第3話 据え膳に押しつぶされて
据え膳食わぬは男の恥とはよく言ったものだなと思うけど、そもそも女性のことを据え膳なんて表現で例えることはどうなんだろうか。
なんて疑問を今抱いている最中の俺はまさに据え膳を目の前に出されているわけだけど。
「な、なに言ってるんだ」
「えー、わかりません? 私のはじめて、もらってくださいってことですよ」
「は、はじめて!?」
「あれー、私のこと経験済みだと思ってましたー?」
「そ、そういうことじゃなくて……」
「そうだ、シャワーお借りしますね。先輩は待っててください」
「え、あ、ちょっと」
俺の頭をひょいと持ち上げてから立ち上がって風呂場に向かっていく日葵はチラッと振り返ってから、戸惑う俺の方を見て「ちゃんと洗ってきますね」とだけ。
そしてすぐに風呂場の方からはシャワーの流れる音が聞こえだす。
その音を聞きながら俺はドクドクと脈打つ心臓をおさえるように深呼吸するが。
全くその高鳴りは鎮まらない。
一体どういう風の吹き回しなのか。
日葵は確かに可愛いし仲もいいし俺になついてくれているが、知り合ってからずっと俺の恋を応援してくれていたはずだ。
でも、それは嘘だったということなのか。
いや、嘘と呼ぶのは失礼かもしれない。
俺のことが好きで、それでも我慢して応援してくれていたのだとすれば彼女には申し訳ないことをしたと思うけど。
でも……だからといってこのまま日葵に甘えるように彼女の好意を受け入れてもいいのだろうか。
俺はまだ、清水さんのことが好きだ。
フラれたからと言ってすぐに嫌いになんかなれない。
だからなし崩し的に日葵に手を出すことは彼女も傷つけるのではないか。
そんなことを考えながらも、徐々に俺の心は妙な期待感で支配されていく。
日葵が今、俺の家の風呂場でシャワーを浴びていて。
つまりは生まれたままの姿の後輩女子がすぐそこにいて。
俺はそんな彼女を自由にしていいと言われていて。
俺の心ひとつで、今日この瞬間に俺の童貞が喪失できるということを自覚すると邪な考えを捨て去ることなんてできるわけもなく。
だからといって風呂場に突撃するような度胸も覚悟も決まらないまま、俺はじっとシャワーの音を聞いていた。
♥
先輩、迷ってたなあ。
でも、このまま裸で出て行ったらさすがに痴女だと思われちゃうのかなあ。
本当は先輩から手を出してほしいのになあ。
いっそ風呂場に裸で飛び込んできてくれないかなあ。
ってそれはないない。
先輩に限ってそれはないかな。
私が日ごろから足見せたりボディタッチしたりしても鈍感だから気づいてなかったし。
さてと、どうしちゃおうかなあ。
♠
きゅっと蛇口を閉める音が部屋に届いた。
どうやら日葵が体を洗い終えたようだ。
止めるなら、引き返すなら今しかない。
もし彼女が裸で部屋に来たら、俺は我慢する自信なんて微塵もない。
その証拠に俺の下半身はさっきからもう限界レベルでガチガチだ。
人としては最低でも生物的にはなんら間違っていない。
本能には逆らえない。
でも、果たしてこれでいいのか。
迷いに迷って何もできずにいると足音が聞こえる。
そして身構えると、部屋の扉がゆっくりと開く。
「せーんぱいっ、お風呂あがりました」
「あ……うん」
「どうしたんですかそんな驚いた顔して?」
「え、いや、別に……」
俺の予想は見事に外れた。
裸でも、タオル一枚でもなくさっきの服装のまま少し髪が濡れた彼女が目の前に。
がっかり、というのが本音だろう。
でも、同時に安心もした。
これで俺の理性はまだ耐えられる。
「あれー、もしかして裸で出てくるほうがお好みでした?」
「そそ、そんなわけないだろ! い、いいから今日はもう」
「いやです。先輩がちゃんとお返事くれるまで、私は帰りませんからね」
だから再びお邪魔します、と。
無邪気な様子で日葵は俺の隣にぺたんと座る。
「……」
「ふふっ、せんぱいが緊張してるのがすっごく伝わってきます」
「あ、当たり前だ。お前が変なことばっかいうから」
「先輩は、私のこと嫌いですか?」
