれることも非常にありがたいの一言で。
ただ、あまり人前でそうされることが得意ではない俺の気持ちというものも知ってほしかった。
イチャイチャするなら二人っきりの時がいいし、わざわざ教室で皆に見せつける必要はないと。
敵を作るだけだ。
柳はその辺りがうまいというか、男子からも女子からも不要な嫉妬を受けないように立ち回っている。
だからそうしてほしいと。
やがて人のいない非常階段のところで足を止めた俺は日葵にお願いする。
「なあ、学校ではというか、人のいるところでああいうのはちょっと」
「ああいうの、とは?」
「ええと、耳を、ほら」
「だって、せんぱいのお耳、おいしそうだったから」
「……恥ずかしいんだよ」
俺の耳のどこがうまそうなのかは今は置いとくとして。
あれを容認したら終いには教室でもっと激しいことをされかねないと。
クラスの連中に白い目で見られるのは辛いし、風紀委員に噂が流れたら何を言われるかわからないってのもある。
「恥ずかしいのは知ってますよ」
「だ、だったら」
「でも、どうして他の人の目が気になるんです? 可愛い彼女がイチャイチャしたいっていってるのに」
「だ、だからそれだって時と場所を選んで」
「せんぱい、まだ清水さんのこと好きなんでしょ」
「え?」
急に、口を真っすぐ紡いで日葵が俺を睨む。
清水さんとは、もちろん清水百花のこと。
今朝、久しぶりに偶然言葉を交わした彼女だけど俺にはもちろん清水さんへの恋心なんてもうない。
「清水さんが好きだから私とイチャイチャしてるの見られたくないんでしょ」
「ち、違う。それは絶対ない」
「ほんと?」
「ほ、ほんとだ。ていうか今朝だってたまたま挨拶されたけど別に」
「知ってる」
「え?」
「ねえせんぱい、キスしてほしいなあ」
「え、え?」
さっき日葵がなんて言ったかを訊き返そうと思ったその刹那、目を閉じて迫られた。
怒った様子でピンと真一文字になっていた口を少しとがらせて俺に向けてくる。
そして制服の袖を掴まれる。
「……いや、ここは学校だから」
「誰もいませんよ?」
「だ、だけど誰かくるかも」
「来ないうちにしてください」
「な、なんで……」
「してほしいからです。嫌ですか?」
「……」
少し息を荒くして。
ねだるように俺にくっついてくる日葵からは香水か何かの甘い香りがした。
その香りのせいか、それとも彼女の艶めかしい仕草のせいか、あるいは両方か。
俺は無意識のうちに日葵の肩を掴んで。
そのままキスをした。
「……こ、これでいいか?」
「ふふっ、せんぱいからしてくれましたね。うれしい」
「お、お前がしろっていうから」
「やっぱり嫌でした?」
「……嫌じゃないよ」
嫌なもんか。
俺だって健全な男子高校生だ。
かわいい彼女とキスなんて、嬉しい以外に何があるってんだ。
でも、やっぱり恥ずかしいことに違いはなくて。
非常階段は昼休みに限らず基本的に誰かが立ち寄る場所じゃないとわかっていても、やはり誰かに見られてないかキョロキョロしていると、ガッと胸倉を掴まれる。
「な、なんだよ」
「もっかい。んっ」
「んんっ!?」
恐る恐る触れるようにしたさっきのキスとは違い、日葵は押し当てるようにキスをしてきた。
そして、じっくりと確かめるように舌を絡められて、俺はどうしたらいいかもわからないまま、その快感に身を任せるように棒立ちしていた。
「いっぱいしちゃいましたね」
「あ……」
「あれ、せんぱいのお口、糸引いてますよ」
「え、あの」
「ねえ、せんぱい」
「な、なに?」
もう、未知の感触に頭の整理が追い付かない俺の胸に日葵は頭をポスっと預けて言う。
その声は、力がこもっていた。
「せんぱいは、私以外の女の子を見たらダメですからね」
可愛い彼女のただのヤキモチだと。
私だけを見て、という健気な要望だと。
あんなキスをされた後ってのもあるし、「もちろんだよ」と答える以外に思いつかなかった。
でも、もちろんである。
今更日葵以外の誰かとこういうことがしたいなんて、思うはずもない。
