第141話

 そんな現状もあり、財務省内に借り受けた印刷局の執務室と製紙工場を何度も往復して、中央行政府の官僚らとグラシア紙幣にまつわる彼是あれこれり合いを付けていたら、いつの間にか王立学院の春期が始まっていた。


 学業もおろそかにできず、学舎へ出掛けて今年の初受講を済ませた帰り道、専攻する錬金科の某老教授に呼び止められて、突然に荷物運びの手伝いを頼まれてしまう。


 “私の心象が良ければ、認定証ディプロマを取りやすいかもしれん” と、さりげない態度をよそおって囁かれた甘言に乗り、実験棟から研究室に持ち込む器具を携行けいこうしているのだが、一つだけ言わせて欲しい。


「助手兼メイドが手ぶらで良いのか?」

「えぇ、アンダルス教授は紳士なのです」


 鈴を転がすような声で華奢な少女がのたまい、つらなるアーチ状の支柱へ蔦植物をからませた天蓋てんがいの所々より、渡り廊下に差し込む木漏れ日を受けながら、軽快な足取りで野郎二人を導く。


 ちらりと横目で一瞥いちべつした白髪の御仁は年甲斐もなく筋骨隆々で、仕立ての良いシックな一張羅いっちょうらに身を包んで黒いコートなど羽織り、幾つかの具材をかかえていた。


緋緋色金ヒヒイロカネに高純度マナ結晶体、多量の血液とそれに由来する塩等々、仙丹のような霊薬でも造る気か? 存外と俗物なんだな “翠玉すいぎょくの錬金術師” は」


「“混ざりものハーフホムンクルス” をはべらせているやからに言われなくない。避けられない死をくつがえすためだろうと、大半は失敗して生きた肉塊にり果てる人体錬成、正気の沙汰とは思えん」


 肩を並べたまま、お互いに顔は合わせず、ちくちくと刺し合う皮肉の応酬を交わしていれば、くすくすと楽しげな忍び笑いが聞こえてくる。


 徐々にゆるめた助手兼メイドの少女、ドロテアが臙脂えんじ色の髪を揺らせて振り向き、こちらの意識を吸い込むかのような美しい微笑を見せてきた。


「ふふっ、“同族嫌悪” の一言に尽きます、二人とも生命倫理に逆らう者ですから」


 つまり、似た者同士だと指摘されて表情をしかめたら、それを見ていたのか、いないのか、ぼそりと屈強な老教授が言葉を零す。


「時の進み方が異なることの理不尽さ、いずれ身につままされるぞ、覚悟しておけ」

「自らの判断エゴで延命させた部分もあるし、考えがない訳じゃない」


「…… 腹を決める際は大切な相手に話せよ、独善的な好意で誰かを幸せにできると思うなら、それはおごりだと助言をくれてやる。曲がりなりにも教職の立場だからな」


 にやりと口端をゆがめて、自身の経験を踏まえたであろう御仁がシニカルにわらうも、それを連れ合いの少女が “母親” のような生暖かい視線で見守っているという、名状しがたい情景が俺を困惑させる。


 今、どういう目で見られているか、アンダルス教授本人が気づいておらず、ある種の滑稽こっけいさを感じて吹き出しそうになるも、こらえて善意からの忠告にうなずけば……


 何故か、俺までいつくしみの対象に加えられ、無言のドロテアにでられてしまった。

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