第8話 きもちいいこと

「あー、きもちいい」


 思わず声が出た。

 ここ数日で色々ありすぎて少し疲れていたのか、少し熱めのお湯が体に染みる。


 まるでジェットコースターのような数日間だった。

 清水さんと初めてデートの約束をとりつけて大喜びして、実際にデートでもうまく話せていい感じになれたと思って勝手にはしゃいで。

 んで、その後すぐに早とちりしてフラれて。

 そんなことがあった直後に後輩から告白されて付き合うことになって、更には家で手料理まで振る舞ってくれるようになるなんて。


 ほんと、人生ってわかんねえなあと。

 どれほども人生経験のない自分だけどしみじみそんな風に感じながら。

 天井を見上げているとガチャリと風呂場の扉が開く。


「せんぱーい」

「ど、どうしたんだ日葵!?」

「あれー、玄って呼んでっていったのにー」

「そ、そんなことよりなんだよ?」


 体を隠すように慌てて深く体を湯舟につける。

 なんで急に風呂場に入ってくるんだ?


「いえ、せんぱいのお背中を流そうかなって」

「い、いいよそんなの。それにお前も濡れるだろ」

「もう濡れちゃってたり」

「え?」

「あははっ、びっくりした顔のせんぱいも可愛い。ねえ、お背中流してもいいですかあ?」


 入り口からさらに中へ入ってくる日葵は袖をまくりながら俺を見るとペロッと唇を舐める。

 ただ、俺は身動きが取れない。

 今は当然全裸だし、かといって入浴剤も入れていないのでこれ以上近づかれると丸腰の俺が透けて見えてしまう。


「ま、待ってくれ」

「どうしたんですかあ? もしかして恥ずかしいとか?」

「そ、そりゃそうだよ。お、お前は恥ずかしくないのか?」

「全然。せんぱいの裸ならいくらでも歓迎ですよ」

「……」


 全く躊躇なく、日葵は俺の前まで来てしまう。

 そして湯舟を覗きこむ。

 俺はとっさに急所を手で隠す。


「お、おい」

「観念してください。可愛い彼女にお背中流してもらうと、きっと気持ちいいですよ?」

「き、今日はやめようって言ったら?」

「ダメです」

「……ま、まだ心の準備がだな」

「そんなの必要ないですよ。せんぱいはただ座っていたらいいんですから」

「ど、どうしてそこまでしたいんだ? 別に俺の背中を流しても」

「好きだからですよ。好きな人のためには何でもしたいんです。今は恥ずかしいかもですけど、私がしてあげますから」


 艶めかしい声が、風呂場に響き渡る。

 悪だくみをしているような含みのある笑みを浮かべる日葵だが、その表情が妙にエロく感じてしまい、俺は唾をのむ。

 そして、段々と体が火照ってくるのがわかる。


「……せ、せなかを流すだけ、なんだよな?」

「はい。それとも何か別のことを期待されてます?」

「い、いやそうじゃない。うん、背中を流してもらうだけなら……お願いするよ」


 このままだと、のぼせてゆでだこになってしまいそうだというのもあったし。

 なにより日葵が絶対に譲る姿勢を見せないため、俺は観念した。

 恥部を隠しながら湯舟を出て、椅子に座る。

 もちろん日葵の顔なんて見れない。


「……はやく頼む」

「はーい、それじゃごしごししますねー」


 ボディタオルを泡立てる音と日葵の鼻歌を聞きながら、俺は目を閉じてジッと待つ。

 目をあけると写し鏡越しに彼女と目が合いそうで、顔をあげることもできないまま少しずつ体は冷えていくはずなのになぜか汗が止まらなくて。


 やがて、わしゃわしゃと泡を立てる音が止まる。


「いきますねー」


 日葵の甲高い声が響く。

 俺はなぜか緊張で目をグッと閉じる。

 するとぬるっとした感触が背中を伝う。


「ひゃっ」

「どうですかー? 気持ちいいですか?」

「な、なんか変な感じだよ」

「人に触られるのってドキドキしますよね。でも、力抜いてくださいねー」

「……ふう」


 息を大きく吐いて緊張をほぐす。

 するとごしごしとこすられる背中の感触が段々と快感に変わっていく。

 気持ちいい、というより心地よい感覚。

 なんかずっとこうしてもらっていたいような、そんな気分にすらさせられる。


「ああ、気持ちいい」


 思わず声が出てしまった。

 しかしそれくらいに日葵の洗体はあまりにちょうどいい塩梅だ。


「ふふっ、気持ちいいですかあ? 他のところも洗ってあげますよ?」

「い、いやそこまではさすがに」

「えー、つまんないなあ。とか洗ってあげるのに」

「ま、まえ?」

「あ、今えっちなこと考えたでしょ?」

「そ、それは」

「冗談ですよ。さて、シャワーで流しますね」

「……ああ」


 前とはどういう意味なのか。

 勝手に邪推して心臓をドクドクさせる俺とは対照的に平然とシャワーを手に取り背中を流してくれる日葵は、「綺麗になりましたね」と言って、流し終えるとなぜか指で俺の背中をなぞる。


「ひゃっ!?」

「ふふっ、せんぱいって背中弱いんですか?」

「い、いきなり触られると誰でもびっくりするって」

「ほんとせんぱいってかわいい。さてと、夕食の準備済ませておくので温まったら出てきてくださいね」


 お邪魔しました。

 日葵はシャワーの湯を止めるとさっさと風呂場を出て行った。


 俺は扉が閉まった瞬間に大きく息を吐いて。

 その場にうなだれてしばらく動けなかった。

 

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