第124話

 人狼の少女を王都での暮らしに加えつつ、専門課程にける履修科目の修了証ディプロマを取得するため、王立学院での勉学に興じること数週間… 予定よりも少し早く、王都の製紙工場が完成を迎える。


 それに応じて呼んだジャン哉藍セイランが到着したらしく、製紙業の金庫番を任せている貿易商の三男坊ことジラルドが知らせに来たので、一緒に事務所の応接室へ足を運ぶと、椅子に腰掛けるなつかしい顔があった。


「何度か手紙と金のり取りはわしたが、会うのは久しいな」

「よう、坊主、不遜ふそんな性格は変わってねぇようで何よりだ」


「娘も王都に連れてくると聞いていたが?」

「あぁ、色々買いたい物があると言って、ひとりで出掛けちまったよ」


 “ここの治安は悪くないんだろう” と尋ねる相手にうなずき、人が多く集まるだけに犯罪の発生率も高めな実情は黙っておく。


 そのまま顔合わせの挨拶あいさつを終えて、少しの世間話を重ねたところで扉が三度叩かれると、ことわりの言葉を添えたメイド姿のウルリカが室内へ入ってきた。


 実家から取り寄せた給仕服は獣人向けでないため、スカートの後ろが尻尾で持ち上がり、少し膨らんでいるのは愛嬌としておこう。


「ご主人、お茶を持ってきた」

「ありがとう、渡すのは客人が先だけどな」


 近寄ってきた人狼娘の頭を優しくポフり、向かい席のジャン氏や、隣席のジラルドにも香草茶を出してもらう。


 伝染病対策のおり、各地より持ち寄られた薬草の効能等をまとめ、書籍に編纂へんさんした経験もあって、男やもめの不摂生ふせっせいを補えるように色々とブレンドしておいた逸品いっぴんだ。


(日々、フィアの手料理を頂いている手前、俺の栄養バランスに問題はないが……)


 学び得た知識をかさないのは生産性に欠けるし、身体に良いことは確かだろう。


 足音も立てずに去っていく、狩猟にけた種族の少女を見送りつつ、取り留めない思考を走らせていたら、耳に客人たる彫刻師の言葉が届いた。


橙皮とうひ… ビターオレンジの皮も使っているのか? 舌に馴染む味だ」

「あぁ、華国出身の貴様をもてなすには良いと思ってな」


「欲を言えば、緑茶の方が故郷を思い出せるものの、有難いことに変わりない」


 それは元を辿ると皇国人の俺も激しく同意見なので、貿易商の三男坊に話を持っていくと、やや表情を曇らせた彼は細々とした極東貿易の現状に嘆息たんそくする。


「茶葉は良い輸入品となりそうですけど、敷居も高いです」


 中東地域を経由する陸路での取引は国際的な情勢に影響される他、どうしても輸送費が割高となるため、積極的に手を出せる状況ではないとの事だ。


 長広舌ちょうこうぜつになりそうな予感がしたので深掘りせず、話題を中央行政府が関わるグラシア紙幣の件に移して、室内に持ち込まれていた印刷用の原版一式を受け取る。


 各紙幣単位で版画の微差が許容範囲内なのを確かめてジラルドに一声掛け、支払う貨幣がまった銭袋を卓上に置かせれば、中身を確認せずにふところへ仕舞い込んだジャン氏はしばしの旧交など温めてから、お茶の礼を述べて立ち去った。



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古来より、中国では緑茶が流通していたにも拘わらず、それらが中世の西欧に伝播していかなかったのは、ひとえに物流の問題です。


陸路で幾つもの国を挟むと何度も通行税を取られたり、行く先々で賊に襲われたりして赤字になります。海路による二国間の取引が可能な大航海時代まで、あまり西欧へ極東の産物は持ち込まれませんでした。


結果、ちょうど良い時期に中国で普及しつつあった烏龍茶が目新しいものとしてか、交易品に選ばれて輸送中に発酵度合いが進み、紅茶と銘打たれることになるのです。

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