第187話

 つつがなく国内外の謝肉祭が終わった三月初旬、王都エクルナにある王立学院の専門課程では春期中間考査の時期が近づいて、にわかに学生達の勤勉さが増してくる。


(勉学は日々の積み重ね、付け焼刃なんて邪道だが……)


 仲間内で一人だけ、代数学の認定証ディプロマをもらえず、再履修のき目にあった第二王子ことレオニスを揶揄やゆするのははばかられてしまう。


 グラシア王の継嗣けいしたる者、二度目の敗北はあり得ないのか、実験棟で錬金学基礎Ⅱの試験代わりに出された課題へ没頭する俺の下まで押しかけ、解法かいほうの助言などう彼の相手をつとめているのも、ひたむきな姿勢を買ったゆえの対応だ。


 ただ、それにかまけると自身の諸々もろもろが進まないため、何点かまとめてきたのであろう聞きたい部分に答えて質問回数も減り、黙々と複素平面の問題に取り組み出した頃合いで、意識の大半を “硫酸銅結晶” の精製に振り向ける。


 既に銅塊をやすりで削って粉状にした上、酒精灯アルコールランプの火に掛けて満遍まんべんなく酸化させたり、緑礬りょくばん乾留かんりゅうで硫酸を得たりの工程は済んでいた。


「さてと、手早く終わらせて飯でも喰おう」

「そこはおごらせてもらう、拒否は認めない」


 “手間を取らせた分の謝礼だ” とうそぶく金髪碧眼の公子にうなずき、強引かつ義理や人情に厚い性格が令嬢らの心をつかんで離さないと、宰相閣下の一人娘であるエミリアに教えられたのを思い出す。


 実際、その片鱗に触れてしまえば、彼女達の気持ちも理解できなくは無い。


(まぁ、血筋や立場の後光ハロー効果もあるんだろうけどな)


 まだ中等科に通う少女らも含めて、腹違いの兄と同じく高い人気を誇るレオニスに納得しつつ、王都地下へ広げた魔力波の定位反射で上水道を探り、そっと透明なビーカーに手をかざす。


 極限まで収斂しゅうれんさせた根源たる力マナ、それで次元の壁に小さな穴を穿うがって出口も作り、掌中と溝渠きょこうを繋げば適量の水が零れ落ちた。


「…… 貴重な空間系魔法の無駄づかいだな、他の学生も引いているぞ、クライスト」

是非ぜひ、人を井戸のごとく扱う “踊る双刃” や、“槍の乙女” にも言ってくれ」


 寒さが厳しい真冬、ねぐらの外へ出たがらないリィナを甘やかしていたら、さりげなくフィアにも水の転移を頼まれるようになって、ていよく使われたのは頂けない。


 あざと可愛いウルリカが褒められたい打算少々と主への気づかいで毎朝、木桶を持って外に出掛け始めてから、早々に鳴りを潜めたのは僥倖ぎょうこうだった。


 少し遠い目でレオニスに愚痴ぐちりながら、硫酸入りの小さな容器を手に取って、慎重に中身をビーカーへ流し込むことで希硫酸水溶液を作る。


 それを酒精灯アルコールランプの火に掛け、酸化銅の粉末も投じて緩やかに混ぜ続けると、色鮮やかなコバルトブルーの液体が出来上がった。


「先日も錬金科の奴が硫酸銅を精製しているのを見たが、課題なのか?」

「あぁ、重金属系で毒性があるし、勝手に触るなよ」


 皮膚に付着した場合は発赤ほっせきや痛み、水疱すいほうの薬傷を引き起こすと念の為に警告する。


 すぐさま “知っている” と返されたので、銅自体は “人体に必須の栄養素だがな” と言い添えれば、存じてなかったらしく一瞬だけ公子の表情が固まった。

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