第125話

「さて、これで国家紙幣の印刷が始められるか……」

「最初はらし運転ですね、ここの職人を育てる必要があります」


 斜向はすむかいの席へ移動した貿易商の三男坊が指摘する通り、単身向け宿舎の部屋数だけ招聘しょうへいした熟練工らの下、王都で雇った者達に麻紙造りの工程を学ばせて、一廉ひとかどの戦力に仕立てないといけない。


 また、近いうちに国立印刷局となる予定の本工場はグラシア紙幣の発行を行うため、地元と同等以上の厳格な管理体制を築き、不祥事を未然に防ぐという課題があったりもする。


「宰相閣下の推薦に加えて素性が明らかな中産階級ミドルアッパーより、厳選して人を集めたが、先々のことを考えると前途は多難だな」


「鍛冶屋の息子も呼びましょう、奴がいないと落ち着かない」

「仲良いな、お前ら… あいつには地元の製紙業を任せるつもりだ」


 仕事だから諦めろと言い聞かせて、黙らせる意図も込めながら独立都市イルファに舞い戻ったセルジの近況に触れるも、至極あっさりとした反応しか返ってこない。


 興味がないのかと問えば、家族内では頻繁に連絡を取り合っており、兄貴の状況は十分に把握しているとの事だ。


「うちの親父も商売絡みの情報網は持ってますし、稼いだ金で伝書鳩の数も増やしてますから、伝達手段には事欠かないんです」


 ここ数年にける領主家との繋がりもあって順風満帆、両親の悩みは息子の二人が出払い、帰って来ない程度だと声高に笑う。


 唯一残った次男坊は芸術家をこころざしており、貿易業は盛況なのに金まわりの業務を任せられるような、信頼できる人手が足らない状態だとか。


「…… 実家の仕事にたずさわる気はないのか?」

「えぇ、何処どこまでもついて行きますよ、若君わかぎみ


 にこにこ顔で答えたジラルドは、俺の領主就任に合わせて財務官となり、ウェルゼリアの金庫番をになうと言ってのけた。


 彼の実家であるコルテーゼ商会は長男が継ぐから、それでも大丈夫だろうと静かに話へ耳を傾けていたら… にわかに雲行きがあやしくなってくる。


 伝染病にかかる支援団の第二陣と合流して、現地で様々な折衝せっしょう役を務めるセルジに事業継承の意志はあるものの、会頭かいとう代行など立てて間接的な管理下に置くことを考えているらしい。


「多分ですが、兄貴は独立都市イルファが領内に編入された場合、そこか港湾都市ハザルのうち、次代の領主が直接統治しない方の執政官になりたいのだと思います」


「はっ、中々に野心家だな」

若君わかぎみと同じく、功利主義者の端くれなので許してやってください」


 さらりと出てきた哲学上の言葉は自分を優先する “利己主義”、他者を重んじる “利他主義” の中間にあり、双方の融和的な利益を求める者達を指す。


 一般に職人から品物を買い、誰かに売ることで生計を立てる共栄思想の商人や、俯瞰ふかん的な視座が求められる為政者いせいしゃに多い。


 その思想は耳にさわらなくても判断基準を利益の最大化に置くため、少数派に犠牲をいて多数派におもねる傾向があり、ともすれば無慈悲な行為に繋がりそうだ。


(利己的なリィナと利他的なフィア、二人に挟まれているくらいが丁度良いのかもな)


 おりに触れた感謝を忘れないよう意識へとどめつつ、王都の製紙工場が本格稼働するまでの日程等を貿易商の三男坊とめている間に、今日という一日は過ぎていった。

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