第2話 届かないものよりも


 フラれた。

 俺は、初めて失恋というものを経験した。


 清水百花さん。俺が初めて好きだと思った女の子だった。

 何がいけなかったのだろうと反省することに意味はないとわかっていても、そればかりが頭をぐるぐると駆け巡る。


 やはり初デートでの告白は焦りすぎだったのか。

 いや、それはそうかもしれないがそもそもそういう問題じゃなかった。


 好きな人がいたんだ。

 清水さんには意中の人がいて、俺のことなんて初めから眼中になかったんだ。

 だったらなんで誘いを受けてくれたんだと、彼女を責めるのも筋違いだとわかってる。

 彼女は悪くないんだと。

 でも、わかっていても腹が立ってくる。

 勝手に勘違いしただけなのに、清水さんのせいにしたくなってしまう。


「あー、終わったー!」


 部屋で一人叫ぶ。

 ワンルームアパートの一室。

 現在一人暮らし中の俺は誰もいないこの部屋の片隅でうなだれながら辛い現実に身を焼かれる。


「……なんだよそれ。好きな人がいるんなら期待させるなよな」


 それとも俺が相当必死に見えたのだろうか。

 誘いを断ったらあとで何をされるかわからないから仕方なく。

 そんな風に思われていたのだとすればもっと最悪だ。

 今の俺はネガティブだ。だから最悪のことばかり考えてしまう。


 そして、ここまで手伝ってくれた後輩のことを思い出して、また暗くなる。


「日葵……すまん」


 応援してくれた後輩になんと説明したらよいか。

 そんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴った。


 今は夜だ。

 まあ、昼夜問わずうちにやってくる人間なんて宅配の人くらいしかいないのだけど。

 誰だよと思いながらも出る気にならず。

 無視しているともう一度チャイムが鳴った後、女の人の声で「お届け物でーす」と。

 

 でも、何か頼んだ覚えはない。

 だからきっと部屋を間違えているんだろうとそのまま放っておくとまたチャイムが。


 しつこいのでいらっとした俺はこのうっぷんを業者にぶつけてやろうと玄関に向かっていき勢いよく扉を開ける。


「しつこいぞ。俺は何も頼んだ覚えなんか……って日葵?」

「せーんぱいっ! こんばんわ」


 いつもと変わらぬ、ニコニコと笑顔の眩しい後輩の姿がそこにあった。

 日葵玄。

 黒いワンピース姿に少しだけドキッとした。

 ちなみに彼女が家にやってきたことはもちろんだが今まで一度もない。


「どうしてここに?」

「先輩、今日のデートどうだったのかなって。ラインしても返してくれないですし」

「ライン?」


 清水さんにフラれた後、朦朧としたまま家に帰ってさっきまでずっと喚き散らしていたせいか、スマホなんて全く見てなかった。

 慌ててポケットのスマホを手に取るとラインが一件だけ。


 日葵から『先輩、今日はどうでしたか?』と。


「……すまん、気づかなかった」

「その様子だと、うまくいかなかったんですか?」

「……まあ、フラれちゃったよ」


 言いながら、またさっきの場面を思い出してしまって胸が苦しくなる。

 そうだ、俺はフラれたんだ。

 あれは夢じゃなくて紛れもない現実。

 俺は、好きな子と一緒にはなれなかったんだ。


「はあぁぁぁぁ……」

「先輩、大丈夫ですか?」

「大丈夫なもんか。死にたいくらいだよ全く……」

「辛いですよね……ねえ先輩、ちょっとお邪魔してもいいですか?」

「え、ま、まあいいけど散らかってるぞ」

「大丈夫ですよ。男の人の部屋は散らかってるくらいの方が男らしいですから」


 失礼しますね、と言って日葵がさっさと靴を脱ぎ出したので俺も慌てて部屋の様子を確認する。

 見られてまずいものなんてないはずだけど、人が来るとなれば気にはなるもの。

 散乱した漫画や出しっぱなしのゲーム機を見て片付けようとしていると部屋に日葵があがってきた。


「わー、先輩の部屋広いですね」

「そ、そうか? 一人だとちょうどいいけどそんなには」

「いえいえ、二人でちょうどいいくらいの部屋ですよ。へえー、男の人の部屋って初めてだなあ」


 好奇心旺盛なのか、初めてあがる人の部屋にワクワクした様子の日葵は少し辺りを見渡してからその場にひょこッと座る。

 