だから嘘でもなければ一時の気の迷いでもない。
それが伝わったのか、ようやく納得した様子で日葵は「安心しました」と言って俺の腕に抱きついて。
そのまま二人で食堂に向かうことになった。
◇
「あはっ、人が多いですね」
「まあ、いつものことだな」
校舎から一度出て正門近くにある建物が食堂だ。
大きめのプレハブみたいなところだが、中は案外広くて百人くらいがいつも席と日替わり定食を奪い合う。
こういう場所は苦手で、滅多にくることはなくいつも横目でその光景を見ているだけだったが。
「せんぱい、ここでキスしちゃいます?」
「そ、それは」
「あははっ、嘘ですよ。そんなことしたら倒れちゃいそうですもんね、せんぱい」
「……」
まさか彼女をつれて、しかもその彼女とがっちり腕を絡めてラブラブしながらこんなとこにくるなんて、数日前までは想像もつかなかったが。
しかし現実だ。
その証拠に昨日まではここを通っても誰も見向きもしなかった俺を大勢が凝視している。
「……視線が痛い」
「みんな見てますね。私たちの仲睦まじさが羨ましいんですねきっと」
「だと、いいけど」
列の最後尾に並んでる間もずっと、日葵は俺から離れない。
むしろ本当にここでキスしてくるんじゃないかと心配になるほど密着してくる。
変な汗がにじむ。
早く飯を食って退散したい。
そんなことばかり考えていると、やがて列が進み食堂の中に入ることができた。
「さて、せんぱいは何にします?」
「え、ええと俺は」
「日替わり二つにしましょ。席とっておくのでせんぱいが持ってきてもらえますか?」
「あ、ああ」
ようやく、といえば嫌だったのかと日葵に怒られそうだが。
それでもようやく日葵が俺から離れて一人で空いてる席に着く。
俺はそのまま列を進み、日替わり定食を二つ注文するとすぐにカウンターでそれを受け取って、お盆を二つ持って日葵の待つ席に向かう。
すると、日葵が絡まれていた。
一人の男子が彼女をナンパしているようだ。
「日葵ちゃん、俺と一緒に飯食べようよ。なんならここせまいし、向こう行かない?」
大勢の人がいる前で公然とナンパというのもどうかと思うが、それ以前にこいつだって俺と日葵がさっきまで一緒にいたのを見ていたはずなのにこうして彼女に声をかけられるメンタルというか図々しさには呆れてものが言えない。
さすがに彼女に手を出されるのは腹が立つ。
すぐに定食を近くのテーブルに置いてやめさせようと日葵の方へ向かうと彼女が勢いよく立ち上がる。
「死んじゃえ」
俺は確かに聞いた。
死んじゃえと、日葵がいつもより低い声でそう言ったのを。
そして次の瞬間、手元にあったフォークをもってそれを男子に向ける。
「え?」
「ねえ、せんぱい以外の人に触られるの耐えられないから、死んでくれる?」
「あ、え、あぶない、だろ」
「じゃあ消えて? ねえ、消えてよ。今からせんぱいとご飯なの。邪魔するなら」
「わ、わかったから。ご、ごめんなさい!」
慌ててその場を去る生徒を、何事かと周りの連中が見てクスクスと笑う。
日葵も同じように、クスっとする。
そしてナンパ男の姿が見えなくなると、今度はくるっとこっちを振り返って、日葵が俺の方を見る。
「あ、せんぱい。ご飯持ってきてくれました?」
「え? あ、ああ」
「わーい。早く食べましょ」
「……ああ」
さっきのはなんだったのか。
日葵が怒って、とっさにフォークを男子に向けただけ、とは思えない。
日葵の低く冷たい声が耳に残る。
でも、それも聞き間違いだったのだろうか。
「せんぱい、コロッケおいしいですね」
「あ、ああうまいな」
「えへへ、デザートも食べていいですか?」
「い、いいんじゃない、かな?」
「わーい。じゃあプリン持ってきますね」
甲高い声が食堂に響く。
そしてプリンを二つ手にもって嬉しそうに戻ってくる彼女を見ていると、やはりさっきのは何かの間違いだとしか思えなかった。
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