第142話

「お二人とも、立ち話は何ですし、先に荷物運びを終わらせましょう。片付いたら、下拵したごしらえしてあるクッキーを焼いてあげます、蜂蜜たっぷりですよ♪」


「研究室で調理とか、好きにさせて良いのか?」

「実験の経過観察で室外へ出られない時も多い、致し方ないだろう」


 自分達以外の連中も同様に料理道具を持ち込んでいると老教授はのたまうが、辿り着いた研究室の一角には瀟洒しょうしゃなキッチンがあって、その言葉を素直に受け取れない。 


 耐熱煉瓦レンガで組まれた小さな調理台の天板は熱伝導率が高い銅合金であり、正面の鉄蓋を開ければ真新しい炉心が見えた。

 

 そこに助手兼メイドの少女が薪木を入れて、こちらをチラ見するのでそばに寄り、火属性の生活魔法にて火をける。


「ありがとうございます、少し待ってくださいね」


 外見的な13歳前後の年齢とそぐわず、妙にそつのないドロテアは一礼すると、天板の右隅にケルトを置いてから、空き部分に菓子の生地を並べていった。


 なお、自慢げに言うだけあって、事後に頂いた彼女のクッキーはとても美味く、“報酬として十分” という満足な気持ちにさせてくれる。


 最初は舌に慣れなかったものの、南方大陸と内海を挟んだ中東地域の半島で出廻っている黒い豆などもちい、先史文明の文献より再現された珈琲コーヒーとやらに合っていた。


「これは売り物になりそうだな、言い値でレシピを買い取らせてもらおう」

「残念だが、焙煎ばいせんされた珈琲豆は貰い物であって、私の知るところではない」


 老教授いわく、考古学のヴァネッサ女史に頼まれて、発掘された機械のミニチュア製作にあてがう部品を各種鉱石から錬成したおり、御礼だと言われて手渡されたらしい。


 どのようなルートで黒い豆を得ているかも含め、仔細しさいは分からないとの事だ。


菫青きんせい海をく中東諸国の商船は地元ハザルの港にも立ち寄るし、原材料の豆自体は調達可能に思える。販路は “女王蜂の巣レジナアプス ニードゥス” を使うとして、問題は加工方法くらいか?」


「気になるなら聞いてみるといい、奴も貴様に話があるそうだ」

「ん… 初耳だな」


「伝えてないからな、歳のせいで忘れていた」

「ふふっ、興味がないだけでしょう、幾つになっても変わりませんね」


 長年連れ添った伴侶のような態度でとぼけるアンダルス教授をたしなめ、祖父と孫娘ほど歳の離れた美しい少女が微笑む。


 若干の困り顔で体裁をつくろいつつも、満更ではなさそうな御仁ごじんの様子を考慮すれば、単なる主従とは言えない繋がりや、深いきずながありそうだ。


「仲がむつまじくて何より、こちらは気にせず好きにやってくれ」


「えぇ、此処ここは私達の “愛の巣” ですから♪」

「…… 少々遊びが過ぎるぞ、ドロテア」


 さりげなくそなえ付けのシングルベッドをうかがう少女に呆れ、学院での世間体も考えろとなげく老教授の姿を眺めながら、木製のマグカップに残っていた珈琲コーヒーを飲み干す。

 

 元々、居座るつもりは無かったので適当に話を切り上げ、ご馳走になった礼を慇懃いんぎんに述べてから、色々と私物にあふれている研究室の外へ出た。




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珈琲の原産国であるエチオピアは細長い紅海を挟んで中東の地域と隣接しています。それもあって、900年代にはコーヒー豆が伝わっていたようですね。


ただ、当時の用途は薬であって嗜好品としての味は確保されておらず、アフリカ大陸でも粉にして練り上げ、団子状の食べ物にするとかなので、飲み物となるのは1300年前後を待たねばなりません。


それでも、大航海時代の紅茶よりも早々にイスタンブールあたりを経由して、西洋に持ち込まれていたと思われます。

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