第3話 手の中に残った希望と薬缶


 朝6時。

 いつもと同じ時間に起きる。


 会社に行く準備も必要ないのに、習慣とは恐ろしいものだ。


 頭は起きたのに身体に力は入らないし、お腹は空いているのに食欲はない。

 新しい仕事を探しに行かなければいけないのに、昨日のショックは僕の身体をベットに縛り付けた。

 

 なんとか自分にいい聞かせ、数時間をかけて重い身体を起こした。


 寝ていても誰も助けてはくれないのだ。

 起きて自分で動かなければ、行動しなければ、立ち上がらなければ……。


 呪文のように言い聞かせながら、身体を動かす。

 でも、ふとした瞬間に涙がでてくる。


 こんなんで負けてたまるか。僕は思いっきり自分の太ももを殴り、そして顔に思いっきりビンタをした。


 過ぎたことは変えられない。変えられるのは自分の未来だけだ。


 まずは、食事をとろう。食事をすれば元気もでてくるし、いい考えもでてくる。僕はコンロにカップ麺1杯分のお湯を入れて火をつける。


『ピンポーン』

『ピン、ピンポーン』


 家のインターフォンがけたたましくなる。

 かなりせっかちな人のようだ。

 普段なら気にもしないが、インターフォンの音が非常に不愉快だ。


「はーい!」


 僕が家の扉を開けるとそこには若い女性が立っていた。


「健康にいい乳製品を今無料で配っていまして」

「いや、そういうのはいらないので」


 僕が扉を閉めようとすると、足を扉の間にいれて閉まらないようにしてくる。

 こういう時に限ってめんどくさい相手に捕まってしまった。


「そんなこと言わずに、こちら配達限定商品でして、これを飲んだ人が健康になったとか、ならなかったとかとても有名なんですけど聞いたことないですか? 有名芸能人も愛用してまして、ほら、あのイケメン俳優の方です。あの夜ドラにでていた方で。それに、あの離婚した女性芸能人も飲んだら彼女ができたって、SNSに投稿していましたし……」


 まるでマシンガンのように営業トークを続けてくる。

 いつになったら話をやめてくれるのだろうか。

 さすがにイライラがピークに達する。


「あの、もう本当に帰ってもらえますか!?」


「それじゃあこちら試供品だけ置いていきますね」

 彼女はこちらのイライラなど気にもしていないように、ニコニコとして瓶に入った牛乳のようなものを無理矢理手渡してくる。


「ありがとうございます」

「瓶は後日回収にきますから」


 僕が試供品を受け取ると満足したのか、そのまま颯爽と帰っていった。

 どっと疲れがでてくる。なんだったのだろう?


 僕が部屋に戻ると、なにやら焦げ臭い。

「あっ!」


 火にかけていた薬缶がが深紅色に変わり、今にも爆発しそうな感じになっていた。強火で沸かしていたことで、中のお湯がなくなったのだ。


 危ない! 僕は急いでガスを止める。あと少しで火事になるところだった。


 薬缶はそのまま破裂などしなかったが、真っ黒こげになってしまい使えそうにない。


「はぁ、新しい薬缶を買ってくるか。仕事がなくなったばかりなのに余計な出費はいたいな」


 財布の中を見ると、薬缶を買うには少したりなさそうだった。

 僕は財布と通帳を持って家をでる。


 そういえば、さっきまで身体が動かないと思っていたが、薬缶で驚いたせいかスムーズに動いている。悪いことを考え込んでしまうとまた落ち込んできてしまうが、意識が別のところに向いたおかげで少し楽になった。


 僕は近くのホームセンターで薬缶を見ると、なんとセールで値引きがされ、本体価格より20%オフで買うことができた。


 そう、人生は嫌なことばかりではない。

 悪いことがあればいいこともある。



 どんなに雨が降っていたって必ず晴れるんだ。

 明けない夜はない。


 無理矢理そう自分に言い聞かせる。


 途中でATMに寄り貯金残高を確認する。貯金は少しだけあった。

 今すぐに飢え死にするような金額ではない。彼女と一緒に海外へ遊びにいこうと必死に貯めていたお金だ。


 これはもう僕の次の再出発に使わせてもらおう。

 着るものがあって、食事がとれて、住む場所もある。


 いろいろこれからのことを考える時間ができたと思えばいいのだ。ここから僕の復活劇だ!


 僕が店からでると、どこかでサイレンがなっている。

 消防署も大変だな。


 自分の家に向かって歩いて行くと、サイレンは段々と近くなっていく。

 まさか……そんなことは……。


「大丈夫だよ。そんなことない」

 僕は自分に言い聞かせる。

 自分の心臓がどんどん速くなるのを感じる。呼吸が上手くできない。


 家に近づくにつれて、だんだんと消防車の数が増えていく。

 慌てて走り回る消防の人々。


「……神様って俺のことよっぽど嫌いなんだな」


 僕の住んでいたアパートの下の部屋から炎が燃え盛り、僕の部屋を赤く染めていた。

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