第131話

 聖マリア教会への訪問から少しち… 専門課程の秋季期末考査が近づいていたので、学院内部の空気を読んだ俺も図書館の片隅で試験対策などしていたら、顔見知りの面々めんめんに取り囲まれてしまう。


「予想を裏切らず、几帳面なのね。ありがたいけど」

「本当に助かる、代数学のノート!」


「…… まぁ、減るものでなし、好きにしてくれ」

「この借りは前とあわせて、いつかきっと返すにゃん♪」


 その気があるのか無いのか、おどけた仕草で “如何いかにも” な語尾を取って付けたランベイル家のご令嬢、双子の妹にあたる猫虎人のセリカが獣耳をピコつかせて、定価で売ってやった麻紙に数式を書き写す。


 彼女と肩を並べる姉のセリアはもとより、こちら側の右隣に陣取るオルグレンも日頃の浮薄ふはくな態度をひかえて、黙々と羽筆を走らせていた。


 全学科で必修となっている諸々もろもろのうち、最難関の数学系科目は最後まで残すと致命傷になるため、早々に認定証ディプロマもらおうと初手から挑戦する学生も珍しくない。


 先達せんだつの例に漏れることなく、同世代の者達も似たような傾向を見せており、比較的に容易な代数学の科目で四人の履修がかぶったという訳だ。


「数学って、あまり日々の暮らしで使わないのに学科の教授は偉そうだよな」


「何の役に立つか不明ながら… 人類が持つ “叡智えいちの限界” に挑んでいるのよね」

「“至高の芸術に下賤げせんな有益性はらない” んだってさ、リア姉」


 やおら同意を求めてきた細マッチョの青年を皮切りにして、口々に眼前の獣人姉妹までもが数学をおとしめる。


 人の生きざまを辿る “邯鄲かんたんの夢” にて、古代の数学者と魂を同調させた経験もある身としては賛同できず、無自覚な溜息が漏れ出た。


粗忽そこつ者め、三次方程式の判別式を写し間違えているぞ」

「おぉう、D = -4p^3 - 27q^2 だったか」


「そこから複素数も踏まえた一般解カルダーノの公式まで長いわ、やってらんない」

「うぅ、先史文明と一緒に数学も滅びてたら、苦労しなかったのにぃ」


 机にへばりつき、へにょりと力なく猫耳を伏せたセリカが愚痴るも、石壁や都市の残骸など文字を刻めるものさえあれば、書き殴ることができた数式の現存率は高い。


 あらゆる艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えて、次代へ知識を受け継がせようとした数学者らの執念には頭の下がる思いだ。


(もとい、頭を悩ませている連中も多いが……)


 代数学の領域では高度な部類であり、毎期の試験にも出てくる定番の問題は避けられないため、自身の復習も兼ねて其々それぞれの深度に合わせつつ、三次方程式の公式に係る証明をしていく。


 ただ、適切な理解を得ているのは猫虎人らしく、おしとやかに取りつくろってもたまに猛獣の本性が見え隠れする双子の姉だけなので、二度手間になることは必至だ。


「… 分からねぇ、虚数解のからみとか」

「うぐっ、オルグレンの同類という屈辱」


「以上で証明終了Q.E.Dだな、あとはセリア嬢に任せる」

「ん、何とか咀嚼そしゃくできたし、教えることで地固めをさせてもらう」


 ました態度で小豆あずき色の髪をき揚げて、まだ分かってない二人を相手取り、得意げな様子のネコ科獣人が教鞭をる。


 そんな様子を数分ほど眺めてから、独自に履修している他の数学系科目を押さえようと、茶色い革製の学生鞄より別紙の束を抜き出した。

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