「えへへっ、先輩のお部屋にお邪魔しちゃいましたね」

「ま、待ってろよ。お茶用意するから」

「いいですよそんなの。それより先輩、ちょっとこっちに来てください」

「?」


 こっちこっちと手招きする日葵に、なんだよと寄っていくと。

 グッと袖を引っ張られて俺は尻もちをつくようにその場に座らされた。


「お、おい」

「ふふっ、先輩は傷ついてるのに気遣いできるえらい子ですねえ」

「こ、子供扱いすんな。いくらフラれた後だからってそれくらいは」

「でも、無理してる。先輩、泣きたいんでしょ?」

「そ、そんなこと」

「泣いていいんですよ? 私のここ、貸しますから」


 とんとん、と。

 ぺたん座りした自分の膝を軽くたたいて、「ここ空いてますよ」と言いながら俺を見て笑う。


「い、いやそれはさすがに」

「膝枕、嫌ですか?」

「そ、そういう問題じゃなくてだな」

「思いっきり泣いたらスッキリしますよ」

「……からかわないでくれよ」


 多分日葵なりの励ましのつもりだったのだろうけど。

 でも、俺はそんなに浮ついた人間じゃない。

 好きな子にフラれたからって、後輩女子の膝に顔をうずめて泣いて甘えるなんてことをしたくはなかった。

 だからからかわないでくれと。

 突っぱねるように立ち上がろうとすると今度はベルトを掴まれて俺は倒れる。


「うわっ!」

「もー、先輩のいじわる。私がいいっていってるんですからいいんです」

「お、おい日葵」

「もう、先輩のこと我慢しなくていいんですよね?」

「ひ、ひま、り?」


 仰向けになって。

 彼女の膝に頭を置いた状態で天井を見上げる俺の視界に日葵が入り込む。

 俺を覗き込むように見る彼女はクスっと笑って。

 そして俺の頭を撫でる。


「先輩はかっこいいですよ。一生懸命で、不器用で、でも優しい人だから。そんな人の魅力がわからない女なんてほっとけばいいんですよ」

「そ、それは」

「それに、私だったら先輩の言うこと、なんでも聞いてあげますよお?」

「な、なんでも?」

「ええ、なんでも。先輩の傷ついた心も、私が癒してあげます。先輩が悲しまないように、私が精一杯尽くしてあげますし、先輩の為だけの女になります」


 だから私を見てください。

 日葵はそう言ってから、俺の方に顔を近づける。


「お、おい」

「先輩、可愛くて一途な後輩はいかがですか?」

「い、いかがって……お、俺は清水さんのことが」

「手の届かないアイドルより、触れる可愛い後輩の方がいいと思いませんか?」

「さ、触れる?」

「ええ、私だったら先輩にどんなことされても怒りませんよ? むしろ嬉しくて濡れちゃいそうです」


 ちゅるっと唇を舐めながら、日葵は笑う。

 その艶めかしさとエッチな発言に俺の感情は完全に迷子だった。

 ついさっきまで。

 本当にさっきのさっきまでショックで立ち直れないと思っていて、女子なんて全員くそくらえだとさえ思っていた俺が。

 少し頬を朱くさせながら俺に迫ってくる可愛い後輩を見ただけで興奮しているのだ。

 本能的なものであるとわかっていても、自分が嫌になり。 

 だけど、心のどこかに沸く期待感が俺を侵食していく。


「……おまえは、どうしてそこまで」

「先輩が好きだからですよ。一目惚れです。でも先輩に好きな人がいるって言われてからずうっと我慢してきました。辛かったんですよ」

「あ、あの」

「だけどもう遠慮しません。先輩のことをフるような見る目のない女のことをずっと考えさせたりはしません。先輩の心は私で埋め尽くしてあげます。先輩のしたいことは全部私がしてあげます。先輩、私のこと好きになってくれませんか?」


 そのまま。

 後輩に膝枕をされたままの俺は、額にキスをされた。


 少し冷たい後輩の唇が、俺の背筋をゾクっと震わせる。


「ひ、日葵……」

「好きって言ってくれないと、口付けはお預けですよ。でも、先輩がしたいならいつだっていいんですからね」

「お、俺は……」

「ほんと、真面目なんですね。襲って押し倒しても責任とれなんて言わないのになあ」

「ごくっ……」

「あ、今唾飲んだ。可愛い」


 また、ぺろっと舌なめずりした後輩は俺の方へその可愛いらしい顔をさらに近づけてきて。


 鼻と鼻が触れたところで、息が漏れるような声で、興奮気味に言った。


「先輩が私のこと、女にしてください」

 

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