「き、嫌いじゃないけど」
「じゃあ好きですか?」
「……いい後輩だとは、思ってるよ」
それに日葵は可愛い。
後輩としてだけでなく、女の子としても可愛いというのは俺もよくわかっている。
気が強そうだけど、笑うと大きな目がうっすら細くなり、その時なんかはむしろ女性の色気すら感じるような、不思議な魅力を持つ子だ。
だからこそ、そんな魅力的な彼女の積極的なアプローチに怯んでいるわけだけど。
「そうですか。うんうん、せんぱいは正直な人ですね」
「……なんでお前は俺にそこまでするんだ? フラれた俺に同情してるだけなら」
「じゃあ逆に聞きますけどせんぱいはどうして清水さんのことを好きになったんですか?」
「え? そ、それは……いや、かわいいなとか」
「ね、曖昧でしょ? 好きってことに理由はあんまりいらないんです。理屈じゃなくて好きなんです。せんぱいっていいなあってずっとそう思ってますよ」
「……いつから、だ?」
「んー、初めて部室に伺った時のこと、覚えてます?」
「……ああ」
「その時からです。一目惚れですかね」
初めて日葵が部室に来た日。
あの日俺はちょうど部活で一人ぼっちになった。
一年間一緒に過ごした一つ上の先輩が受験勉強の為に引退し、残った俺は自動的に部長になり、先生から任された部活動の活動レポートに悩まされていた。
その時、彼女は現れた。
今と同じように少し悪だくみをしているような笑みを浮かべて、部室に颯爽と入ってきた彼女は「私、ここの部活に入ります」と。
なんで? と訊き返すと「なんででしょう」と逆に質問を返されてうやむやになり、それでも断る理由なんてなくてそのまま日葵は入部した。
思えばあの時すでに日葵は俺が好きだったのかと。
そうでなければ彼女のような陽キャの代表みたいな子が文芸部になんてくるはずがない。
献身的だったのだって、俺に好意を持っていたからだとすれば今までのことも納得がいく。
「……そんなに俺のことが好き、なのか?」
「はい。大好きですよ」
「……じゃあ、俺が彼女になってくれといったら」
「なります」
「じゃ、じゃあ俺がキスしたいといったら」
「言われなくてもします」
「そ、それじゃ俺が」
「なんだってしますよ。私をせんぱいのものにしてくれるのであれば」
「……」
食い気味に、日葵は当然のことのように答える。
それを聞いてさすがの俺も決意が固まった。
後輩女子にここまで言わせておいて、やっぱりごめんなんて言えるほど俺はイケメンでも優秀でもない。
むしろこんなかわいい子が俺のことを好きになるなんて人生で二度とあるかわからない。
素直に好意を受け取ろう。
俺はそう心に決めて。
「……こんな俺でもいいんなら、よろしく頼む」
敢えて、好きだとは言わなかった。
まだ、彼女のことが好きかどうかなんてはっきり言えない。
でも、これだけ俺のことが好きだといってくれる子とならきっとうまくいく。
だから付き合う中で俺も日葵のことを女の子として好きになるだろうと。
勝手な期待と理由をつけて、そう返事した。
すると彼女はクスクスと笑いながら、
「頼まれなくてもなってあげます。じゃあ、今から私はせんぱいの彼女ですね」
と。
嬉しそうにそう答えるとすっと立ち上がり、玄関に歩いていく。
「お、おい」
「あれ、泊まっていってほしいですか?」
「え、あ、いや……そ、それは」
「泊まっていってもいいんですけど、もうちょっと意地悪しちゃいます」
「な、なんでだよ」
「だって、好きっていってくれなかったから」
笑顔で、それでも少し言葉に力がこもっていて俺はドキッとする。
これはときめきではない。むしろ怖かった。
「……わかった」
「うん、ものわかりがいいですね。せんぱいのそういうところ、好きですよ」
「あ、あの」
「じゃあせんぱい、明日の朝迎えに来ますから」
俺の話も聞かず、日葵は振り向きざまにそう言ってさっさと部屋を出て行った。
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