第9話 黒い向日葵

「おお、ご馳走だな」

「はい、がんばりましたよ」


 少し湯舟に浸かって気持ちを落ち着かせたあと。

 風呂から出て着替えて髪を拭きながら部屋に戻るとテーブルには二人前の夕食が用意されていた。


 ハンバーグにサラダ、それにカップスープまで用意してくれていていつも自分で作る貧相な食事とはくらべものにならない豪華な食卓になっている。


「しかしうちの冷蔵庫の食材でこんなに作れるとはなあ」

「私、昔から料理は得意なんです。家事とかもずっとやってましたし」

「へー、えらいんだな」

「自分のことは自分でやれっていうのがうちのスタイルなので。でも、そのおかげでせんぱいに喜んでもらえたならよかったです」


 隣でニコニコと笑う日葵を見ていると、やはり不思議でしょうがない。

 どうして彼女はそこまで俺に尽くせるのだろう。

 ていうかどうして俺のことをそんなに好きなんだ?

 別にイケメンでもないし何か特別なことをした覚えもないんだけど。


「なあ、どうしてそんなによくしてくれるんだ?」

「だって彼女ですから」

「い、いやそれはそうだけど。でも、俺はお前に何もしてないし」

「いいえ、充分してもらってますよ。せんぱいは私を受け入れてくれましたから」

「なんでそんなに自己評価が低いんだよ。お前は可愛いし人気者だろ?」

「見た目でしか判断しない他の人の評価なんて関係ないです。せんぱいは私のわがままをいつも聞いてくれますから。それが嬉しいんです」


 わがままを聞いた覚えなんてあったかな、と。

 首をかしげているとお箸でつまんだハンバーグを日葵がこっちに向けてくる。


「せんぱい、あーん」

「え、そ、それは」

「あーん」

「……はい」


 まあ、裸を見られたくらいだし今更これしきのことで恥じらいでも仕方ないと。

 あーんを受け入れて口を開けるとハンバーグが口に放り込まれる。


「おいしい?」

「ああ、おいひい」

「もう、食べながら喋るから口にソースついてますよ」

「す、すまん」

「とってあげますね」

「え?」


 俺の唇と頬の境を、まるで猫のように日葵はぺろりと舐めた。

 一瞬のことで何が何やらで、俺は固まってしまう。


「あ……」

「ふふっ、せんぱいって美味しいんですね」

「え、ええと……」

「もう、ソースとってあげただけですよ。それとも」


 キスしたかった?

 日葵は俺を見上げながら顔を近づけて尋ねる。


「そ、それは、ええと……」

「したい?」

「……うん」

「はい、よく言えました」

「んっ!?」


 さっきぺろりと舐められたことなど一瞬で吹っ飛んだ。

 今度は日葵が思いきり俺にキスをする。

 グッと唇を当てて、そのまま俺の体を押し倒さんばかりに抱きついてきて。

 自然と俺の手も彼女の腰に回る。

 頭はもう真っ白だ。


「……しちゃいましたね」

「……玄」

「せんぱいは、何も考えなくていいんですよ? 私がいっぱい尽くしてあげるから」

「……うん」

「はい、素直になりましたね。じゃあ食べたら今日は帰りますから。冷めないうちにいただきましょ」

「……うん」


 もう、頭の中は真っ白だった。

 ハンバーグの味も食感も何もよく覚えていない。

 でも、さっきのキスの感触だけはずっと頭から離れず。

 チラチラと日葵の方にばかり視線が奪われる自分を自覚して無理やりテレビに目を向けようとするが、それに気づかれて彼女に「照れ屋さんですね」とからかわれて。

 それでも彼女の方は見れないままハンバーグを食べ終えると目の前の食器を日葵がさっさと片付けて。


 何か言いたかったが何も言えず。

 やがて水道をきゅっと閉める音が聞こえると、


「せんぱい、また明日迎えにきますね」


 日葵の明るい声が玄関から聞こえて、やがて扉が閉まる音と共に部屋は静まり返った。



 帰り道。

 せんぱいとのキスの余韻を確かめるように唇を触りながら一人微笑む私。


 日葵玄という名前を私は嫌いだった。

 そもそも名前がクロというのはどうなんだと、物心ついたころから不満しかなくて。

 小学校の頃はよくいじめられたし、噂だけで腹黒いとかも言われた。

 ついたあだ名は『黒い向日葵』。

 イメージだけで悪女キャラに仕立て上げられて、嫌だったなあ。


 だから高校ではあんまり人と関わらないようにと思って。

 部活所属を義務付けるうちの学校で最も部員の少ないところを聞いて尋ねたのが文芸部。

 そこにいたのは冴えない男子。

 まあ、害はなさそうだしいいかと思ったのが最初だった。


 ただ、すぐに心を奪われた。

 私が名乗った時にせんぱいはなんて答えたか、覚えてます?  って覚えてなかったっけ。


「可愛い名前だな」


 だって。

 もうその一言できゅんとしちゃった。

 一目惚れってのはちょっと嘘だったけど、でもそれに近い衝撃はあった。


 そこからせんぱいを知るほどに優しくて頼りなくてそれがたまらなく私の母性をくすぐって。

 私はせんぱいの虜になった。

 だけどせんぱいは私ではなく他の人が好きだと。

 それに今だって、心のどこかでまだ私のことが好きかどうか迷ってる。


 だから。 

 だから、私はせんぱいの為に尽くして尽くして。

 もう、せんぱいが私なしでは生きられないくらいにしてあげます。


 せんぱい。

 私がせんぱいをダメにしてあげます。

 だからこれからいっぱい甘やかしてあげます。

 

 楽しみにしててくださいね。


 

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