第188話

「骨や血の形成を助けるのか、そして母乳にも銅成分が……」

「まぁ、話半分にとどめておけ、先史文明期に書かれた文献ぶんけんの内容だ」


 実際は『ルルイエ異本』に収められた膨大な記述のうち、“海を起源とする生物” の部分に基づく知識であれども、りのまま伝えるのは問題がありそうなために出所を誤魔化しておく。


 港湾都市の碩学せきがくしくは薬師と認知されているのもあり、第二王子は俺の言葉を疑うことなく受け入れて、再び代数学の試験対策に意識を傾注けいちゅうさせていった。


 その姿を確認してから、ぐつぐつと煮詰につまってきたビーカーに視線を向け、数分ほど加熱脱水の経過を眺めた後に酒精灯アルコールランプの火を消す。


 現在の中身はほどよく水分を飛ばされたCuSO4aq、要するに蒸発濃縮された硫酸銅水溶液であり、ほこりなどの微細な不純物を結晶核にさせない意図できめ細かい麻紙を使い、濾過ろかしながら別の容器に入れ替える。


(冷めると硫酸銅の結晶が生じて、課題は達成だが……)


 無駄に筋骨隆々な老教授を捕まえ、履修者の数だけ集まる提出物の使い道をたずねた際、黙り込んだ当人に代わって助手兼メイドの少女、ドロテアより伝えられた用途が魅力的すぎる。


 保管の都合で固形にこだわっているものの、趣味の花壇にく “ボルドー液” なる殺菌剤の原料だとの事で、恐らくは農作物の薬液にも転用できるはずだ。


 植物にまつわることをかんがみれば、の御仁が所蔵する地属性の魔導書、『エメラルド陶片』に記された知識の産物と思しい。


 具体的な精製方法は聞けなかったこともあって、色々と試行錯誤しなければならない手前、多めに結晶を作っておくべきだろうし、すで諸々もろもろの調達も済ませていた。


(取り敢えず、貝殻灰と一緒に少しずつ混ぜ溶かして様子を探るか)


 生まれの都合上、海岸沿いの地域で散見される石灰系の肥料が脳裏に浮かび、一発で正解を引き当てていたと知るのは一ヶ月半後、試薬にあたる殺菌剤の安全検査を老教授やヴァネッサ女史に依頼した時点となる。


 そのおりな文明の “導き手” たる彼女の配慮で、農作物に残留させない適切な硫酸銅の用量なども教え込まれるが、ここでは割愛させてもらう。


 ともあれ、くだんの物質が結晶化するまでの間、少々手持ち無沙汰になっていると、複素数平面の対策問題を解き終わったレオニスが一息吐いた。


何処どこぞのやからが地下迷宮の低層に居座いすわる偽竜をたおしたからな、中間考査などにつまずいて兄の後塵をはいする訳にはいかない」


 先月初旬、オルグレンを通じて誘われた時、巨獣討伐に協力しなかったのが不満なのか、初戦で敗走させられた公子が恨めしげな視線を投げてくる。


 もはやせんなきことなので取り合わず、片眉を顰めた相手に対して、仕草のみで話の続きをうながした。


「例の中継拠点復旧も兼ねた中層調査、参加しようと思っている」

「あぁ、告知されていた学院主導の案件か、悪くない」


 ただ、似たような活動方針をルベルト達も選ぶ確率は高く、後継者争いで明確な差を生じさせるのは難しい。


 上手く出し抜こうとするなら、それなりの創意工夫が必要になってくるはずだ。



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未だに農業で幅広く使われているボルドー液、硫酸銅と消石灰があれば作れますので、わりと内政チートとかで使えそうな印象ですよね。


文明水準がそこまで高くなくても、個々の具材は手に入りますし、これがあるだけで劇的に収穫量が変わると思うのですけど。

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